第50話 耐えた方が、勝つ
王立会計院が、ハルバ商会への、総査察を、正式に、決定した。
その報せは、辺境に、静かな、けれど、確かな、興奮を、もたらした。長い、追跡の、末に、集めてきた、証拠が、ついに、公の、力を、動かした。ハルバの、悪事に、国家の、査察の、光が、当てられる。それは、これまでで、いちばん、大きな、前進だった。
「ですが」ロザリンドが、慎重に、言った。「油断は、できません。総査察が、決まったからといって、明日、ハルバが、倒れるわけでは、ありません。査察には、時が、かかる。その間、ハルバは、必死に、証拠を、隠し、抵抗し、こちらを、潰しにかかるでしょう。……追い詰められた、獣が、いちばん、危ない」
「わかっています」わたしは、頷いた。「向こうは、査察が、進む前に、辺境を、潰したい。証拠の、大元である、この辺境を。だから、封鎖と、武力の、圧力を、最後の、力を、振り絞って、強めてくるはずです。総査察の、結論が、出るまで――辺境が、持ちこたえられるか。それが、勝負の、分かれ目です」
わたしは、卓に、向かった。決戦の、資金計画を、組むためだ。
これまでの、日繰りとは、違う。総査察の、結論が、出るまで、どれだけ、かかるか。その間、ハルバが、圧力を、最大に、してきたら、辺境は、いつまで、持つか。すべての、数字を、洗い直し、最後の、一日まで、持ちこたえる、算段を、立てる。
「守る、攻める、備える」わたしは、これまで、崩さずに、取っておいた、備えの山を、指した。「この、いちばん、大事な、備えを、いよいよ、いま、使います。ずっと、手を、つけずに、取っておいた、最後の、蓄え。これが、決戦の、最後まで、辺境を、支えます」
わたしは、計算を、進めた。備蓄。代替交易路からの、細い供給。味方の領の、支援。そして、最後の、備え。すべてを、合わせて、辺境が、どこまで、耐えられるかを、はじき出す。
やがて、その、答えが、出た。
「持ちます」わたしは、静かに、しかし、確信を、こめて、言った。「総査察の、結論が、出るまで。ハルバが、どれだけ、圧力を、強めても、辺境は、耐えられます。ぎりぎりですが、耐えきれます。……ここから先は、耐えた方が、勝ちます。そして、こちらは、耐えられます」
「なぜ、こちらが、耐えられて、向こうが、耐えられないと」ヴァレンが、尋ねた。「向こうは、大商会だ。金は、こちらより、はるかに、多い」
「金の、多さでは、ありません」わたしは、答えた。「向こうは、いま、無理を、重ねています。買い占めで、大損し、伯爵に、兵の金を、注ぎ、封鎖を、続け、査察に、抵抗する。出ていく金ばかりで、入ってくる金が、ない。大きな体を、無理に、動かし続けて、日ごとに、痩せている。……こちらは、細くても、鉱山と、交易で、稼ぎが、ある。入ってくる金が、ある。痩せていく者と、細くても、太っていく者。長く、続ければ、必ず、こちらが、上回ります」
「入りと、出の、差、か」ヴァレンが、唸った。
「はい。どんなに、大きな、蓄えも、出るばかりで、入らなければ、いつか、尽きます。逆に、小さくても、入りが、出を、上回れば、いつまでも、続く。……ハルバは、いま、自分の、蓄えを、燃やして、辺境を、脅している。脅せば、脅すほど、自分が、痩せる。だから、耐えるだけで、こちらが、勝つんです」
その言葉に、ヴァレンも、ギースも、ロザリンドも、深く、頷いた。
「思えば」ギースが、しみじみと、言った。「一年と少し前、この辺境は、死にかけて、おりました。飢えて、諦めて、なすすべも、なく。……それが、いまや、大陸一の、大商会と、国家の、査察を、賭けて、渡り合っている。奥方様が、来てくださらなければ、考えられぬことで」
「わたし一人の、力では、ありません」わたしは、首を、振った。「あなたが、赤字でも、正直に、帳面を、つけ続けてくれた。ヴァレン様が、剣で、守ってくれた。マレナが、町の声を、運んでくれた。ロザリンドさんが、公の、力を、貸してくれた。近隣の領が、恩を、返してくれた。……わたしは、ただ、皆さんの、力を、数字で、一つに、束ねただけです。数字は、一人では、何も、できません。人が、いて、初めて、力になる」
その夜。決戦を、前にして、わたしは、城の、高い窓から、辺境を、見下ろした。
封鎖に、耐える、静かな、町。灯りが、ぽつ、ぽつと、ともっている。あの、一つ一つの、灯りの下に、暮らしが、あり、明日を、数える、人が、いる。一年前、闇に、沈んでいた、この土地に、いまは、確かな、灯りが、ある。それを、守るために、ここまで、来た。
隣に、ヴァレンが、立った。傷は、もう、ふさがりかけていた。
「怖いか」ヴァレンが、尋ねた。
「いいえ」わたしは、首を、振った。「不思議と、怖くありません。備えは、してきました。味方も、います。証拠も、揃った。そして――」わたしは、ヴァレンを、見た。「隣に、あなたが、いる。もう、一人で、綱を、渡るのでは、ありません。だから、怖くない」
ヴァレンが、静かに、頷いた。その手が、そっと、わたしの手を、握った。
「明日から」わたしは、静かに、言った。「封鎖の、最後の、圧力と、総査察が、同時に、動き出します。辺境の、運命も、ハルバの、運命も。そして――王都で、わたしを、追い出した、あの家々の、運命も。すべてが、これから、決まります」
長い、我慢の、冬の、果て。ようやく、決着の、季節が、近づいていた。わたしは、握られた手を、握り返し、静かに、その、夜明けを、待った。震える必要は、ない。こちらの、帳簿は、正直で、こちらには、耐える力と、共に、立つ人が、いる。




