第30話 息が続くほうが、勝つ
全70話完結予定です。毎日5話、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に更新します。
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ハルバとの、決裂は、辺境に、新しい、緊張を、もたらした。
いつ、どんな手で、来るか。買い占めの、再開か。グラス伯爵の、権威を使った、締め付けか。あるいは、もっと、直接の、荒事か。先が、読めない、というのは、それだけで、人の心を、すり減らす。
わたしは、その、漠然とした不安を、なくすために、まず、辺境の、すべての力を、書き出した。
金。人。物。武器。備蓄。関所。鉱山。街道。一つ一つを、紙に、並べる。そして、それを、三つの、山に、分けた。
「守る、攻める、備える」わたしは、ヴァレンと、ギースに、その三つの山を、示した。「長い戦いです。全部の力を、一度に、使っては、いけません。今すぐ、守りに、要るもの。反撃に、回すもの。そして、いざというときのために、手を、つけずに、取っておくもの。この、三つに、分けて、配ります」
「なぜ、分ける」ヴァレンが、尋ねた。「攻めるなら、全力で、攻めたほうが」
「短い戦いなら、そうです」わたしは、首を振った。「でも、これは、長期戦です。長く、続く戦いで、いちばん、大事なのは、途中で、息が、切れないことです。全力で、走れば、速い。でも、すぐに、倒れる。相手は、資本の海の中にいます。体力の、勝負なら、向こうが、上です。だから、こちらは、駆け足では、なく、長く、歩き続ける。息を、整えながら」
わたしは、備蓄の、山を、指した。
「向こうは、大きい。大きいから、一度に、大きな力を、出せます。でも、大きな力を、出し続けるには、大きな、餌が、要る。買い占めにも、伯爵を、飼うのにも、お金が、かかる。ハルバは、辺境一つを、潰すために、いつまで、その大金を、注ぎ続けられるでしょう。……向こうにも、限りが、あります」
「息の、続くほうが、勝つ、ということか」ヴァレンが、呟いた。
「はい」わたしは、頷いた。「派手な、一撃で、決着は、つきません。じわじわと、向こうの、無理が、積もっていって、ある日、支えきれなくなる。そのときが、勝負です。だから、こちらは、その日まで、倒れずに、いればいい。守りを、固く。攻めは、細く、確実に。そして、備えを、厚く。焦らず、息を、整えて、待ちます」
「一つだけ、約束してください」わたしは、二人を、見て、言った。「これから、向こうが、何を、仕掛けてきても、慌てて、蓄えに、手を、つけないこと。焦って、備えを、崩したら、そこで、負けます。相手は、こちらを、焦らせようと、してきます。わざと、揺さぶって、蓄えを、吐き出させようと。その手に、乗らない。何が、あっても、備えの山だけは、守る。……ここが、いちばん、大事な、約束です」
「わかった」ヴァレンが、力強く、頷いた。「揺さぶりには、乗らん。俺が、皆にも、徹底させる」
そのやり取りだけで、部屋の、空気が、変わった。何が来るか、わからない、という、漠然とした恐れが、何が来ても、こう構える、という、静かな、備えに、変わっていく。それこそが、資金配分の、いちばんの、効き目だった。数字は、金を、配るだけでは、ない。人の、心の、置きどころまで、配る。
わたしは、その方針で、辺境の力を、配り直した。守りには、最低限の、備蓄と、防備。攻めには、鉱山の、稼ぎと、新しい交易路。備えには、決して、手を、つけない、蓄えを、一つ。何が、あっても、崩れない、最後の、砦として。
ギースが、その配分表を、見て、感嘆した。
「まるで、長い、冬支度の、ようで、ございますな。今日、食べる分。明日に、回す分。そして、雪深い、二月のために、決して、手をつけぬ分」
「その通りです」わたしは、微笑んだ。「辺境の人は、長い冬を、越す知恵を、持っています。この戦いも、同じです。長い、冬を、越すように。焦って、蓄えを、食い尽くさなければ、必ず、春は、来ます」
その言葉に、ギースも、ヴァレンも、深く、頷いた。漠然とした不安が、こなせる大きさの、支度に、置き換わっていく。やるべきことが、見えれば、人は、落ち着く。恐怖は、いつも、見えないところから、生まれるのだから。
こうして、辺境は、長期戦の、構えを、整えた。守りを、固め、息を、整え、相手の、無理が、積もるのを、待つ。腰を、据えた、覚悟だった。
その、腹の据わった、静けさの中に。
一つの、思いがけない、報せが、届いた。
ギースが、一通の、書状を手に、いつになく、緊張した面持ちで、入ってきた。
「奥方様。……王立会計院が、動いた、との、報せです」
「会計院、が」わたしは、思わず、聞き返した。
王立会計院。国じゅうの、金の記録を、監査する、王国の、機関。正しい記録が、何より、物を言う、あの場所。その、会計院が、独自に、動き出したという。しかも、その、調べの手は、王都の、加害者家――そして、この、辺境の、双方に、伸びようとしている、というのだ。
なぜ、会計院が。誰が、何を、きっかけに。わたしには、まだ、その理由が、わからなかった。ただ、正しい記録を、重んじる、あの機関が、動き出したのなら――それは、嘘で、塗り固めた者にとって、最も、恐ろしい、影のはずだった。
そして、数日後。辺境の、城門に、一台の、簡素な、けれど、隙のない、馬車が、着いた。
降りてきたのは、灰色の、制服に身を包んだ、若い、女だった。感情の、読めない、硬質な目が、まっすぐに、城を、見上げる。
「王立会計院、査察官。ロザリンドと、申します」女は、抑揚のない声で、名乗った。「こちらの、帳簿を、検めさせていただきます。……奥方、アデル様。まずは、あなたの、記録から」
その、鋭い目は、辺境の敵にでは、なく、まず、わたし自身に、向けられていた。




