第九話 差押え執行
第九話 差押え執行
ノクス帝国迎賓宮で開かれた晩餐会は、異様な熱気に包まれていた。
巨大なシャンデリアの光が、磨き上げられた床へ幾重にも反射する。楽団の奏でる優雅な音楽。香水と酒の甘い匂い。高級絹が擦れる音。
だが今夜、貴族たちが本当に見たがっているのは料理でも音楽でもない。
リュミエール王国の没落だった。
「見て、あれ……」
「まだあんな格好できるのね」
「恥知らずだわ」
囁き声が広がる。
会場中央へ現れたミレイユは、以前にも増して派手だった。
真紅のドレス。
胸元をこれでもかと開き、黄金糸を大量に縫い込んでいる。首には大粒の赤石ネックレス。耳元には宝石が揺れ、指輪は両手を埋め尽くしていた。
だがその豪奢さは、どこか必死だった。
失ったものを取り繕うみたいに。
ミレイユは周囲の視線に気づき、顎を上げる。
「何か?」
声が少し震えていた。
その隣でアルベルトが苛立たしげに酒を飲み干す。
「堂々としていろ」
「だ、だって……皆こちらを見ていますもの」
「放っておけ」
だがアルベルト自身も落ち着かなかった。
以前なら自分たちこそ夜会の中心だった。
なのに今は違う。
誰も媚びない。
誰も笑わない。
ただ観察している。
まるで破綻寸前の企業を見る銀行員みたいな目で。
その時だった。
会場奥が静まり返る。
ヒールの音。
ゆっくり近づく足音。
誰もが振り向いた。
エレノアだった。
今夜のドレスは深い青と黒を重ねたベルベット生地。夜の海みたいな艶を纏い、歩くたび銀刺繍が星屑みたいに光る。大胆に開いた背中。滑らかな白い肌。青銀の宝石。
圧倒的だった。
かつて灰色ドレスで笑われていた女とは思えない。
その隣には黒衣のルシアン。
二人が並ぶだけで空気が変わる。
「……綺麗」
誰かが思わず呟いた。
ミレイユの顔が歪む。
「またあの女……!」
エレノアは穏やかな笑みを浮かべたまま歩いてくる。
逃げ場を塞ぐみたいに。
「ごきげんよう、ミレイユ様」
「……何の用ですの」
「確認です」
「確認?」
エレノアは視線をゆっくりミレイユの首元へ向けた。
赤石のネックレス。
会場の光を受け、血みたいに赤く輝いている。
「そのネックレス」
エレノアは柔らかく微笑む。
「国庫所属ですわ」
一瞬。
意味を理解できなかったのか、ミレイユは瞬きをした。
「……は?」
周囲がざわつく。
エレノアは小さな帳簿を開いた。
「南方銀行融資契約書、第三項。担保資産一覧」
さらりとページをめくる。
「赤石ネックレス一点。黄金耳飾り一対。真紅の舞踏会用ドレス一着」
ミレイユの顔色が変わる。
「ま、待って」
「該当品と一致します」
「嘘よ!」
「いいえ」
エレノアは穏やかだった。
穏やかなまま、逃がさない。
「契約印もございますが、ご覧になります?」
ミレイユがアルベルトへ縋りつく。
「殿下っ!」
アルベルトも顔を青ざめさせた。
「そんな話は聞いていない!」
「以前ご説明いたしました」
エレノアは静かに答える。
「“その宝石は担保設定されています”と」
アルベルトが言葉を失う。
あの夜会だ。
婚約破棄の日。
確かにエレノアは言っていた。
だが誰も聞かなかった。
聞く価値がないと思っていた。
「まさか本当に……」
「全部担保だったのか」
「国家借入の……?」
貴族たちがざわめく。
ミレイユは半狂乱になった。
「嫌よ! これはわたくしのです!」
「法的には違います」
「返しなさい!」
「返済が完了しておりませんので」
その瞬間、黒服の監査官たちが前へ出た。
帝国監査局。
冷たい無表情。
彼らは一礼する。
「差押え執行いたします」
ミレイユが悲鳴を上げた。
「いやっ!!」
監査官がネックレスへ手を伸ばす。
宝石が外される。
首元が急に軽くなり、ミレイユがよろめいた。
「やめて! 触らないで!」
耳飾り。
指輪。
次々と回収される。
金属音が妙に冷たく響く。
周囲の貴族たちは完全に見世物を見る顔だった。
以前ならミレイユを羨んでいた女たちが、今は扇の陰で笑っている。
「ドレスも対象です」
監査官が淡々と言った。
会場がどよめく。
「ど、ドレスまで!?」
「嘘でしょう……」
ミレイユが顔を引きつらせる。
「待って……待ちなさいよ!」
「契約書記載済みです」
「こんなの聞いてない!」
「署名済みです」
エレノアは静かに言う。
「契約とは、読むものですわ」
ミレイユが震えた。
真紅のドレスには大量の金糸が使われている。
高価だ。
だから担保にされた。
そして彼女は、それすら理解せず着ていた。
監査官たちがドレスへ手をかける。
「ひっ……!」
「控室へご案内を」
「嫌っ!!」
ミレイユは泣き叫ぶ。
「殿下ぁ!!」
だがアルベルトは動けなかった。
周囲の冷たい視線に縫い付けられていた。
何も守れない。
何も払えない。
王子なのに。
ミレイユは監査官へしがみつく。
「離して! これはわたくしの!」
「いいえ」
エレノアが静かに言った。
「国の借金です」
その言葉が刃みたいに落ちる。
ミレイユの顔から血の気が消えた。
「あなたたちは、返せない金で着飾っていたのです」
会場が静まり返る。
エレノアは美しかった。
冷たいほどに。
青灰色の瞳は静かで、怒鳴りもしない。
なのに誰より残酷だった。
「赤字は必ず回収されます」
監査官に支えられながら、ミレイユの身体が崩れる。
そのまま白目を剥き、気絶した。
悲鳴。
ざわめき。
そして。
誰かが吹き出した。
笑いが広がる。
嘲笑だった。
かつて他人を笑っていた女へ向けられる、残酷な笑い。
アルベルトは拳を握りしめた。
だが何もできない。
その横でルシアンが低く笑った。
「見事な差押えだったな」
「当然です」
エレノアは淡々と答える。
「回収不能債権は、放置すると腐りますので」
ルシアンが愉快そうに目を細める。
「本当に容赦がない」
「会計ですから」
エレノアはワイングラスを傾けた。
赤い液体が揺れる。
その姿は、まるで処刑執行人みたいに美しかった。




