第21話 市場は、嘘をつかない
全70話完結予定です。毎日5話、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に更新します。
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資材の値が、ひと晩で、倍になった。
その報せを受けて、わたしが真っ先にしたのは、慌てて買い付けに走ることでは、なかった。市場の、値そのものを、読むことだ。
わたしは、マレナを走らせて、辺境じゅうの店の値を、書き出させた。麦、豆、塩、木材、鉄、釘。この三日で、それぞれが、どれだけ動いたか。そして、それを、じっと、見比べた。
すぐに、おかしなことに、気づいた。
「値の上がり方が、揃いすぎています」わたしは、その一覧を、ヴァレンに示した。「もし、本当に、物が足りなくて上がっているなら、上がり方は、品によって、ばらつくはずです。よく使う麦は、早く上がる。あまり使わない釘は、ゆっくり上がる。なのに、ぜんぶが、同じ日に、同じくらい、いっせいに、上がっている」
「それが、どういう意味だ」
「自然な品薄では、ありません」わたしは言った。「誰かが、一つの意思で、いろいろな品を、まとめて、買い集めている。一人の手が、市場の裏で、動いている証拠です。値は、口では、嘘をつけます。でも、動き方は、嘘をつけません。市場は、正直です。誰が、何をしているかを、値の動きが、勝手に、語ってしまう」
わたしは、卓に、もう一枚、紙を広げた。今度は、値だけでなく、それぞれの品の、売れ残りの量――問屋に、どれだけ在庫が残っているかを、書き出したものだ。
「見てください。値が、これだけ上がっているのに、問屋の棚は、からっぽです。ふつう、値が上がれば、売り手は、高く売ろうと、品を、出し惜しみして、棚に、少し残す。なのに、棚に、何も、ない。値が上がって、品も消えた。この二つが、同時に起きるのは、一つのときだけです」
「一つの、とき」
「誰かが、上がる前に、こっそり、全部、買い占めていたときです」わたしは、紙の端を、指で叩いた。「先に、静かに、根こそぎ買う。買われて、棚が空く。空いたから、値が、跳ね上がる。順番が、そうなっているんです。値が上がったから買い占めたのではない。買い占めたから、値が、上がった」
わたしは、その手の主が、誰かを、言うまでもないと思った。ヴァレンの顔にも、同じ名が、浮かんでいた。
「ハルバか」
「ほぼ、間違いなく」わたしは頷いた。「借り換えを蹴られ、正面からは、崩せないと悟った。だから、搦め手に、切り替えたんです。物を、買い占めて、値を吊り上げる。わたしたちが、再建に使うはずだった金を、高い買い物で、枯らそうとしている。剣を抜かずに、こちらの兵糧を、断つやり方です」
マレナが、息を切らして、また、駆け込んできた。
「奥方様! 町の商人さんたち、みんな、困ってます。仕入れたくても、問屋に、物がないって。『どこかの大口が、根こそぎ持っていった』って、口々に」
「根こそぎ、ね」わたしは、静かに、繰り返した。やはり、だ。ふつうの商いなら、根こそぎ買うことはしない。売れ残れば、損になるからだ。それを、あえて、根こそぎ買う。損を承知で。それは、儲けのためではなく、こちらを、締め上げるための、買い占めだった。
「奥方様」ギースが、青い顔で言った。「このままでは、鉱山の道具も、街道の普請の材も、手に入りません。せっかくの再建が、始まる前に、止まってしまいます。今のうちに、高くても、買っておくべきでは」
もっともな、焦りだった。だが、わたしは、首を振った。
「それこそが、向こうの、狙いです」わたしは、はっきりと言った。「こちらが、慌てて、高値で飛びつけば、思う壺です。値が高いときに、大量に買えば、金は、あっという間に、底をつく。そうして、こちらの懐が空いたところへ、向こうは、また、優しい顔で、借金を、差し出してくる。飢えさせてから、パンを売る。いつもの、手口です」
ヴァレンが、低く、唸った。「では、指をくわえて、見ていろと」
「いいえ」わたしは、目を上げた。「見ているだけでは、負けます。ただ、向こうの、土俵の上で、競り合うのを、やめるんです。相手は、値を吊り上げる、その一点に、力を、注いでいます。ならば、こちらは、その値に、乗らない道を、探せばいい。同じ品を、同じ市場で、奪い合うから、高くなる。別の品、別の道なら、その競り合いは、始まりません」
「それに」わたしは、ふと、あることに気づいて、付け加えた。「向こうのやり方には、一つ、弱みがあります。根こそぎ買った物は、いつか、売らなければ、ただの、山のような荷物です。麦も、木材も、抱えているだけでは、傷むか、置き場に困る。買い占めるほど、向こうは、重たいものを、抱え込む。……いまは、こちらが、追い詰められています。でも、あの山は、いつか、向こう自身の、重荷に、変わります」
その一点を、わたしは、頭の隅に、しまい込んだ。いまは、まだ、手が届かない。けれど、相手が振り上げた腕が重いほど、下ろすときの、隙は、大きくなる。
言いながら、わたしの頭は、もう、次の手を、探し始めていた。ハルバが押さえたのは、この辺りの、いつもの市場だ。だが、必要なものが、その市場でしか、手に入らないとは、限らない。木材の代わりになるもの。近くの、小さな領で、余っているもの。ハルバの目が、届いていない場所。
「相手が、正面の門を、固めたなら」わたしは、地図に、目を落とした。「わたしたちは、裏の、細い道を、使います。買い占めは、市場に、物がある間だけ、効く呪いです。市場の外に出れば、その呪いは、届きません」
だが、その細い道が、本当に、あるのかどうか。まだ、わたしには、確信は、なかった。あるはずだ、という、読みだけだ。読みが外れれば、辺境の再建は、始まる前に、干上がる。
わたしは、地図の、市場から外れた、余白の町々に、指を、置いた。この空白のどこかに、買い負けない道が、ある。それを、明日から、探し出す。時は、ない。値は、今この瞬間も、じりじりと、こちらの首を、絞め続けている。




