選択条件
■第6章
目が覚める。
壁の時計は7:32を指している。
いつも通りのはずだった。
だが一瞬、針が7:31に戻った。
すぐに7:32へ戻る。
その一瞬の“戻り方”が、異様に滑らかだった。
窓の外を見る。
景色は昨日と同じはずだった。
だが、遠くの時計塔の針が一瞬だけ逆に動いている。
見間違いではない。
すぐに正常に戻る。
「……今の」
声が漏れる。
だが、誰もいない。
インターホンが鳴る。
時計を見る前に分かる。
澪だ。
玄関を開ける。
澪はそこに立っていた。
そして、最初に時計を見ていた。
「早いね」
澪が言う。
「早いって何だ」
澪は時計から目を離さない。
「まだ揃ってない」
「何がだ」
澪はようやくこちらを見る。
「時間」
歩く。
街のあちこちにある時計が、微妙にズレている。
同じ7:32を指しているのに、“進み方”だけが違う。
信号機の横のデジタル時計が、一瞬だけ空白になる。
次の瞬間、何事もなかったように戻る。
「これ、全部おかしいだろ」
澪は否定しない。
ただ当然のように言う。
「おかしいんじゃない」
「まだ確定してないだけ」
学校。
教室の壁時計が、静かに揺れている。
針が進むのではなく、“位置を選び直している”ように見える。
机の配置も、時計のリズムに合わせて微妙に変わっている。
「おい……これ何だよ」
誰も反応しない。
ただ一人、澪だけが時計を見ている。
その視線は、時計の“外側”に向いているようだった。
昼休み。
弁当を開く。
澪は当然のように隣にいる。
「なあ」
「うん」
「この時間、おかしくないか」
澪は少しだけ沈黙する。
「おかしいのは時間じゃない」
「あなたたちが見ている“時間の形”」
その瞬間だった。
教室の壁時計が一度だけ止まる。
針が7:32のまま固まる。
誰も気づかない。
だが“進む感覚”だけが消える。
次の瞬間、時計は何事もなかったように動き出す。
「……今の」
澪は小さく息を吐く。
「もう戻れない」
「何がだ」
澪は時計を見上げる。
「時間の基準」
沈黙。
教室の音だけがやけに大きい。
「じゃあ今、何が起きてる」
澪は一瞬だけ間を置く。
そして、静かに言う。
「時間があなたに合わせられてる」
一瞬、理解が止まる。
「俺に?」
澪は頷く。
「ずれていたのは時間じゃない」
「あなた」
時計の秒針が、一瞬だけ逆に動く。
すぐに戻る。
そのときだった。
澪は静かに言う。
「ねえ」
「これ、もう一度だけ聞くね」
ほんの少しだけ、声が震える。
「あなたは、どっちを選ぶの?」
「じゃあ今までの全部は……」
澪は答えない。
ただ一言だけ落とす。
「まだ、選び直せる」
澪は一歩だけ近づく。
時計の音が、ほんの少しだけ遅くなる。
そして静かに言う。
「ここから先は、あなたの時間じゃない」
その言葉のあと、壁時計が一度だけ完全に止まる。
誰も気づかない。
ただ“時間だけが確定しないまま揺れる”。
澪は最後に小さく言った。
「もうすぐ、決まる」




