第66話 わたしの数字が、生きる場所
王都からの、誘いは、正式な、書状として、届いた。
差出人は、王立会計院。そして、いくつかの、有力な、貴族家。内容は、どれも、破格の、ものだった。会計院の、要職に、迎えたい。王都に、屋敷を、用意する。国の、財政に、関わる、大きな、仕事を、任せたい。……かつて、無能と、追い出された、令嬢に、いまや、王都は、こぞって、栄達の、扉を、開いて、見せていた。
「すごい、話ですね」マレナが、書状を、覗き込んで、目を、丸くした。「会計院の、お偉いさんに、なれるんですか? 王都で?」
「なれる、みたいね」わたしは、静かに、言った。
それは、確かに、名誉な、話だった。数字を、読む者として、これ以上の、栄達は、ない。国の、中枢で、その力を、振るう。多くの、人が、羨む、地位だった。かつての、わたしなら、飛びついたかも、しれない。認められたくて、必死だった、あの頃の、わたしなら。
だが、いまの、わたしの、心は、少しも、揺れなかった。
「ロザリンドさん」わたしは、査察官を、見た。彼女は、この、誘いを、伝える、使いも、兼ねていた。「せっかくの、お話ですが。……お断り、しようと、思います」
ロザリンドは、少し、驚いたようだった。だが、すぐに、静かな、表情に、戻った。
「理由を、聞いても」
「わたしの、数字が、いちばん、生きる場所は」わたしは、迷いなく、言った。「王都では、ありません。あそこです。辺境ヴェント領。……わたしが、育てた、居場所です」
わたしは、窓の外の、辺境を、見た。
「王都で、国の、財政を、扱うのも、大きな、仕事でしょう。でも、そこでの、わたしは、大きな、数字の、一部を、動かす、歯車の、一つに、すぎません。……辺境では、違います。ここでは、わたしの、数える、一つ一つの、数字が、目の前の、人の、暮らしに、直に、つながっている。この、麦を、こう、配れば、あの家の、子が、飢えない。この、関所を、こう、変えれば、あの、宿場町が、栄える。……数字の、向こうに、いつも、顔が、見える。それが、わたしには、何より、大事なんです」
「大きな、舞台より」ロザリンドが、言った。「顔の、見える、場所を、選ぶ、と」
「はい」わたしは、頷いた。「それに――ここには、わたしの、大切な人が、います。守りたい、土地が、あります。慕ってくれる、人たちが、いる。……わたしは、もう、認められるために、生きているのでは、ありません。守りたいもののために、生きています。だから、王都の、栄達より、辺境の、暮らしを、選びます」
言いながら、わたしは、しみじみと、思った。かつて、わたしは、居場所を、持たない子だった。あの家に、いても、いなくても、同じ。誰にも、必要とされず、愛されることも、諦めていた。愛されないのが、普通だと、思っていた。
その、わたしが、いま、自分の、意思で、居場所を、選んでいる。栄達という、大きな、扉を、断ってまで、この、小さな、辺境を、選んでいる。それは、生まれて初めて、自分の、人生を、自分で、選ぶ、という、ことだった。誰かに、決められるのでも、押し付けられるのでも、なく。
「わたしは」わたしは、静かに、言った。「ここに、残ります。辺境に。わたしの、数字が、生きる場所に」
ロザリンドは、しばらく、わたしを、見つめていた。それから、深く、頷いた。惜しむような、けれど、その、選択を、尊ぶような、まなざしだった。
「……あなたらしい、答えです」ロザリンドは、言った。「会計院は、惜しむでしょう。でも、私は、あなたが、そう、答える気が、していました。あなたにとって、記録は、権力の、道具では、なく、人を、守る、手段でしたから。……人を、守れる場所に、いたい。それが、あなたの、答えなのですね」
「はい」わたしは、微笑んだ。「でも、会計院とは、これからも、手を、組ませてください。辺境と、会計院。正しい記録を、信じる者同士。離れていても、同じ、志で、繋がっていられます」
「もちろんです」ロザリンドが、初めて、はっきりと、微笑んだ。「盟友として。……いつでも、辺境を、訪ねます」
こうして、わたしは、栄達の、扉を、静かに、閉じた。惜しくは、なかった。むしろ、清々しかった。自分の、人生を、自分で、選んだ、その、清々しさだった。
その、やり取りを、傍らで、聞いていた、ヴァレンが、あとで、そっと、言った。
「良かったのか。……王都なら、もっと、大きな仕事が、できただろう。俺は、あんたを、こんな、辺境に、縛り付けて、いいのかと」
「縛り付けられて、なんか、いません」わたしは、首を、振った。「わたしが、自分で、選んだんです。……ヴァレン様。わたしは、あの家で、ずっと、居場所を、探していました。どこにも、なかった。誰も、いてほしいと、言ってくれなかった。……でも、あなたは、言ってくれた。ここに、いてくれ、と。生まれて初めて、必要とされた、その場所を、どうして、手放せますか」
ヴァレンは、その言葉に、言葉を、詰まらせた。そして、ぶっきらぼうに、「……そうか」とだけ、言って、目を、そらした。その、耳が、赤かった。
わたしは、少し、笑った。この、不器用な、人の、そばで、生きていく。それが、どんな、栄達より、わたしの、望んだ、幸せだった。
辺境で、生きる。その、決意を、胸に。わたしには、まだ、ヴァレンに、返していない、答えが、一つ、あった。共に、生きる、という、あの、約束の、その先の、答えが。それを、そろそろ、自分の、口から、はっきりと、告げる、ときが、来ていた。




