第14話 偽りの黒字報告書
第14話 偽りの黒字報告書
朝の共同炊事場では、昨日と同じ豆と根菜のスープが湯気を立てていた。大鍋の縁には白い泡が残り、壁へ掛けた錫の柄杓は、窓から入る風に揺れて小さな音を鳴らしている。エレノアは灰色の実務服へ小麦粉のついた前掛けを重ね、固くなった黒パンをスープへ浸して食べていた。
炊事場の受付には、欠けた青いカップが置かれていた。白いクリスマスローズは花びらの端を茶色くしながらも、下を向いたまま咲いている。その隣で老料理長が新聞を広げ、髭についたパン屑を指で払った。
「監査官様、いつの間に国を黒字にしたのです?」
「まだ寝ぼけていらっしゃるのですか」
「私は四時から豆を煮ております。寝ぼけているのは、この新聞かもしれませんな」
料理長が新聞の一面をエレノアへ向けた。大きな見出しには、「亡国令嬢の奇跡、リュミエール半年で黒字化」と印刷されている。その下には、ミッドナイトブルーのドレスを着たエレノアが、金貨の山へ手を置く絵が描かれていた。
エレノアは黒パンを皿へ落とした。スープが跳ね、新聞の端へ薄茶色の染みを作った。記事には、リュミエールが金貨二百八十万枚の黒字を達成し、帝国への返済も予定より早く始められると書かれていた。
「この金額に見覚えがありません」
「二百八十万枚もあれば、豆ではなく牛肉を入れられますな」
「そういう問題ではありません。牛肉は脂が多いので、朝のスープには重すぎます」
「そこですか」
料理長は鍋の蓋を少し開け、煮えた蕪を一つ味見した。エレノアは新聞を掴み、濡れた前掛けを外さないまま会計室へ向かった。廊下へ出てから小麦粉が肩までついていることに気づいたが、着替えている時間はなかった。
会計室では、若い書記官たちが朝の集計を始めていた。窓辺には洗った靴下が二足、暖房のそばへ干されている。昨夜、雪解け水が事務室へ入り、宿直の書記官が履き替えを持っていなかったらしい。
エレノアは新聞を机へ置き、紙の端を三度叩いた。最初に歳入、次に支出、最後に借入金の欄を見たが、どこにも二百八十万枚の黒字はない。実際には、橋と水路の修繕を来月へ延ばしても金貨四十七万枚の不足だった。
「この新聞社へ報告書を渡した方は、どなたです?」
書記官たちが顔を見合わせた。最年少のニコラスが、インクのついた指を外套で拭いた。彼の机には、皮を剥きかけた茹で卵と、蓋の閉まらない小さな弁当箱が置かれていた。
「昨日、帝国の復興管理局へ月次報告書を送りました。私が写しを作りました」
「あなたが金額を変えたのですか」
「変えておりません」
「では、なぜ金貨二百八十万枚の黒字と報じられているのです!」
エレノアが机を叩くと、茹で卵が弁当箱から転がった。卵は帳簿の角へ当たり、床を二度跳ねて、暖房器具の下へ入った。ニコラスは青ざめた顔で立ち上がったが、エレノアはその態度を後ろめたさの表れだと思った。
「帳簿を扱う者が一桁でも変えれば、その先で何千人もの暮らしが変わります。私の名を使って何をしたのです!」
「何もしておりません! 送った写しは封をする前に上司も確認しました!」
「では、その写しを出してください」
ニコラスは書棚から控えを取り出した。そこには不足金四十七万枚と、赤いインクではっきり記されていた。エレノアは最初の頁から最後まで調べたが、書き換えられた箇所も、紙を差し替えた跡も見つからなかった。
床へ落ちた茹で卵の殻が、暖房器具の下から少しだけ見えていた。ニコラスは拾おうとせず、両手を体の横へつけている。エレノアは自分の声だけが部屋へ残っていることに気づき、新聞から手を離した。
「申し訳ありません。確認する前に、あなたを疑いました」
「監査官様でも、間違えるのですね」
「間違えます。今の叱責も記録へ残してください」
「それは、どの記録に?」
「会計室の業務日誌です。『監査官、朝食を途中で切り上げ、書記官の卵を転がし、誤って叱責した』と」
「卵も書くのですか」
「一番正確な部分でしょう」
ニコラスは暖房器具の下へ定規を差し込み、茹で卵を引き寄せた。殻には細い亀裂が入っていたが、中身は無事だった。彼は布で卵を拭くと、「昼に食べます」と弁当箱へ戻した。
調査を続けると、復興管理局で作られた帝国向け報告書が見つかった。そこでは帝国からの融資金三百二十七万枚が、返済義務のある借入金ではなく「特別復興収入」として歳入へ加えられていた。その結果、実際には不足している金貨四十七万枚が、二百八十万枚の黒字へ変わっていた。
報告書の承認欄には、グラーツ公爵の赤い封蝋が押されていた。封蝋には獅子と剣の紋章が刻まれ、甘い薔薇の香油が紙にまで染みついている。エレノアは匂いを確かめたあと、帳面へ報告書の番号を書いた。
「借りた金を収入へ入れれば、私でも今日から大富豪になれますわ」
ニコラスは茹で卵の殻を剥きながら、首を傾げた。先ほど怒鳴られたというのに、彼はエレノアの机の端へ塩の小瓶を置いた。自分の卵へ振るついでだったが、半分ほど机へこぼした。
「私も給料日の翌日は富豪です。三日後には母へ仕送りし、妹の学費を払い、靴下を買えなくなります」
「窓辺に干してある靴下は、あなたのものですか」
「片方だけです。もう片方は隣の席の者です」
「なぜ一足ずつ濡れたのです?」
「水を受ける桶を二人で蹴りました」
「それも業務日誌へ書いてください」
午後の帝国議会には、復興管理局の幹部と新聞社の代表が呼ばれた。エレノアは小麦粉のついていない濃灰色のドレスへ着替え、赤い糸綴じの帳面を持って出席した。胸元には宝石ではなく、財政再建監査官の銅章を留めている。
グラーツ公爵は、黒字化を祝うためだと言って、金糸入りの白い上着を着ていた。胸の勲章には磨き粉が残り、右肩だけ白く曇っている。彼はエレノアが提出した本来の月次報告書を一瞥し、退屈そうに卓上へ戻した。
「融資も国へ入った金には違いない。黒字化と表現して、何が悪いのです」
「返済義務があります。歳入として扱えば、債務が見えなくなります」
「今のリュミエールに必要なのは、民と市場の信頼だ。復興が成功したと報じれば商人が戻り、国債も売れる。結果が良ければ、多少の帳簿操作は必要でしょう」
「それは、かつてアルベルト殿下が用いた方法と同じです」
議場がざわついた。グラーツ公爵は椅子の肘掛けを指で叩き、笑みを消した。傍聴席には新聞記者が並び、すでにペンを走らせている。
「言葉に気をつけたまえ。私は帝国の信用を守ろうとしている」
「借金を利益と呼ぶことが、帝国の信用なのですか」
「黒字と書けば、民は安心する」
「嘘で作った安心には、返済期限があります」
グラーツ公爵は、財政再建が成功していると見せなければ帝国からの次期支援を打ち切ると告げた。議員たちからも、今回だけ黒字報告を認めるべきだという声が上がった。橋の修繕費、診療所の薬代、共同炊事場の豆代を人質に取られた形だった。
エレノアは錫の柄杓を思い出した。炊事場の壁で風に揺れ、乾いた音を鳴らしていた柄杓である。真実を公表して支援が止まれば、明日のスープさえ作れなくなるかもしれない。
ルシアンは宰相席に座り、何も言わなかった。利益相反を避けるため、彼はエレノアに関する審議へ口を出せない。机の上には殻を割っていない茹で卵が一つあり、彼は昼食を取る時間もなかったらしい。
休憩に入ると、エレノアは議場裏の小部屋へ移った。暖炉の火は弱く、卓上の林檎茶は酸味ばかりが強かった。皿には蜂蜜を塗った小さな焼き菓子が三つあったが、一つは端が焦げている。
ルシアンが扉を開け、無言で入ってきた。私的な面会を禁じているため、書記官を一人連れている。彼は先ほどの茹で卵を布へ包んで持ってきていた。
「食べないのですか」
「殻を剥く時間がなかった」
「時間ではなく、苦手なのでしょう」
「公務中に私の弱点を公表するな」
エレノアは卵を受け取り、卓上で殻を剥いた。力を入れすぎて白身が少し欠けたため、その部分だけ自分の口へ入れた。残りをルシアンへ返すと、彼は塩もつけずに半分食べた。
「本当の報告書を出せば、私は財政再建に失敗した無能者になります」
「出さなければ、君は成功者として扱われる」
「明日のスープ代も守れるかもしれません」
「君は、どちらを選ぶ」
「閣下は答えを教えてくださらないのですか」
「私が選べば、また利益相反だ」
エレノアは酸っぱい林檎茶を飲んだ。蜂蜜を加えようとして、小壺へ入れた匙を途中で止めた。甘くすれば飲みやすくなるが、茶葉の傷みまでは消えない。
「まずいまま飲むことにしますわ」
「君は時々、食べ物へ妙な決意を込めるな」
「林檎と卵しか召し上がらない方に言われたくありません」
休憩後、エレノアは議場の中央へ立った。手には偽りの報告書と、本来の月次報告書を一部ずつ持っている。紙の端を三度叩いてから、金貨四十七万枚の不足と、次の収穫まで資金が持たない可能性を読み上げた。
「リュミエールの財政再建は成功しておりません。小麦税を停止すれば歳入が減り、復旧工事を続ければ現金が足りなくなります。現在は帝国からの融資によって、暮らしに必要な支出を保っている状態です」
傍聴席の記者たちが一斉に顔を上げた。グラーツ公爵は席から立ち上がり、発言を止めようとした。エレノアは彼を見ず、最後まで読み続けた。
「私の監督にも不足がありました。市場価格への介入でパン屋の営業を止めかけ、書記官を確認前に疑いました。それでも、借金を利益と記した報告書へ署名することはできません」
「支援が止まれば、民が困るのだぞ!」
「困る民を盾にすれば、どのような偽装も許されるのですか!」
エレノアの声が大きくなり、議長が木槌を鳴らした。今度は余計な言葉だったとは思わなかった。彼女は偽報告書を卓上へ置き、グラーツ公爵の赤い封蝋を全員へ示した。
「私は、本来の報告書を帝国内外へ公表します。財政再建が失敗寸前であることも、融資の返済期限も、資金が尽きる予想日も、すべて記載します」
その日の夕刊は、朝刊とは正反対の見出しを掲げた。「黒字化は虚偽」「エレノア監査官、失政を認める」「無能な亡国令嬢、帝国支援を浪費」といった言葉が、王都中の売店へ並んだ。朝には金貨の山へ手を置いていたエレノアの絵が、夕方には底の抜けた財布を抱える姿へ描き直されていた。
共同炊事場では、新聞を読んだ人々がエレノアを見るなり口を閉じた。スープを受け取らずに帰る者もいた。鍋の中には白豆と蕪が残り、表面に薄い脂が浮かんでいた。
「本当に、国にはお金がないの?」
帽子に穴の開いた少女が、木椀を持って尋ねた。母親は止めようとしたが、エレノアは少女の前へ膝をついた。灰色のスカートの裾が、濡れた石畳へ触れた。
「ええ。まだ足りません」
「明日のスープは?」
「明日の分はあります。明後日の分もあります。その次を用意するために、今日、本当のことを知らせました」
「じゃあ、今日は二杯飲んでもいい?」
「一杯半までです。後ろの方にも残してくださいませ」
少女は不満そうに頬を膨らませたが、木椀を差し出した。エレノアは壁から錫の柄杓を外し、豆と蕪をすくった。柄杓の縁は曲がっていたため、少量のスープが鍋へ戻った。
夜になり、炊事場の片隅へ売れ残った新聞が積まれた。料理長は「無能な亡国令嬢」と印刷された紙を一枚取り、蕪の皮を包もうとした。エレノアはそれを止め、新聞を四つ折りにして自分の鞄へ入れた。
「記念にするのですか」
「次に褒められたとき、この見出しを読み返します」
「次に悪く書かれたときは?」
「鍋敷きにしますわ」
料理長は、炊事場の棚から細い黒紐を持ってきた。新聞の束を縛るための紐だったが、エレノアは偽報告書の写しだけを二つ折りにし、その黒紐を結んだ。赤い糸綴じの帳面とは別に、誤った報告を戒める書類として持ち歩くことにした。
青いカップのクリスマスローズは花びらを一枚落としていた。エレノアは水を替え、隣へ黒紐で結んだ報告書を置いた。翌朝、その書類は帝国議会から届いた解任審議の通知と一緒に、彼女の机の上へ残ることになった。




