第39話 もう、わたしの管轄では
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王都から、届く噂は、日ごとに、生々しく、なっていった。
査察を、受けた、二つの家は、見苦しいほど、取り乱している、という。とりわけ、ダルク子爵家の、リオネル。かつて、わたしの、婚約者だった、あの人は、責任を、逃れることに、必死だった。
「粉飾は、自分は、知らなかった。すべて、家令が、勝手に、やったことだ」。リオネルは、そう、言い張っているらしい。だが、当主が、家の、金の流れを、知らなかった、で、済むはずが、ない。会計院は、当然、それを、認めない。追い詰められると、今度は、妹に、いや、周りの、誰彼に、責任を、なすりつけ始めた。
「あの人らしい」わたしは、便りを、読んで、静かに、言った。「困ったときに、自分の、頭で、考えて、道を、探すのでは、なく、まず、誰かの、せいに、する。……昔から、そうでした」
思えば、婚約者だった頃から、リオネルは、そういう人だった。うまくいかないことは、いつも、他人の、せい。数字が、合わないのも、帳簿方の、せい。自分は、悪くない。その、根っこは、何も、変わっていなかった。ただ、今回は、なすりつける相手が、いない。粉飾の、証拠は、数字として、はっきり、残っている。誰の、せいにも、できない。
そして、セシリア。
わたしから、婚約者も、居場所も、奪っていった、後妻の連れ子。あの人の、様子も、噂に、なっていた。家計を、立て直そうと、するのだが、そもそも、帳簿が、読めない。どこから、手を、つければ、いいのかも、わからない。使用人に、当たり散らし、宝飾を、売って、その場を、しのごうとするが、焼け石に、水。査察官の、前で、まともに、説明も、できず、ただ、震えている、という。
「気の毒に、なりますか」ロザリンドが、尋ねた。
「いいえ」わたしは、正直に、答えた。「不思議と、何も、感じません。あの人が、いま、味わっているのは、かつて、わたしが、味わっていたものです。数字が、読めないのに、家の、金を、預かる、恐ろしさ。合わない帳簿を、前に、途方に暮れる、心細さ。……ただ、わたしには、それを、読む力が、あった。あの人には、なかった。それだけの、違いです」
わたしは、あの家で、たった一人、崩れそうな帳簿を、必死に、縫っていた、日々を、思い出した。誰にも、感謝されず、それどころか、疎まれながら。あの、心細さを、いま、セシリアが、味わっている。皮肉な、ものだった。彼女が、下働きの仕事と、蔑んだ、その仕事の、重さを、いまになって、その身で、知っている。
マレナが、王都の便りを、覗き込んで、頬を、ふくらませた。
「あたし、その、セシリアって人、許せません。奥方様を、追い出したくせに。自業自得ですよ、そんなの」
「マレナ」わたしは、少し、笑った。「怒ってくれて、ありがとう。でも、わたしは、もう、怒る気力も、ないの。あの人たちのことを、考える時間が、もったいない。それより、この辺境の、明日を、数えるほうが、ずっと、大事だから」
「奥方様は、優しすぎます」マレナが、むくれた。
「優しいのでは、ないわ」わたしは、首を振った。「ただ、済んだことに、心を、使わないだけ。過ぎた数字は、もう、動かせない。動かせるのは、これからの、数字だけ。だから、そちらを、見るの」
「もう、わたしの、管轄では、ありません」わたしは、便りを、そっと、置いた。「あの家の、帳簿は、もう、わたしの、ものでは、ない。縫うのも、放っておくのも、わたしの、することでは、なくなりました。あとは、あの人たちが、自分の、まいた種を、自分で、刈り取るだけです」
それは、突き放した言葉のようで、そうでは、なかった。ただ、わたしは、あの家から、完全に、自由に、なった、というだけのことだった。もう、あの家の、綻びに、心を、痛めることも、責任を、感じることも、ない。育った家との、最後の糸は、とうに、切れていた。
そして、その、王都の、崩壊と、対照的に。
辺境は、静かに、確かに、豊かになっていた。
鉱山は、順調に、銅を、産み出し、関所は、賑わい、新しい交易路が、太くなっていく。人が、集まり、町が、栄え、税が、増える。ハルバに、大損を、負わせたことで、辺境の、評判は、むしろ、上がっていた。「あの、ハルバに、一泡、吹かせた、賢い辺境」。そんな噂が、良い形で、広がり、まともな、商人たちが、こぞって、辺境ルートを、使い始めた。
「同じ、一年で」わたしは、二つの、帳簿を、思った。「片方は、崩れ、片方は、栄える。同じ、数字の理が、正反対の、景色を、描いています。嘘を、つき続けた家は、崩れ。正直に、数えた土地は、栄える。……数字は、本当に、正直です」
わたしの、隣で、ヴァレンが、静かに、頷いた。この、対照的な、二つの景色こそ、わたしが、信じてきたものの、証だった。正直な帳簿は、崩れない。嘘の帳簿は、いつか、必ず、合わなくなる。それが、ゆっくりと、けれど、確実に、目の前で、証明されていく。
「あんたは」ヴァレンが、ぽつりと、言った。「あの家に、恨みを、ぶつけることも、できたはずだ。追い詰められた、今なら。とどめを、刺すことも。なのに、あんたは、指一本、動かさない」
「動かす必要が、ないんです」わたしは、静かに、答えた。「わたしが、何かをしなくても、数字が、勝手に、答えを、出してくれる。……それに、恨みを、晴らすために、力を、使うくらいなら、この土地の、明日のために、使いたい。そのほうが、ずっと、実りが、あります」
だが、勝ち筋が、見え始めた、その矢先。わたしは、ハルバの、不正の、核心に、あと一歩まで、迫っていた。二重の、担保。二重の、契約。その、全貌が、ようやく、輪郭を、現し始めた、まさに、その時。
追い詰められた、ハルバが、最後の、手段に、踏み切った。
辺境ヴェント領への、経済封鎖。ハルバと、グラス伯爵は、公然と、それを、宣言したのだ。




