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捨てられた会計令嬢、実家の粉飾ごと縁を切って辺境へ嫁ぎます ~数字は嘘をつきません。あなた方と違って~  作者: ヲワ・おわり


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第4話 傾いた辺境の帳簿

全70話完結予定です。毎日5話、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に更新します。

面白い、続きが気になると思っていただけましたら、評価・ブックマークで応援していただけると励みになります。

北へ向かう馬車の旅は、十日かかった。


進むほどに、土地は痩せていった。畑は雑草に覆われ、村の家々は屋根が抜け落ちたまま放られている。すれ違う領民の目は、どれも地面を向いていた。飢えと、諦めの匂いが、風に混じっていた。豊かな土地のはずなのに、人の手が回っていない。手が回らないのは、金が回っていないからだ。


「これが、ヴェント領だ」


隣で、ヴァレンが低く言った。恥じるような、それでいて守ろうとするような、複雑な声だった。この人は、この荒れた土地を、それでも愛しているのだと、その声でわかった。


辺境伯の城は、石造りの古い砦だった。壁のあちこちが崩れ、修繕の跡もない。門をくぐると、白髪の老人が転がるように駆けてきた。


「お帰りなさいませ、旦那様! そして――奥方様!」


「家令のギースだ」とヴァレン。


ギースは目を潤ませて、わたしを見上げた。「まさか本当に、帳簿の読めるお方を、連れて戻られるとは……。長生きは、してみるものでございますなあ」


その言い方に、この城がどれほど追い詰められているかが、そのまま表れていた。人は、崖の縁に立って初めて、こんなふうに、見知らぬ他人に縋る。


「さっそくですが」わたしは旅装のまま言った。「帳簿を、見せていただけますか。表も、裏も、全部」


ギースは目を丸くしたが、すぐに何冊もの帳簿を運んできた。埃をかぶったもの、途中で放り出されたもの、数字が途切れたまま止まっているもの。管理の断念の跡が、そのまま積み上がっていた。


わたしは椅子に座り、一冊ずつ、順に開いていった。


数刻。灯りが一本、燃え尽きるほどの間、わたしは黙って数字を追い続けた。ギースが何度もお茶を淹れ直し、ヴァレンは壁にもたれて、腕を組んだまま、じっとこちらを見ていた。急かしはしなかった。それが、少しありがたかった。


やがて、わたしは顔を上げた。


「傷は、大きく三つあります」


二人が、息を呑んだ。


「ひとつ。関所の交易税が、記録の半分も入っていません。徴収の仕組みそのものが、壊れています。ふたつ。鉱山が休眠したまま放置されています。掘れば金になるはずのものを、眠らせている」


「三つ目は」ヴァレンが、低く促した。


「一番大きな、出血です」わたしは、革紐で束ねられた借用証を、指で軽く叩いた。「この借金の、利払い。毎月、領の収入の、半分近くが、ここから流れ出ています。ほかの傷をどれだけ塞いでも、この血を止めなければ、辺境は、遠からず死にます」


ギースが青ざめた。「その、利払いは……先代の頃からのもので、もう、どうにもならぬものと、皆、諦めておりまして……」


「どうにもならない借金は、ありません」わたしは言った。「ただ、条件が、ひどすぎるだけです。これは、普通の貸し方ではありません」


利率も、返済の取り決めも、相場から大きく外れていた。まるで、借り手が返せなくなるように、初めから仕組まれているかのような。まっとうな商人は、こんな契約を結ばない。返してもらって利を得るのが商いだ。返せなくして、まるごと奪うのは――商いではなく、狩りだ。


「貸し手は、どこですか」


ギースが、口ごもりながら答えた。


「……ハルバ商会、でございます」


三たび、その名前だった。王都のダルク家。ヴァレンの縁組の条件書。そしてこの、辺境を静かに蝕んでいる借金。すべての糸の先に、同じ名前が、結ばれている。


偶然にしては、多すぎる。


「ギース」わたしは尋ねた。「この借金を結んだとき、先代は、どんな様子でしたか」


老家令は、しわの寄った手を握りしめた。「……あの頃、領は不作続きで、税が入らず、苦しんでおりました。そこへ、ハルバ商会が、渡りに船と、金を貸してくださって。先代は、これで領民を飢えさせずに済む、と。ほっとした顔をしておられました。まさか、その金が、こんな首輪になるとは、誰も……」


渡りに船。苦しいときに、都合よく現れる貸し手。飢えという弱みにつけこんで、返せない条件を、感謝とともに呑ませる。まるで、溺れる者に、鉛の浮き輪を売るように。


「先代は、だまされたのではありません」わたしは静かに言った。「追い込まれて、選ばされたんです。飢えか、借金か。人は、飢えを前にすると、その先の首輪が見えなくなる。それを、見越されていた」


ヴァレンの拳が、かたく握られた。「……兄は、領民のために、その首輪を、自分の首にかけたのか」


「はい。そして、その重みで、倒れられたのだと思います」


しばらく、部屋に沈黙が落ちた。窓の外で、風が崩れた壁を鳴らしていた。


わたしは借用証をそっと閉じ、膝の上に置いた。窓の外で、痩せた領民が水桶を運んでいる。あの人たちの飢えの、ずっと向こうに、一つの商会の影が、長く伸びている気がした。


「まずは、出血の一番大きな傷から、止めます」わたしは言った。「ただ、いきなり借金には手を出せません。交渉には、こちらの手札が要ります。だから先に、入ってくるはずのお金を、取り戻すところから始めます。時間はかかります。でも、道はあります。ここは、まだ、死んでいません」


ヴァレンが、ゆっくりと壁から背を離した。


「……頼む」


たった一言だった。けれど、その声には、これまで誰にも渡せなかった重荷を、初めて誰かと分け合える者の、かすかな震えがあった。


わたしは頷き、羽根ペンを手に取った。二度目の帳簿の、最初の一行。傾いた辺境の立て直しが、いま、静かに始まる。


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