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第11話 破産した国の値札

第11話 破産した国の値札


国境を越えた馬車の窓から、枯れた葡萄畑が見えた。収穫されなかった房が黒く縮み、支柱の根元では薄紫のサフランが冷たい風に揺れている。エレノアはミッドナイトブルーの外套の襟を閉じ、膝の上に置いた革鞄を両手で押さえた。三か月前、この道を通ったときには、灰色のドレス一着と横領犯という汚名しか持っていなかった。


向かいに座るルシアンは、黒い上着の袖口を指で直していた。馬車の隅には、宿屋でもらった固い胡桃パンと林檎が紙に包まれている。エレノアが朝食を残したことを、彼は国境を越えてから三度も指摘していた。


「林檎くらい食べろ。祖国へ戻る日に倒れたら、帝国の財政再建監査官は馬車酔いに弱いと記録される」


「馬車酔いではありません。あの林檎は酸味が強すぎます。それに、閣下は先ほどから胡桃だけをほじって召し上がっていますわ」


「パンが固いからだ」


「歯を使ってくださいませ」


ルシアンは返事をせず、パンから取り出した胡桃を口へ入れた。エレノアは紙包みから林檎を取り、一口だけかじった。酸っぱい汁が舌に広がると、王都へ近づくほど浅くなっていた呼吸が、少しだけ深くなった。


かつて白い石壁が輝いていたリュミエールの王都は、煤で薄黒く汚れていた。パン屋の煙突から煙は上がらず、広場の噴水も止まっている。冬薔薇を売る娘の籠には三輪しか花がなく、その隣では母親が古い外套の肘へ似た色の布を縫いつけていた。


帝国旗を掲げた馬車を見て、人々は道の端へ寄った。歓迎の声も罵声もなく、靴底が石畳を擦る音だけが続いた。エレノアは窓を開けかけたが、こちらを見上げた少年と目が合い、手を止めた。


「閉めないのか」


「寒いでしょう」


「君が先に震えている」


「窓のせいではありませんわ」


少年は裸足ではなかったが、左右で色の違う靴を履いていた。片方の紐は麻縄で代用されている。その子が抱えていた小さな薪束を見て、エレノアは膝の上の革手袋を握り直した。


王宮の応接室では、暖炉に太い樫の薪が三本もくべられていた。床には南方から輸入した赤い絨毯が敷かれ、卓上には季節外れの温室育ちの白百合が飾られている。銀皿に並んだ焼き菓子からは、焦がしバターと蜜の甘い匂いが立っていたが、皿の端の一枚は誰かが半分だけかじって戻してあった。


集まった貴族たちは喪に服するような黒ではなく、葡萄酒色や孔雀色の上着を着ていた。財政破綻した国の会議とは思えないほど、金の釦と宝石付きの杖が光っている。エレノアが首元まで閉じた灰色のドレスで入室すると、ハーゼル侯爵が鼻眼鏡を持ち上げた。


「財政再建監査官殿、まずは領地の処分から始めるべきでしょう。西部の丘陵地を帝国へ譲渡すれば、債務の四分の一は消える」


「我が領地の隣ではないか。売るなら北部の森林だ。冬は雪で道が塞がり、役に立たぬ」


「港を長期租借させる案もございます。港そのものは残るのですから、売却には当たりません」


エレノアは焼き菓子の皿を横へ寄せ、持参した帳面を開いた。端を赤い糸で綴じた帳面は、帝国へ渡った日にルシアンから与えられたものだった。表紙の角には馬車の中で林檎の汁をこぼした丸い染みが残っている。


「皆様は、ご自分の領地以外なら何を売ってもよろしいようですわね」


室内から咳払いが聞こえた。余計な一言だったと気づいたが、エレノアは引っ込めなかった。三か月前、自分を横領犯と呼んだ者たちが暖炉の前で菓子を食べている光景を見ていると、手袋の内側に汗がにじんだ。


ハーゼル侯爵は杖の先で床を二度叩いた。彼の口髭には、先ほど食べた焼き菓子の粉砂糖がついている。隣の伯爵夫人が小声で教えても、侯爵は聞こえないふりをした。


「我々も国のために身を切る覚悟で申しておる。監査官殿は帝国の潤沢な金庫をご存じだから、気楽なことが言えるのだ」


「では、その金の杖から切っていただきましょう。王宮の暖炉へ樫を三本入れる費用で、市中の五世帯が一晩を越せます」


「薪の本数まで数えていたのか」


「習慣です。ですが、今の言い方は取り消します。金の杖を売っても、国は救えません」


エレノアは自分の言葉に腹を立て、帳面を閉じた。小物を差し出させて相手を辱めても、必要な金額には届かない。追放された側と追放した側に分かれて怒鳴り合えば、暖炉の薪が燃え尽きるまでに決まるのは、次の会議の日取りだけだった。


ルシアンは窓辺に立ち、白百合の花粉を指先で払っていた。彼はエレノアを助けず、貴族たちにも口を挟まない。やがて百合の花瓶の水が濁っていることに気づくと、侍従へ取り替えるよう頼んだ。


「花の水など、今でなくてもよろしいのではありませんか」


「明日まで放置すれば匂う。小さな腐敗ほど、皆が見て見ぬふりをする」


「私への当てつけですの?」


「半分はそうだ。残り半分は、本当に臭い」


エレノアは眼鏡を外し、鼻の付け根を押さえた。怒りに任せて会議を始めた自分も、帳簿を書き換えれば赤字が消えると言ったアルベルトと同じく、現実より先に自分の都合を置いていた。彼女は眼鏡をかけ直すと、貴族たちへ午後までの休憩を告げた。


最初の視察先として、エレノアは王立造幣局を選んだ。国庫の現金と担保品を把握すれば、処分できる資産の総額を早く出せると考えたからである。ところが造幣局へ向かう途中、馬車の車輪が市内の石橋の前で止まった。


橋板の中央には大きな穴が開き、荷車から落ちた蕪が二つ、泥水の中に転がっていた。御者は遠回りすると言ったが、向こう岸では薬箱を抱えた女が立ち尽くしている。その女の茶色い外套には継ぎ当てがあり、裾には泥が乾いて白くこびりついていた。


「診療所へ戻りたいのです。でも、この橋では荷車が通れません。薬は運べても、寝台は運べないんです」


「いつから壊れているのですか」


「六日前です。役所へ三度頼みました。橋の修繕より国庫の再建が先だと言われました」


女の薬箱から、乾燥した薄荷と消毒酒の匂いがした。エレノアは造幣局の予定を取り消し、橋の向こうにある診療所へ徒歩で向かった。泥を避けようとして灰色の裾を持ち上げたが、三歩目で水溜まりへ靴を沈めた。


診療所の棚には、包帯が七巻、熱冷ましが十一人分、消毒酒が瓶の底に指一本分しかなかった。待合室の火鉢は冷え、窓辺には洗って再利用する包帯が干されている。その横では、欠けた青いカップに野菊が二本挿してあった。


「この花は患者さんが?」


「裏庭に咲いていたものです。薬がないと棚ばかり見てしまうので、せめて別のものを置こうと思いまして」


「薬の購入費は、月にいくら必要ですか」


「最低でも金貨八十枚です。ですが、孤児院の薪が先でしょう。あちらは夜に子供が二人ずつ同じ寝台へ入り、外套を掛けて眠っています」


エレノアは青いカップを見つめた。最初に造幣局へ行こうとした判断が間違っていた。国庫の残高を数える前に、残された時間を数えるべきだったのだ。


孤児院では、薄い粥の鍋が火にかけられていた。麦より水のほうが多く、木匙で混ぜるたびに鍋底が見える。院長は毛羽立った緑の肩掛けを羽織り、子供の靴下へ穴を塞ぐ布を縫いつけていた。


「四十三人おります。去年の冬は三十一人でした」


「薪の備蓄は?」


「七日分です。粥に使う火を弱くすれば、九日にはできます」


「小麦はどれほど残っていますの?」


「一日二食なら十二日。一食なら二十四日です。でも、あの子たちは食事の回数を数えられる年齢です」


窓際に座った少女が、古い帳面へ丸を書いていた。食事が出た日は丸を二つ、出なかった日は一つだけ書くのだという。エレノアは自分の赤い糸綴じの帳面を開き、「孤児院四十三人」と書いたが、ペン先が紙に引っかかってインクが小さく跳ねた。


夕刻、王宮へ戻ると、帝国財務官のベルンハルトが試算表を用意していた。彼は褐色の上着を皺ひとつなく着込み、冷めた紅茶へ角砂糖を三つ入れた。溶け残った砂糖を匙で潰しながら、診療所と孤児院は閉鎖対象にすべきだと告げた。


「赤字施設を残して、何になるのです。孤児は周辺の修道院へ分散させ、診療所は帝国軍の野営病院へ統合すればよいでしょう」


「修道院まで何日かかりますの?」


「近い所なら四日です」


「冬の山道を、四十三人の子供が歩いて?」


「馬車を手配します。費用は一度で済みます」


エレノアは帳面の余白へ、四十三という数字をもう一度書いた。だが、それだけでは足りないと思い、年齢と靴の数、毛布の不足枚数も付け加えた。帳面の端には診療所でもらった野菊が一輪、紙に挟まれている。


「人間は、売却できる資産ではありません。国を立て直すとは、帳簿を美しくすることではなく、来年も働き、学び、税を納められる民を生かすことです」


「理想論です。どこかを残せば、どこかを切らねばならない」


「ええ。ですから切ります。王宮の美術品、離宮二棟、貴族専用狩猟地、それから温室の維持費です」


白百合の花瓶を運んでいた侍従が、足を止めた。ベルンハルトは砂糖の潰れた紅茶を一口飲み、ひどく甘そうな顔をした。ルシアンだけは口元をわずかに動かし、窓の外に広がる王宮の狩猟林を見た。


翌朝、応接室へ呼び戻された貴族たちの前に、売却対象一覧が置かれた。ハーゼル侯爵は自分が毎年使っていた狩猟小屋の名を見つけ、椅子から立ち上がった。勢いで卓上の焼き菓子を一つ床へ落とし、金色の靴で踏み潰した。


「狩猟地は外交に必要だ。外国の賓客をもてなす場所を失えば、国の格式が落ちる!」


「昨年、あの狩猟地で使われた費用は金貨一万二千枚です。捕らえた鹿は十一頭でした」


「鹿の値段ではない。交流の価値だ!」


「その交流で結ばれた条約はゼロです。原価率だけ高い粗悪品ですわね」


侯爵の顔が、敷かれた絨毯より赤くなった。エレノアは言い過ぎたと分かっていたが、今度は謝らなかった。踏み潰された焼き菓子の蜜が靴底へ貼りつき、侯爵が一歩動くたびに絨毯の毛を引っ張っていた。


美術品の公開競売と狩猟地の分割貸与が決まり、診療所には三か月分の薬代が回された。孤児院へは薪と小麦が運ばれ、壊れた橋の修繕も始まった。それでも必要額の半分にしか届かず、国の赤字は帳面の上に残ったままだった。


夕方、エレノアは診療所へ寄り、野菊を挿していた欠けた青いカップを借り受けた。新しい薬棚が届くまで、王宮の会議室に置きたいと頼んだのである。院長は笑い、欠けた縁で唇を切らないよう注意した。


王宮へ戻る道では、冬薔薇を売っていた娘が最後の一輪を籠に残していた。ルシアンが銀貨を出すと、娘は釣り銭がないと言って困った顔をした。彼は薔薇を買わず、代わりに娘の籠を持って市場の端まで歩いた。


「閣下、何をなさっていますの?」


「籠の取っ手が切れかけている。君は帳簿ばかり見て、こういうものを見落とす」


「薔薇を一本買えば済むでしょう」


「釣り銭がないそうだ」


「では、明日もここへ来て買ってくださいませ。市場へ人が戻るか確認できます」


娘が二人を見比べ、急に笑い出した。エレノアはなぜ笑われたのか分からず、泥のついた裾を払った。ルシアンは籠を娘へ返し、売れ残った冬薔薇の香りを一度だけ確かめた。


その夜、会議室の机には、欠けた青いカップと一輪の野菊が置かれた。エレノアは赤い糸綴じの帳面を開き、最初の頁に小麦、薬、薪、橋、水路と書いた。その下には、四十三人分の名前を書くための空欄を残した。


「赤字は消えませんでしたわね」


「一日で消えたら、私は君を疑う」


「明日は国庫と担保品を調べます。その次は貴族の免税特権です」


「敵が増えるな」


「すでに十分おりますわ。ですが、今度は追放される前に、退職金を請求いたします」


ルシアンは声を立てて笑い、冷めた紅茶をエレノアの机から遠ざけた。窓の外では、競売に出される絵画を包む布の音が夜更けまで続いていた。青いカップの野菊は暖炉の熱で少し首を傾けていたが、エレノアは水を足し、翌朝まで会議室へ残した。


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