林間学校の……俺?
1:
「っていうのが、俺たちのゴールデンウィークだったんだよ」
「鹿さんたちもゴールデンウィークを満喫していたんですね」
昼休みの図書館。滉介には隠れて立花さんと談笑中。
ああ、癒される。
こんな可愛らしい冗談を言う立花さんが可愛い。
「鹿も人間の休暇に合わせなくてもいいのにな」
「本当ですね」
くすくすと鈴のなるような笑い方がさも女の子らしい。
滉介は活発過ぎる。
「立花さんはゴールデンウィークは何をしていたの?」
「私は特に、游介さんと同じように友達と遊びに行ったりしたぐらいですね」
「高校生でも、大型連休の過ごし方ってこんなものか」
「夏は海とか肝試しでも行きますか?」
「え?」
立花さんと、海でイチャイチャしたり、肝試しでドキドキしたり?
それは……なんかグッとくる。
「冗談です」
「あ、うん。そうだよね……」
意外と悪くないと本気で思ったのが悲しい。
だが、立花さんにはどこか、「穢れてはいけない」ような、そんな保護欲を感じてしまう。
どうかこのまま純真な姿でいて欲しい、と。
触れたくてもその手で穢してはならない、どこか神聖さを持つ、尊い少女。
「でも、高校生成りに、何か大胆なこともしたいって思う時もあります」
「え?」
とっさにどきりとした。
「た、たとえば……?」
俺の問いに、立花さんは少しだけ躊躇したように間を開けて。
「たとえば、恋とかでしょうか?」
はい、きましたー!
これぞチャンス!
じゃあ俺と――
「でも、私は、恋ってよくわからないんですよね」
「あ、はあ……」
「お恥ずかしながら、私ってまだ、初恋もまだなんです」
「え? ないの?」
「素敵な人は……確かにいますけど、それが恋なのかな? と疑問に思ったりもしますけど。物語のような熱烈な恋とか、そういう気持ちになったことはないんですよね……」
「そうなんだ……」
あ、だめだ。今変なことを口走ったら、フラれるなこりゃ。
「なんででしょうか? 恋バナしていても、なんかこう、共感がうまくできなくて というか……困ってしまうんですよね」
「…………」
「そこら辺に関しては、恋する友達が羨ましくもなったりします。どうしたらそんなに胸を熱くすることができるのかなって?」
立花さんがまさか初恋もまだなんて。
天使かな?
「ちょっと私の中では、悩みの種ですね。高校生になっても、誰かを好きになったことが無いって言うのは」
そういうのを『無垢』って言うんですよ。立花さん。
「ずっとそのままでいて欲しいな……」
「え?」
しまった! 本音が漏れた!
「私は恋愛をしないほうがいいんですか?」
「いや、そうじゃなくて。えっと、なんというか、その。うん、可愛らしい悩みかなって……ああそうじゃなくて! 俺何を言ってるんだ!」
口に出してしまったものは戻すことはできない。
かるくパニックになって頭をガリガリと掻く。
「游介さん、図書館ではお静かに」
「ああ、ごめん」
しまったどうしよう。なんて言い訳すればいいんだ。
恋愛に興味を示している少女に、恋愛しなくてもいいよと遠回しに言ってしまうなんて……。
こっちが慌てている姿を見て、立花さんがクスリと笑った。
「もう……じゃあ、今のは聞かなかったことにします」
立花さんが小さな手の人差し指を、自分の唇に当てた。
「あ、うん、ありがと……」
心が柔らかくて懐が広い。
俺の癒しの人は、天使様のようだ。
『この浮気者!』
「うっ……」
急に頭に飛んできた。
「どうかしましたか?」
「なんでもないよ、なんでもない……」
心の中で叫んできた滉介の言葉。
俺は全力で払拭した。
2:
ところ変わって。
たまには俺も実力を示さないといけない。
時間を少し飛ばして、部活。
剣道部である。
唐突だが、俺はこの現象を、自分でもうまく説明できない。
どうやら俺は、『もう一つの世界』が見えているらしい。
「はじめ!」
「ハァ!」
「…………」
防具は一応つけてはいるが、理由があって俺は防具の面だけは外している。
相手は三年生の主将。加賀美雪也先輩。
実力は二年連続インターハイ出場。今年も行けるだろう。
「…………」
俺は黙って、その『別の世界』を見つめていた。
――そして。
「胴ッ」「面ッ」
一瞬の交差。
バシンッ!
胴を一瞬早く叩きこんだのは俺。面を放って空振りしたのは先輩。
「ふうううううう」
口から息を吐きだす。
「一本!」
剣道は二本先取で勝ちとなる。
――もう一度。
俺は改めて、『もう一つの世界』に身を任せる。
竹刀を正眼に構え合って。向き合う。
俺がすっと一歩前に出る。
お互いがお互いに自分の領域内に入った。
びりびりと緊張感が増す。
――来る!
「面ッ!」「小手えッ!」
先輩の面に対して、俺は出小手という、面を放つに対して伸ばしてきた腕に竹刀を叩きこむ。
「一本!」
速攻での俺の二本先取。
俺の勝ち。しかも、瞬殺である。
この一瞬の攻防の説明をするには、とても形容しがたく、説明が困難である。
――俺には、父が言うには『別の世界』が見えているようだ。
武道家には、アスリートやスポーツ選手が行うような集中の儀式、集中するための一定の行動をする「ルーティーン」のようなものがある。
それは、集中力を増して緊張感を和らげるようなものではなく。いわゆる「戦闘スイッチ」を入れるようなものだ。
普段は穏やかで虫も殺さないような、優しい人間でも、道着を着て帯を締める、防具を着る、拳や剣を握る事で、とても攻撃的な人間に変わる場合がある。
俺もその部類に入るらしい。
俺は、『剣』を連想する物を握ると、今まで見えていた景色が変わるのだ。
今まで普通に無意識にしていた「呼吸」が変化し、頭がとても冴えてくる。自分の中で何かが広がり、『別の世界』が見えるようになる。
そして「感じる」のだ。
今まで見えていたものがより鮮明になり、見えないものが見えるようになる。
視界に入ってくる物が、今まで何とも思わない景色に、様々な情報が見えてくる。
風の動き、温度の変化、場所によって変わる空気の密度。
そして「気配」が。
見えないものが見えてくる。
相手の攻撃する気配を、俺は見ることができる。
正確に視界に捉えたという意味での見えるではなく。感じる、というのが正確かもしれない。
とにかく、「相手が攻撃を仕掛けてくる瞬間」を正確に感じ、捉えることができる。そして、「相手がどんな攻撃をしてくるのか?」までも、正確に感じ取れる。
武道だけでなく、人は何かしら動くときには、必ず体のどこかが「空く」。必ずがら空きになるところがある。
最初の一本目は。俺は一瞬早く「相手が面で攻撃してくる」という正確な気配を感じ取り、先輩が竹刀を持ち上げた事で空いた胴へ、相手が動き出す一瞬速く動いて、胴を叩き斬った。
二本目も同じである。
お互いに自分の間合いに入った状態から、「もう一度面が来る」という気配を察知し、それに対して出小手を入れた。
一撃必殺ならぬ、『一撃瞬殺』
それが俺の、剣道での戦い方だった。
当時の俺は剣道を初めてまだ三歳だったころから、喘息でできなくなる五歳の間に、いつの間にかそんな芸当ができるようになっていた。
当時の幼い俺にとっては、とても説明が難しく、親父に説明するのに四苦八苦だったが、おおむね親父は理解してくれた。
親父も同じように、『別の世界』が見えていたからだと思う。
――才能。
これらの現象を一言でまとめるならば。この言葉が適切だろう。
――俺は『別の世界』が見えるようになってから、一度も負けたことがない。
本当のところは五歳でほぼ挫折したが、今でも『剣』を連想する物を持って、誰かに負けたことがない。
おそらく、俺とまともに戦えるのは、俺と同じように『別の世界』が見える人間だけだろう……。
「勝者! 羅生門!」
俺は蹲踞と納刀。一礼をして、静かに場内から出た。
今年最後のインターハイ出場の加賀美先輩には、少し悪い事をしたかもしれない。
全国大会を控えているのに、高校一年になったばかりの俺に×(バツ)をつけられての出場じゃあ、気持ちに揺らぎが出てしまうかもしれないな。
しかし、俺が剣道部で幽霊部員をやっていられるのは、こうやってたまに、圧倒的な才能を見せて、腕がなまっていない所を見せなければならない。
「少し外に出てきます」
俺はそう言って、竹刀を持って防具を着たまま道場を後にした。
ちなみに、俺が『別の世界』と呼んでいる景色が見えることについては、父親以外に誰も話してはいない。
剣道こと武道に関しては、自分の手の内をさらしてはいけない。
親父曰く、ソレを他人に話したら、絶対に対処をされて自分が不利になるだけだ。だから自分が人よりうまくできるものは隠しておくこと。
その言いつけに従い、俺はこの特技と才能を、滉介にも秘密にしていた。
「げほっ! げほっ!」
二階の体育館へ続く階段に座り、喉をつかむように抑える。
冷たく乾いた空気、攻撃したときの発声、動くほど舞い上がる微細な埃。
喉に少しばかり無理をさせた。喉がうずく。
「ごほごほっ! げほっ!」
剣道協会も空手協会も、未だに俺と滉介に目を光らせている。
俺がいつか、この重い喘息が改善される時を。そして、滉介の成長期が終わり、肉体がしっかり肉の付く体になった時を。
俺たちがいずれそうなった時、武道のサラブレットとして生まれた俺たちの武道の道がまた開かれる。
この才能を持っている以上、俺が二十歳になろうと三十歳以上になろうと、いつでもこの才能が武道の道へ連行するだろう。
そして激しい修行の末、また次の代へと受け継がされる。
「ごほっ! ごほっ!」
今はまだ……今はまだ、その時ではない。
皮肉な事この上ない。
才能を持って生まれたために道を決められてはいるが、持病のせいで今は自由を与えられている。強いられていない。
かといって、お互いの持病がありがたいとも思っているわけでもない。
「はぁ、はぁ、……ごほっごほっ!」
苦しい。
喉がかゆくうずいて、息継ぎがうまくできない。咳を出すたびに脳が揺さぶられる。
だけど、このおかげで、俺たちはのほほんと暮らしていられる。
本当に、苦しいほど……皮肉が過ぎる。
3:
月日は少し進み。いよいよ林間学校へ行く日がやってきた。
主治医の杜子春先生が様子を見てくれている。
「まー、喘息が発症したらすぐにでも戻ってくることだねえ」
「……やっぱりそうなりますか」
「游介の喘息は、一般と比較して相当重い持病だから」
「それってもう死亡フラグみたいなものですよね?」
「まあ、百パーセント発作が起こるね」
きっぱりと言ってくれるのは、ありがたいのかありがたくないのか……。
「行かないほうがいい。ってわけにもいかないからね。行って発作起こして帰ってきなさい」
「それ、結構辛いんですけど……」
「どうにかならないのかな? あっ! ガスマスクするとか!」
「……滉介、お前なあ」
「ガスマスクかあ。それは盲点だったかも」
「変な冗談はやめてください」
林間学校で始終ガスマスク装着してまで参加しろというのか?
「処方箋をできる限り強くして、発症する前に飲んでおくのがいいかもしれないわね。必ず発作が起こると見越して、徹底して対策をとるしかないわ。前にも言ったけど、学園側へも言っておくから」
「やっぱりそれしかないですか」
「それしかないわね。問題は」
「他に何か問題が?」
「君たちが少しの間、離ればなれになっちゃう事かしら?」
「ええ! それは絶対に嫌だぁ!」
「離ればなれって、せいぜい二、三日程度だろ?」
「それでもいーやーだー!」
「お前なあ……喘息で苦しんで帰る事確実なのにそう言ってられるのか?」
「それは嫌だっ!」
「アンタたちってほら、なんかこう、二人セットでいるようなものじゃない?」
「何でワンセット扱いなんですか?」
「お刺身に醤油とか、ポテトに塩とか、カレーライスはルゥとライス。みたいな?」
「比喩が食べ物限定なのなんでですか?」
「必ず二つそれってないといけない物ってあるじゃない? お箸とかナイフとフォークみたいな?」
「せめてもうちょっとうまい事を言ってください」
「ピラミッドにスフィンクスとか?」
「…………」
微妙過ぎるが、俺たちは必ず二人で一緒に居なければならない事を強く主張したいことは分かった。
周りからはそんなふうに思われているのかな?
「ガスマスク! ガスマスク買いに行こう! ねえユースケ!」
滉介が俺の襟首をつかんで揺さぶってくる。
「まあ、林間学校での喘息の発症については十分な調査もされているから、現地の人もきっと良い対応をしてくれるでしょう。行ってさっさと帰ってきなさいな」
「まじっすかぁ……」
その後、俺は滉介に引っ張りまわされて本当にガスマスク探しをさせられ、あったとしても仮装用で本物は見つからず……。そさらには通販では時間がかかるため断念し、何故か滉介の妥協案でアイスホッケーのマスクを買わされる事になった。
森林の中でアイスホッケーのマスクをかぶれって……。
どういう冗談だ?
4:
明日の林間学校の準備はこれで良しっと。
「おにーたん、お泊り遠足?」
「違うよ響子。林間学校って言うんだ」
「りんかんがっこう?」
「そうそう、自然の中で色んな事を体験するんだ」
「それって遠足とどう違うのー?」
「それはー、まあうん。遠足と変わらないかもしれないな……」
「お泊り遠足うらやましいー」
「うらやましーい」
「響子も翔子も、大きくなったら行くことになるよ」
双子の妹は、喘息持ちではない。ある意味俺だけで良かったとも思える。
「游介、本当に大丈夫?」
母が心配そうに言ってくる。
「まあ仕方ないね。準備と予防はしっかりしておいて、それでもだめだったら途中で帰ってくるよ」
「無理しないでね」
「うん、ありがと」
林間学校に必要なもの。それとこっそり音楽機器と小説を忍ばせて、俺たちは2泊三日の林間学校に行く。
心持ちとしては、正直、死地へ赴くのと同じ心境かもしれない。
だからと言って、「俺確実に喘息を発症するんで行きません」なんて言えるわけがない。万が一、二泊三日を無難に越えるかもしれない。
「さあ……ってと」
ため息を漏らして、俺はさっさと風呂に入って寝る事にしよう。
ふと、滉介の家がある方向の壁を見る。
滉介の父親はバリバリの警察官。母親はいわゆる科学者というやつで、家には二人ともまともに帰ってこない。そして一人っ子である。
「…………」
滉介は家に一人で準備しているんだろうか?
そんな寂しくなるような気持ちになる。
いくら隣同士で、しょっちゅうウチで預かっているとはいえ、まともに両親に会えないのは、どんな心境なのだろうか?
ただの心配性で、本人はまったく気にしていないという肩透かしならいいのだが。
アイツが悲しくうじうじするような気質でもないし、そんな姿を見たこともないので、最初からそういう形で育っていると、そんな自覚も生まれないのかもしれないな。と思う。
やっぱり滉介は、いつも笑顔で楽しんでいる姿が一番輝いている。
アイツがいつも、そんなふうに生きていけているのなら、そこに俺が必要だというのなら、どこまでも付いてってやるよ……。
滉介は一人ぼっちにはならないし、させたりもしない。
俺たちはそういう関係なのだから。
5:
林間学校、一日目。
俺たちは学園の地体操服とジャージを着て、手には水筒またはペットボトルの飲み物だけ。
山のふもとで降ろされた。
バスでその他の荷物は頂上にある林間学校の施設へ運ばれる。
俺たちはクラス別で並んで、学年主任と、地元の責任者の言葉をだらだらと聞き流し、軽い登山から始まることになった。
登山とは言っても、ただ山頂までのルートを歩くだけで、遭難するほど複雑でもない。また、ガチの登山家が挑戦するような難関な山でもない。
しっかりと整備と管理をされた山だ。
俺はマスクを二枚、二重にして鼻まで隠し、山に入ることになった。
みずみずしく、そして青臭い風が目いっぱい吹いてくる。
どこも見ても緑が広がり、空もより大きく感じる。
枝葉からちらちらと光る日光も眩しい。
人によっては清々しいなんて思うだろうが、俺にとってはその風に混ざっている木々の花粉が最大の敵だった。
ああ、二重にかぶせたマスクで息苦しい。
「ユースケ、大丈夫?」
隣には滉介が。
「大丈夫、入っていきなり発症はしないから」
「林間学校の場所って、『鹿山』と大して変わらないね」
「まーそうだろ。でも『鹿山』は未開発の土地だから、こっちの方がちゃんと整備されていて歩きやすい」
俺たちが『鹿山』と呼んでいる魔境は、その名のごとくあらゆる鹿がうじゃうじゃと生息している学園から少し離れた場所にある山の、あだ名のようなものだった。
鹿たちはその『鹿山』から人里の降りてくる。
ここにはさすがに鹿は出ないだろう。
そこらへんはちょっと安心する。
唐突なS・Fが起こる事が無いのだから。
「でも、ボクがいなくて学園の方は大丈夫かな?」
「何とかなるんじゃないか?」
あらゆる鹿を撃破した滉介がいない間の学園が、どうなるかはさておいて。
「なんだかんだ言っても、こういう自然に触れるのは良い体験だよな」
「ま、そーだね」
「所で、お泊り遠足と林間学校の違いって、何だろうな?」
「え? えーっと……。どう違うんだろう?」
滉介の頭の上にはてなマークが浮かぶ。
「昨日、妹たちに聞かれて、俺も反論できなかった」
「あはははははは! 確かにそーだね」
こういった場所でもどこでも、滉介は楽しそうにしている。
昨日の俺の悲しい考えは杞憂だったなと思う。
滉介はそういうやつで、こんな奴だからさ。
明るく活発な滉介が、一番似合っている。
「なに? ユースケ?」
「いいや、何でもないさ」
俺はかぶりを振って、そんな杞憂をあらためて払拭した。
特に何の事故もなく、小一時間歩いた程度で山頂にあっさり到着。
待っていたのは瓶に入った牛乳だった。
山頂にたどり着いた順番から、現地の人から牛乳瓶をもらう。
マスクを顎下に下げて、牛乳瓶を口にする。
「お、なんか味が違う」
いつも飲んでいる牛乳とは違って、とても濃厚な感じだった。
「これが成分無調整の生の牛乳の味か」
正直言って美味しい。いつも飲んでいたのはまるで水で薄めたような物と思ってしまうくらいに。
「うーん、クリーミィ? おいしーなあ」
「そうだな」
「これなら、ボクもおっぱい大きくなるかな?」
「ブフォ!」
俺はつい牛乳を吹き出してしまった。
「お前にチチはつかないだろうに!」
「それもそうだった! あははははは!」
滉介は男の娘だからな。だから胸はペッタンコでいいんだよ。
「……こんな上り坂の連続を歩かされて、報酬が牛乳だけかよ」
来栖川が、妙に疲れたように近づいてきた。
「なんだ、もうへばったのか? 来栖川」
「こーいうの苦手なんだよな、私」
「何か不満でも?」
「こんな土と樹木しかない場所を歩かされて、将来のなんの役に立つんだか……」
「小旅行気分でいいんじゃないか?」
「私にはそう言うのはいらないんだよ。旅行とかなら大阪が良いな」
「大阪?」
「だって食べ物美味しーじゃん」
それを聞いて俺は「ははは」と苦笑するしかなかった。
「日ごろの鍛錬が足りないな」
「私は日ごろから鍛錬なんてしてない。歩くなら山道よりも繁華街だ」
「花より団子か」
「そーだよ、私は花より団子が食べたいね」
俺はふっと笑って牛乳瓶に口を付けた。
6:
各自バスから荷物を持って、班ごとに分けられたメンバーで施設の割り当てられた部屋に入る。泊まる部屋は畳張りの和室で、なかなかに悪くない。
だが、分けられた班のメンバーは、自分たちで決めたわけではなかったので、普段顔を合わせる事もなく、まともに話さない者同士でまとめられていた。
いや、まともに話したことが無いどころか、初めて顔を合わせる相手ばかりで……どうやらこの二泊三日の間に新しい友人として関係を築いていこう。というような教師の思惑を感じる。
俺を入れて六人。初対面でどうしようかと悩む。
体操着の胸には、それぞれ「鈴木」「渡辺」「林」「秋山」「山田」と書かれていた。
「荷物置いたらとっとといこーぜ、腹減ったよ」
林がぼやくように第一声を発した。
他の四人も「うーす」と言って、俺たちは荷物を置いただけでさっさと部屋を後にした。
この後は野外の、キャンプ場所としても使われる炊事場で昼食のカレーを作る予定になっていた。
「さっき散々歩かせておいて、次は飯は自分で作れとか地味にきつくね?」
「それわかるわ。さっきこの施設に飯食う所があったしな」
「つーか、野外でカレーとか今更だよな? なんて言うの? お決まりのパターンみたいな」
「たしかにそれなー」
……なんだろうか、一番後ろを歩いているせいか、会話に入りにくい。
俺が中学の時にやらかした、滉介のファンクラブ設立を阻止した事件が、今でも残っているんだよな。
とはいえ、二泊三日も一緒に過ごすのだから、ある程度打ち解けるチャンスを見測らないといけないな。
って、俺ってこんなに初対面と仲良くなるのに四苦八苦する人間だったのか?
そんな自覚は無かったのだが。
とにかく意気込んでは見るが、談笑の中に入れないまま、五人のメンバーの後ろを歩いて、外の炊事場へそのまま到着してしまった。
「注意して調理するように! えー、特に火の扱いには特に気をつけろ!」
先生がそう大きな声を出した、皆々がまばらに「はーい」と返事をして、話しかける機会もなく始まってしまった。
特に何かをやれと言われたわけでもなかったので、とりあえず人参をピーラーを使って皮を取り除いていく。
料理については上手い下手以前に全くしたことが無かったが、とりあえず皮を向いてから、適当に大きさを合わせて切っていく。
「お前、ジャガイモ細かくしすぎだろ」
「あっ、やべ」
林と秋山が同じくジャガイモと玉ねぎを切りながら談笑していた。
俺も早く輪の中に入らないと。
「人参終わったぞ」
と二人に話しかけたら、ぴたりと談笑が終わった。
「あ、ああ……そこに置いといて」
林がさっきまでの談笑のトークとは全く違う、盛下がったような声で。
「わかった。他に何かすることは?」
「えーっと……特にないかな。火を起こしてる渡辺のところ行けば?」
「了解」
俺は炊事場に向かうが。
完全に壁を作られている。どうしたものか……。
「渡辺、山田」
炊事場にいる二人に声をかけた。
渡辺が応える。
「ああ、なんだ。羅生門か」
「何かすることはないか?」
「こっちは火おこし終わったし、渡辺がもう米を研ぎ終わってるから……n特にないかな? 休んでれば?」
「何か手伝えることがあったら言ってくれ」
「わかったよ」
こっちもダメだ。取り付く島もない。
暇になってしまった。
辺りをふと見まわしてみるが、滉介の姿はない。別の炊事場に行っているんだろうか?
「…………」
周りがワイワイとなんだかんだで盛り上がっている。
だが俺はどこの話の輪の中に入れるわけではなく、まるで自分だけが取り残されているような気がしてくる。
「…………」
そういえばよく考えたら、高等部に上がってから、滉介と来栖川ぐらいしかまともに話したことが無いな。
人と仲良くなるにはどうすれば良いんだっけ? と疑問が浮かぶ。
結局、手伝ってほしいと言われることもなく。俺は木製の椅子に座って出来上がるのをテーブルの木目を見ながら待つだけになってしまった。
カレーができて、配膳され、普通に食べる。
他の五人は談笑して盛り上がっているが、俺だけがなぜかその輪の中に入れないでいた。カレーを黙々と食べる。
すると、どんっと、突然に背中を叩かれた。
「おっと、失礼。羅生門君」
振り返ると、背中にぶつかってきたのは鮭田九王だった。
「鮭田……」
俺が忌々しい視線を向けると、鮭田は満足したような笑みを浮かべて去っていった。
「…………」
その差って言う背中を見てから、気が付くと、班のメンバーの五人がこちらに視線を集めていた。
「なんだよ?」
山田が「なんでもない」と言って、全員が視線をそらした。
俺は静かにカレーを食べるのを再会する。
そしてそのまま、昼食が終わり、静かに片付けが終わった。
7:
午後は座学。
ここでも一応は授業がある。
この地域の成り立ちと歴史。簡単な社会の勉強だった。
この地域を納めていた戦国武将については多少興味を示したが、ほとんどが正直どうでもよく、最後に簡単な小テストを行って終わった。
夕方に差し掛かったところで、風呂までの自由時間になった。
俺は用を足して他の五人と別れて、遅れて部屋に戻る。
何だろうか、何もかもに興味がない。
胸の中がスカスカで、こんな心境になったのは初めてだ。
自分の中で何かか満ちていない。
授業もうわの空で、小テストも最低だった。
どうも虚無感が胸の中で住み籠っている。
「ごほっ! ごほっ!」
喉の調子も悪くなってきた気分だ。
部屋に入ろうとして引き戸に手を伸ばそうとした時、かすかに聞こえてきた。
「羅生門って、コミュ障なのマジだったんだな」
――は?
俺は引き戸を開ける手を止めた。
「コミュ障で特定のごく少数としか絡まないとか」
「コミュ障っていうかボッチ属性だろあれは」
「こういっちゃなんだが、絡みにくいやつが入ってきたな。正直どう接していいか困るわ。空気も読めねえみたいだし」
「それホントな、話しかけられてもこっちがどうすればいいのかわからねえよ」
誰がどのセリフを吐いているのかわからない。
いや、五人全員か……。
「やっぱ鮭田の言ってた事は、本当だったんだな」
――鮭田九王!
「あんなコミュ障どどう接していいかわかんねえや」
「どうすればいいんだろうな? アレ?」
……そうか。もうすでにあいつの手が、いや口が回っていたのか。
アイツは口が酷く回る。
印象操作と、思惑下通りの先入観を与える。
俺は別にコミュ障でも、ボッチ属性でもない。
鮭田、アイツは俺に対してこういう事をやり続けている。
滉介のファンクラブを作ろうとした、中心人物。それが鮭田九王。
中学のあの時、俺はファンクラブ設立を阻止をして鮭田を敵に回した。
その時に、賛成していた奴らや、期待していた野次馬共から総スカンを食らっていたと思っていたが。
鮭田、アイツは今でも俺に友人を作らせないように、弄ぶようにこうやって俺からあらゆる人間関係を断って行く。
――あの野郎。
アイツをぶん殴りたい。だが、アイツがこちらに直接手を出してこないので、それは一方的な暴力になる。
俺が手を出したら、それこそ鮭田の思うつぼだ。アイツが周りに触れ回っているあらゆる誤情報が成立したことになる。咥えて暴力沙汰を起こした俺が悪者になる。
直接自分の手を汚さず、裏から外堀を攻めて生き孤立させる。
昼食の時のあの鮭田の満足そうな顔を思い出す。
あのいやらしい笑みは、俺が孤立しているのを確認して、満足した顔だったんだ。
とりあえず、今は部屋に入るのをやめる。
班のメンバーが俺の話を終わらせたぐらいを見計らって、再度戻るようにしよう。
暇になってしまった。
外の風景を見ながら、廊下を当てもなくをゆっくり歩く。
あと何分? なん十分経ってから戻ろうか?
「ごほっごほっ! ごほごほっ!」
喉がムズ痒い。イライラする。
鮭田への苛立ちが隠せない。
このまま、俺は友人の一人もできずに、高校三年間を過ごさないといけないのか。
くそう……。
「ごほっ! ごほっ!」
息が苦しい。
日が落ちかけて、暗くなっていく廊下で、俺は立ち止った。
――やばい。咳が止まらない。
処方箋。部屋のバッグの中に入れたままだった。
息継ぎができなくなるぐらいに咳が止まらない。
その場で足がふらつき、倒れそうになる。
膝が床を打った。痛い。
それよりも。
咳が、泊まらな、い……。
「ユースケ!」
この声は。
「ユースケ! 大丈夫? ユースケ!」
なんだ。滉介か。
なんでこんなところ、に……?
それよりも、咳が止まらない。苦しい。
「どうしよう! ユースケ! ユースケってば!」
咳をするたびに、脳みそがガツンガツンと痛む。
意識が、もうろうと、する……。
「しっかり! しっかりして! 先生ー! 誰かー!」
滉介の必死な声がする。
視界がバチバチして、滉介の顔が見えない。
こう、すけ……。
8:
駆けつけた先生に腕を引っ張られて担がれて、俺は診療質に連れられ、ベッドに寝かされた。
「ごほっ! ごほっ! ごほごほごほっ! はー、はー、ごほっ!」
苦しい、頭が痛い、苦しい、くらくらする。
「ユースケ……」
滉介の声がするが、それどころではない。
「しょ、しょほう、せん! ごほごほっ!」
「ユースケ!杜子春先生からもらったお薬飲んでなかったの? すぐに取ってくるから! 待って!」
苦しい。咳が止まらない。
誰か……。助けて。
今の時間は? 何がどうなった? 分からない?
「はー、はー、ごほっ! ごほっ!」
喉が、……苦しい。
意識が、保てない。
「ほら! ユースケ! お薬持ってきたよ! 飲んで!」
俺は上半身だけ起こされて、滉介が持ってきた処方箋と水を飲む。
「ごほっ! ごほっ! うぐっ!」
「お願い、早く効いて。お薬さん。 杜子春先生……」
そんな滉介の声が聞こえる。
視界が暗い。
効いてくるまで、あとどれくらいこの状態が続くんだ?
地獄だ。
地獄のような苦しみが、鳴りやまない。
「ごほっ! ごほっ! ごほごほっ!」
「ゆーすけ、がんばって。お薬が効いてくるから。必ず効いてくるから」
喉を押さえている手に、ひやりと冷たい感触が覆いかぶさってきた。
これは、滉介の手、冷たくて気持ちが良い。
俺はその滉介の手を、自分の喉に当てる。
冷たくて、気持ちが良い。
「ごほっ! ごほっ! ごほっ!」
本当に咳が止まらない。
だけど、喉が冷たくて気持ちが良い。
「ごう、ずけ……」
朦朧とした意識の中、俺はひたすら止まらぬ咳に、畳みかけられるような頭痛に、必死に耐えるしかなかった――。
―――――――――
「……う、ん?」
気が付くと、喉の激しい疼きも、頭痛も収まっていた。
窓からは夜闇と月の明かりだけが見える。
――どうやら、処方箋が効いてきていつの間にか眠ってしまっていたらしい。
静かに、だが確かに、空気清浄機が動いている音が聞こえる。
「なんとか、治まったのか……」
息継ぎもまともにできなくて、窒息するかと思った。
「すぅー……。はぁ……」
息ができる。
体が寒くないのは、布団が被さっているせいか。
身をよじって、体制を変える。
と。
「なっ!」
俺は声を張るほど驚いた。
同じベッドに、滉介がいた。
というか、滉介が俺に添い寝をしている。
滉介は、体を横にして、すぅすぅと寝息を立てている。
――あれから何時間が経ったんだ?
時間の感覚がわからない。
だけど。
――顔が近い!
もうすでにお互いの鼻先がくっつきそうなほど、滉介の顔が近くにある。
すやすやと寝ている滉介。
何でここに?
いや、俺は、たしか……多分、喘息を発症して、その場で倒れそうになって。
それから滉介の声が聞こえて……。
まさか、ずっと俺のそばに?
ずっと付き添ってくれていたのか?
先生は何をやっているんだ?
この部屋には、他に誰もいない。気配で分かる。
廊下にすら足音が聞こえない。
二人っきりで、お味ベッドの中。
俺たちだけ!
二人だけ!
なんだこの状態は!
今度は、ドキドキと胸が高鳴る。
少し視線を下げると、滉介の唇が。
さらにその下には、体操服から見える、滉介の首から下の隙間が。
ど、どうすればいいんだ?
何なんだこの状況は?
滉介がウチに泊りに来て、一緒の部屋に寝たこともあるし、寝ぼけて滉介が俺のベッドにもぐりこんできた事もある。
だけどこれは不意打ち過ぎる!
無防備な滉介の寝顔。
それが今、お互いの顔がくっつきそうなほど近くにある。
ごくり……。
俺は生つばを飲み込む。
なんだか、何かが違う……。
いつもとなんだか、何かが決定的に違っている。
――なんで俺は、動揺しているんだ?
顔が近いからか? 夜だからか? 二人っきりだからか?
いいや、そんなことは日常茶飯事だ。
俺たちのいつもの状態だ。
なのに……。
なのになんで俺は、この滉介の顔に激しく動揺しているんだ?
……もう少し。
あと、もう少しだけ、
顔を近づけたら、
お互いの唇が、
――重なる。
もうすでに、お互いの呼吸が混じり合っている。
あとは、少しだけ……少しだけ顔を知被けたら……。
――いやまて! 俺!
頭の中でブレーキがかかった!
――そうじゃないそうじゃない!
俺のやることはそうじゃない!
――じゃあ、どうすればいい? 何をしたらいい?
ああ! 頭がこんがらがって、自分が何を考えているのかもわからない!
「く、く……くぅ」
俺はゆっくり、滉介を起こさないようにゆっくり、耐性を反対側に変えた。
すると。
滉介の腕が、俺の腰に回っているのに気が付いた。
――俺は! 滉介に抱きしめられていたのか!
添い寝じゃなくて、それブラス抱き付かれていた!
いや、それはよくある当たり前の事だ!
なんてことは無い、俺のベッドに滉介が潜り込んで一緒に寝るなんてよくあったことだ。何で動揺する理由があるんだ!
――しっかりしろ! 俺ッ!
やばい、本当にびっくりした。
体の外に漏れていそうなほどに、心臓が高鳴っている。
「う、うん……」
滉介の寝言。
「ッ!」
滉介が寝ぼけてさらにこちらの背中に抱き着いてきた!
学園、というかこんなところでコレはまずい!
どうしよう!
どうすればいい!
くそっ!
何も思い浮かばねえ!
――とりあえず、落ち着け俺!
息ができるんだ。深呼吸、深呼吸だ。
「すぅー、はー。すぅー、はぁー……」
……やべえ。
この状況を打開する作が浮かばねえ。
今何時だよくそう!
先生が見回りに来て……来てしまったらどうしようか?
この状況をなんと言い訳すればいいんだ?
そうだ、寝たふりだ!
寝たふりをしていよう!
そした、おそらくだが、そのうちに先生が来て、病人の俺よりも滉介の方を起こしてくれるはずだ!
それで滉介だけがうまく起きて、先生と滉介が去って行ってくれればOKだ!
――よし! そうしよう!
寝たふり、寝たふり、寝たふりを……。
だが先生はいつまでたっても来ないまま、俺は再び眠ってしまった。
そして朝が来て、起きてみると。
一緒に寝ていたはずの滉介だけが、いなくなっていた。
9:
「…………」
「で、羅生門」
朝食になる時間の前に、担任の先生がやってきた。
「はい」
「どうする? 主治医の先生から連絡が来ていて、喘息を発症したら帰らせろって言われてるんだが?」
「えっと……」
俺はベッドの上で起き上がって、どうしようか考えていた。
全くなじむどころか班の中で孤立している状態。
地獄のような喘息の苦しみ。
帰るのは俺一人だけ。
じゃあ、滉介は?
「…………」
滉介が、一人ぼっちになってしまうのか?
いや、違う。一人ぼっちになるのは俺の方か。
ここに残っても、帰っても、俺は一人ぼっち。
だけど――
「残ります。帰りません」
何だろうか? 今帰ったら、俺は何かに負けてしまいそうな気分になっていた。
「大丈夫なのか?」
「処方箋をあえて予防に使って、定期的に飲みます。そうすれば、今回のようなことは起こらないと思います。子の林間学校、最後まで過ごします」
確固たる声で言った。
「……そうか」
先生がため息をついて、了承してくれた。
――とりあえず、死亡フラグは折れたな。
林間学校途中下車を拒否。
続行する。
俺はこの時、何故かそんな強い意志を持っていた。
10:
林間学校二日目。
午前。
俺は食堂で朝食をとった後、地元の歴史史料館に来ていた。
ちなみに滉介は今頃、カヌーで川下りだ。
まあ、地元の選択観光のようなもので、個々の土地を納めていた戦国時代の武将についてと、その頃に使われていた武具が展示してある。
ちなみに他の生徒にはあまり人気が無かった。
この観光スポットを選んだのは、今はできないとしても、純粋に興味があっただけだ。
戦国武将が当時、身に着けていた鎧もいくつか展示されている。
ものすごく厳つい甲冑で、現代の手入れで保存しているためか、作りも見事な物だった。一度着てみたいと思えるほどに。
「お!」
展示されている武具の中に『斬馬刀』があった。
「これが本物の斬馬刀か……」
普通の刀よりも、三倍いや四倍はあるだろう巨大な太刀。
武将を馬ごと斬るという安直な考えで生まれた武器だが、オーダーされただけにしっかりとした巨大な刀になっていた。
これを扱うとしたら、重量のせいで振っただけで体が持って行かれるだろう。
十分に活用するにはまず、使い手の体重が必要だ。刀もそうだが、武器は足腰で踏ん張らないと、その威力が発揮できない。そして振り上げるための背筋も。
使い方としては真上に振り上げて、その重量と膂力を使って全力で振り下ろすか、横薙ぎにでも振り回すかのように、振るぐらいしかないだろう。
大きな武器は、その重量で使い手が制限される事と、単純な使い方しかできない事。
斬馬刀は明らかに普通の刀や槍を使うよりも難しいだろう。
実際に、この重量感たっぷりの斬馬刀では『突き』も難しいだろうな。
こと、攻撃に関して、『突く』というのは重要であり、殺傷能力の高い攻撃方法である。
刀然り、槍然り、弓矢や鉄砲然り。
一点を深く突くという事は、例え人体急所や関節などに当たらなくてもいい。
当たれば相手は深く傷つく。それだけで十分だ。
それが最も恐ろしい攻撃方法なのだ。
体のどこかを深く傷つければ、大ざっはだが動脈が切られて血が止まらなくなり、失血死する。そうでなくても完治も難しく、治癒も時間がとても長くかかる。かろうじて一命をとりとめたとしても、後遺症が確実に残る。
人体のどこかに、奥深い傷を負わせれば、即座に戦えなくなる。合戦という殺し合いの場では、一撃でも当たれば大きく優勢になる。
刀よりも槍、槍よりも弓矢、弓矢よりも鉄砲。
武器が発展していくほどに、その攻撃は一点に集中され、体のどこに当たっても重症となる。特に槍に関しては、構えて槍を突き出すという、簡単な練習をひたすら繰り返すことで、兵1人分の攻撃力が劇的に上がる。
そして相手の間合いどころか敵陣に入ることなく、遠方から攻撃できる弓矢。最後には銃。となる、
食らう相手は、近づくこともできずに絶命する。
これが武器兵器の発展の基礎だ。
正直刀なんて、大きな戦いの場では使い物にならない。実際は刀はあまり使用されなかったという。
だがこれは合理的な戦いや兵器の発展であり、刀にはそれなりの「芸術」のようなものがあった。
刀を打つ。刀を作り出すには、一本でも鍛冶師が不眠不休でひたすら鉄を叩き続けて仕上げる。その鍛冶師としての技術が高ければ高いほど、刀の強度や切れ味が段違いに変わる。もうこれは芸術品だ。
実際に、外国でも『剣』というものは戦いに使うわけじゃない美術品として作られることも十分にあった。刀剣は力の象徴とまで言わせるほどに。
――と。
ここまでうんちくを垂れていても、誰も聞いちゃあいないし興味もないだろう。
俺個人の好みの問題でここに来ただけで、誰かと知識や思想を話し合うとか、共有したいとか思ってきたわけじゃない。
だが、ここに来て結構な満足感があった。
「ふう」
一度剣を学んだものは一生剣士である。
それに連なって戦国武将に興味がつながったわけで、ここにやってきたのだが。
自分の中では大満足だった。
――この後でレポートにまとめるという課題さえなければ、
ね……。
「レポート用紙何枚必要かな?」
提出するレポートは、用紙5枚分程度でいいと言われていたが、ここまで興味を引くものがあったとすれば、十枚以上は書けるな。
男が武将や合戦武具に興味を持たないわけがないと思っていたが、先述のとおり、あまり人気が無くてするっと参加することができた。
あとで滉介と話ができるかな? と思うが。
『ねえねえユースケ! カヌーの川下りすごかったんだよ!』
なんて、きっと俺のうんちくを聞く前に自分の体験を話したくて畳みかけてくるだろう。やれやれ……。
俺のマニア心を分かってくれるとすれば、親父くらいしかいないようだ。
そんな感じで、俺は歴史料館に満足して一度宿泊施設に戻るのだった。
施設に戻ってきて昼食をとり。子の林間学校最大の苦難が、この二日目の午後にやって来るのだった。
午後からは。皆が皆を口をそろえてやりたくないと言うこと確かな、
『農業体験』
である。
11:
うーん、肥料臭い。
ビニールハウスが複合合体したようなだだっ広い肥料土の中で、何故かここでの特産品なのかもわからない『長ネギ』の農業体験だった。
「では今から農作業、長ネギの体験をしてもらいます」
地元のこのビニールハウスを経営している人から、説明を受ける。
他にもトマトやら果物の方もあったが、この班ごとに農作物の選択を配置したのは教師陣だった。だって、誰もが果物の方へ行きたがるもんな……。
俺たちはその中で最も臭い所へ当たってしまったようだ。
長ネギ自体は嫌いどころか好きな方だが、いかんせん肥料の土の臭さでめまいがしそうだった。ビニールハウスでの栽培なので、臭いの逃げ場が無い。
耕作桑で溝を掘る作業も、もうしょっぱなから重労働である。ビニールハウスの隅っこにある作業機械が羨ましい。
ザクザクと、鍬を振り上げては地面に突き刺して、溝を作っていく。
「手が痛てえ……」
「腕がつかれた」
「やべえ腰がやばい」
「なんだこれ……」
と、ここにいる生徒たちがぼやき始めている。
俺も本心からそう思う。時給で給金をもらいたいぐらいだ。
二重で口鼻を覆っているマスクで苦しい。汗がべたつく。
これで食べ物の尊さを学べとか、令和の現代っ子舐めんなよ。
俺たちは本来は作る方ではなくて食べる方なのに、なんで働かされないといけないんだ。くっそー、果樹園に行けた班が羨ましい。
半ばやけくそ気味で鍬をふるい、何とか一列の溝が出来上がった。
「それじゃあ次の作業へ移ります。まず掘り返した土を今度は――」
ただ見てただけの、ここの農業家のおっさん。
そこかしこから殺意が湧き出ているのに、気づいていますか?
農作業体験が終わった頃には、体操服が土だらけで、肥料臭さが取れない状態になり、汗と疲労で体がガタガタになっていた。
風呂に入りたい……。
そういえば、一日目は喘息の発症で風呂に入れなかったのだった。
施設に帰ったところで、偶然来栖川のいる班と出くわしたが。
「くっさ! 近寄るな!」
俺たちの苦しも知らずに、それはあんまりだろ。
そして自由時間が来て、俺は先生に昨日風呂に入りそびれたのを理由に、特別にシャワーなら使ってもいいと許可をもらって、みんなには悪いが一足早く、この泥と肥料の臭さから逃れられたのだった。
そして、日が落ちて、林間学校二日目の夜になった。
12:
ほほう、これは間近で見るとすごいな。
夕食後。俺たちは外に出て、地元の人たちが用意してくれた、見事なキャンプファイヤーを中心に、自由行動をしていた。
ごうごうパチパチと音を立てて、夜闇に赤々と鎮座する巨大なキャンプファイヤーの炎が、遠くから見ても熱を感じるほどだった。
ついでにどこからか、音楽も聞こえてくる。
中心にあるキャンプファイヤーには、しっかりと、これ以上近づかないようにとコーンとロープで安全に囲まれていた。
――にしても、生のキャンプファイヤーはすごいな。
キャンプファイヤーを中心に、生徒たちが遊び始める。
中には彼氏彼女の関係だろう複数の組が、手を重ねて踊っている。
雰囲気に飲まれているのか、キャッキャとした活気ある空気が流れていた。
俺はというと、
結局、班のメンバーとは打ち解け合うどころか、まともに会話をすることもなく、終わってしまった。
適当に転がっていた丸太を椅子代わりにして、遠巻きから他の生徒事キャンプファイヤーの炎を眺める。
すると、その群衆の中に来栖川がいて、こちらに目線を合わせた。
――なんだ?
やたら真剣な顔? をしている。炎の明かりと暗さがまじりあって表情が鮮明には見えないが、真剣な目つきで見ている事だけは分かる。
数秒視線を交わしただけで、来栖川はさっさと群衆に紛れて行ってしまった。
何だったのだろうか?
「いた、ユースケ……」
「うん?」
一瞬、誰だ? と思うほどに元気のない滉介の声だった。
滉介が歩み寄ってきて、自然に隣に座る。
「喘息は大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。朝昼晩と処方箋をしっかり飲んでいたから、再発症もしていない」
「そっか、よかった」
滉介とは、一日目のあの夜以来会っていなかった。
「そっちはどうだった?」
「カヌー楽しかったし、イチゴもおいしかった」
「そっか……俺は長ネギだったがな」
「臭かったらしいね」
「臭かったうえに、結構な重労働だったよ」
俺は肩をすくめた。
滉介がふふっと笑う。
「…………」
「…………」
特に話す事もなく、二人でキャンプファイヤーを眺める。
……俺たちだけ、遠巻きになるように、二人だけでただただ眺めていた。
すると、急に滉介が口を開いた。
「やっぱりボクは、ユースケがいないとダメみたいだ」
「うん?」
何だ急に?
「ちょっとはしゃぎ過ぎちゃった……気がついたら、みんなからなんかこう、白けた目で見られて、ちょうど早智っちのいる班と一緒で、早智っちがフォローしてくれたんだけど、なんかね……」
「…………」
そっちも、そうだったのか……。
滉介の寂しい声。
さっき来栖川が、やたら真面目な顔でこちらを見ていた理由は、これだったのか。
普段なら、誰とでも屈託なく話せる滉介のはずだが。
やり過ぎてしまった。ってところか……。
「だから今度は大人しくしてたんだけど、やっぱりうまくいかなかった。ちょっと周りから変な目で見られちゃった」
「……そっか」
俺はあえて簡潔に応える。
――俺とは違う理由で良かった。
だけど、以前母さんの言葉を思い出す。
『アンタたちは、二人でいるからいいの』
『滉介を一人にしちゃいけないの』
二人そろってこそ、か……。
すん、と滉介が鼻をすすった。
そして、密着するほど滉介が座り位置を移動して、俺の肩に自分の頭を預けた。
「ごめん、ちょっとだけ。ちょっとだけでいいから……」
俺は、大きくため息をついて。
「ああ……」
と短く応えて、滉介を受け入れた。
俺も、滉介の頭に自分の頭を寄せて、くっつける。
あとはただただ、キャンプファイヤーを二人で眺めるだけだった。
無駄な言葉はいらない。
この空気、雰囲気に浸り続けて。
時間が許される限り、俺たちはひっそりと、お互いを支え合った。
13:
林間学校三日目。最終日。
俺たちは午前中に下山して、地元の土産屋たちの町中で自由時間を与えられた。
始まって、生徒たちがまばらに移動し始めた中を、俺はまず滉介を探す。
「あ、いた! ユースケ!」
どうやら滉介も俺を探していたらしい。
二人で同じ事を考えて、探していた。
今度は別れ別れになる事はなく、二人で回ることにした。
「ねえねえユースケ! 木刀! 木刀あるよ!」
何で土産屋にはいつも木刀があるのだろうか?
「いらねーよ。今更木刀なんてさ」
「あとこれ! これこれ! 剣に竜が絡みついているキーホルダー! コレなんて言うんだっけ?」
「知らねーよ」
俺は苦笑した。
「こっちは漬物! 漬物があるよ! 買おう買おう!」
あっちこっちあっちこっちと、忙しないな。まったく。
「漬物か、それはアリかもな」
「あと翔子と響子ちゃんへのお土産は何がいいかな! かな!」
昨日のことは嘘だったかのような、滉介のはしゃぎっぷり。
――きっと、滉介の子のこのノリについていけるのは、俺だけだろうな。
「土産っつったら、食べ物がいいんじゃないか? 何か甘い物でも」
「甘い物ボクも食べる!」
「じゃあお前の分も必要だな」
土産物を買いあさりながら、時には冷やかしてみたり、ちょっとした茶屋に入って和菓子とお茶を堪能して……。
ようやく俺は、『楽しい』と、この林間学校で思えるようになった。
「次はあっち! あっち行ってみようよ! ユースケ!」
「はいはい、分かりましたよっと」
そして俺たちは、無事に林間学校を終えたのだった。
14:
林間学校が終わった翌日。
「シカッ!」
えーと。
何だアイツ? 変態か?
「シィィィィィィィィカ!」
何かよくわからんが、黒いジャケットと帽子を着こんだ一匹の鹿がいた。
グラウンドで踊っている。
だが、どこかで見覚えのあるダンス。
しかもなんだか、見え辛いぞ? 目がおかしくなったのか?
目をこするも、どう形容したらいいのか分からない。
「あれは! 半透明のマイケル・シカじゃないか!」
「半透明の誰だってぇ!」
俺のツッコミも無視して来栖川が説明を始めた。
「あれは、シカ・仙人が、激しい修行の末に幽体離脱を自由にできるようになった……その分霊体だ」
「もう鹿って人類を超越してないか?」
「しかも、みろよ……あの自然な二本足を」
「鹿が二本足で踊っているところがもう不自然なんだが!」
「あの見事な二本足の立ち方は、『鹿五勇傑』の証でもある。ランクはURどころじゃない……」
「ええ……あんな一発屋みたいな変態の鹿が、他に四匹もいるのか?」
「今回は、滉介でも倒せないかもしれない」
「マジか? 滉介、止めておいた方がいいんじゃないか? 別に踊っているだけで危害を加えているわけでもないし」
「ううん。せっかくの挑戦だもん。きっと厳しい戦いになるかもしれなくても、ボクは正々堂々と戦うよ」
「本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫! 今日はスカートの下にスパッツ履いてるから!」
滉介がスカートを自分でめくってスパッツを見せた。
「それは一定層に需要があるからダメー!」
俺はめくられた滉介のスカートをはたいた。
「お、男の娘のスパッツ……はぁはぁ」
来栖川が興奮している。
「ほら見ろ需要があった!」
「とにかく、行ってくるね!」
滉介が窓からグラウンドへ飛び出した。
「シカ?」
「さぁて、いっちょやろうか! 半透明のマイケル・シカ!」
滉介が半透明のマイケル・シカと向き合って、飛び出すように間合いの中を急接近した。そして滉介が拳を突き出す。
「ありゃ?」
滉介の拳が、半透明のマイケル・シカの体をすり抜けた。
「わっとととととっと……」
そのまま滉介の体が問すり抜けて、つんのめって転びそうになる。
体勢を立て直して滉介が振り向くと。
「ホォウウウウウ! シカァ!」
鹿の拳、もとい、日詰が滉介の胸に命中した。
「うわっ! 重い……」
滉介が後ろに跳躍して半透明のマイケル・シカから距離をとる。
「滉介の攻撃がすり抜けて、マイケル・シカの方の攻撃が当たったぞ!」
「そりゃそうだ」
来栖川が解説する。
「あれはシカ・仙人の分霊体。つまり幽霊みたいなものだ。こっちの攻撃がすり抜けて、蹄の部分だけ実体化させて攻撃を当てているんだ」
「そんな馬鹿な。それってほぼ無敵じゃないか!」
「あああそうだよ。だから鹿五勇傑の一匹の座にいるんだ」
「幽霊……はっ!」
俺はあることを思いついた。
「滉介! 少しだけ待っていろ!」
おれは滉介へそう叫んで、廊下を走った。
「待ってろよ滉介!」
俺が走って向かった先は、
家庭科室だった。
ドアをがらりと乱暴に開けて、棚の中からソレを探し出す。
やっぱりあった。
「よし、これならきっと」
それを持って、また来栖川の元へ戻る。
そして窓から落ちそうになるほど身を乗り出して。
「滉介、これを受け取れ!」
俺は手に持っていた物を滉介へと投げた。
防戦一方の滉介が気づいてくれて、俺の投げた物をキャッチするために動いた。
滉介が手にしたものは。
「これは……伯方の塩!」
「塩を奴に投げるんだ!」
「よおっし! てりゃー!」
半透明のマイケル・シカへ塩がばら撒かれる。
だが、半透明のマイケル・シカは、塩をかぶっただけで、何のダメージもない。
「滉介、いくら幽体だからって、ただの塩じゃダメージはないぞ!」
「いいや、効いてくれたら大助かりだったが、狙いはこれでもいい! 滉介! そのまま攻撃するんだ!」
「うん! てりゃー!」
すると――
「シカァ!」
滉介の拳がすり抜けることなく当たった!
「なんで? 当たった!」
「おう、こっちが狙いだったのさ。滉介! 半透明のマイケル・シカは見ての通りに塩まみれになった。つまり、塩はすり抜けなった! だからその塩を仲介して、攻撃が当たるようになったんだ!」
「そっか、ユースケ頭いい!」
滉介が、さらに蹴りを花って戀即して散発叩きこむ。
これで状況は同じになった。滉介がまともに戦える。
だが――
「フォウォウ! シカァァァ!」
半透明のマイケル・シカが、とんでもない動きを見せた。
「なにこれ! 六体に増えた!」
滉介を中心に円を描いて、半透明のマイケル・シカが六体に増えた。
「ムーンウォーク残像拳だ!」
来栖川が叫んだ。
「それが半透明のマイケル・シカの必殺のムーブ! 超速でのムーンウォーク! あまりの速さに複数の残像が見えるんだ!」
「ええ! どうすればいいの!」
滉介がどれを狙ったらいいかわからず、あっちこっちで構えの向きを変える」
「…………」
俺はふと、その様子を見て、ある疑問が浮かんだ。
「残像拳ってさ、すごい速さで残像が見えるほどああやって円を描いて回っているんだよな?」
「だから厄介なんだよ! だって鹿のトップオブトップの五勇傑なんだぞ!」
来栖川が説明するも、俺はどうも腑に落ちなくて、つい言葉を漏らしてしまった。
「あの残層拳って、六つに見える……つまり六個のポイントに超高速で移動してるんだったら、その六つに見える残層のどれに攻撃しても当たるんじゃないか?」
「あ」
「あ」
「あれ?」
来栖川と滉介が刃っとなって気が付き、それに気が付いてなかった二人に疑問符を投げる。
「とうっ! くらえ! イナズマキーーーーーック!」
滉介が即座に飛び上がって、雷鳴直下のような蹴りを、半透明のマイケル・シカの残像の一つに食らわせた。
「あ、やっぱり命中した」
予想通りというか疑問の通り、残像はすべて本体と同じだった。
「シカァアアアアア!」
ちゅどーん!
半透明のマイケル・シカが爆発して消え去った。
「今回もボクの勝ち! って言いたいけど……ユースケ! ありがとー!」
滉介がこっちに向かって手を振ってくる。
俺も親指を出した拳を突き出した。
「まさか、こんな形で鹿五勇傑の一人を倒すなんて……」
来栖川が唖然としている。
勝者。俺のファインプレーで滉介の勝ち。
だが、この勝利がやがて、本当の激選への始まりでしかなかった。




