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捨てられた会計令嬢、実家の粉飾ごと縁を切って辺境へ嫁ぎます ~数字は嘘をつきません。あなた方と違って~  作者: ヲワ・おわり


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第19話 耐えさせて、悪かった

全70話完結予定です。毎日5話、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に更新します。

面白い、続きが気になると思っていただけましたら、評価・ブックマークで応援していただけると励みになります。

冬が、ゆっくりと、緩み始めた。


備蓄をやりくりして越した冬は、一人の餓死者も、出さなかった。鉱山は動き出し、初めての銅が、麓へ運び下ろされていった。関所の人通りは増え、宿場町には、久しぶりに、行商人の声が、戻ってきた。


わたしは、その最初の稼ぎの一部を、領民に、還すことにした。


冬のあいだ、蓄えを分け合い、耐えてくれた人々へ。ヴァレンの名で、麦と塩と、わずかな銅貨を配る。城の広場に、久しぶりに、人が集まった。子どもたちが走り回り、老人が日向で笑う。ほんの一年前、飢えと諦めに沈んでいた土地とは、思えないほどの、明るさだった。


「奥方様のおかげです」と、頭を下げる人々に、わたしは、いつも、同じことを言った。「わたしは、数えただけです。頑張ったのは、皆さんです」。それは、謙遜では、なかった。本当に、そう思っていた。数字は、道を示す。けれど、その道を、実際に歩くのは、人の足だ。


配り終えた、夕暮れ。人々が家路につき、広場が、静かになった頃。わたしは、片づけをして、一人、ほっと、息をついた。


そこへ、ヴァレンが、歩いてきた。人前でも、二人きりでもない、その中間のような、静かな時間だった。


「終わったか」


「はい」わたしは、頷いた。「皆さん、喜んでくれました。よかった」


ヴァレンは、しばらく、暮れていく空を、見ていた。それから、こちらを向かずに、ぽつりと、言った。


「アデル。あんたが、この領に来て、一年だ」


「そう、なりますね」


「あんたは、この一年で、死にかけの領を、生き返らせた。借金の罠を見抜いて、鉱山を起こして、冬を越させて、兄の名まで、清めようとしてくれている」ヴァレンの声は、いつもより、低かった。「その、どれ一つも、俺には、できなかったことだ」


「あなたは、剣で、この土地を守ってこられました」わたしは言った。「わたしには、それが、できません。役割が、違うだけです」


「違う」ヴァレンが、静かに、首を振った。「俺は、守ると言いながら、何から守ればいいのかも、見えていなかった。敵が、剣で来るなら、戦える。だが、この土地を痩せさせていたのは、剣じゃなかった。数字だった。俺には、その敵が、見えなかった。あんたが来るまで、ずっと」


ヴァレンは、そこで、ようやく、こちらを向いた。その目は、まっすぐで、けれど、どこか、痛みを、こらえているようだった。


「あんたは、この一年、辛かったろう。追い出された家から、見も知らぬ辺境へ来て。頼る者も、いなくて。それでも、弱音一つ、吐かずに、ずっと、数字と、向き合い続けた」


「……それが、わたしの、役目ですから」


「役目でも」ヴァレンは、言葉を、区切った。「よく、耐えた」


その一言に、わたしの胸の奥で、何かが、小さく、揺れた。


「……いや」ヴァレンは、目を伏せ、言い直した。「違う。耐えた、じゃない。——耐えさせて、悪かった。俺が、もっと早く、あんたの荷の重さに、気づくべきだった。妻に、一人で、全部、背負わせて。俺は、それを、当たり前みたいに、見ていた」


耐えさせて、悪かった。


その言葉が、胸の、いちばん奥の、いちばん柔らかいところに、触れた。


わたしは、これまで、耐えることを、当たり前だと思ってきた。あの家でも、辛いのが、日常だった。誰も、それに気づかなかったし、気づいてほしいとも、思わなかった。気づかれないことに、慣れていた。だから、荷が重いなんて、自分でも、認めたことがなかった。


なのに、この人は、気づいた。わたしが、隠していたつもりの重さに。そして、詫びた。詫びる必要など、ないのに。


「……そんな」声が、うまく、出なかった。「あなたが、謝ることでは」


「いや」ヴァレンは、ゆずらなかった。「言わせてくれ。ずっと、言いたかった。あんたに、ちゃんと、伝えたかった。——ありがとう、じゃ、足りない。あんたが、来てくれて、この領は、救われた。俺も、だ」


俺も。その二文字が、なぜか、いちばん、胸を、締めつけた。


わたしは、うつむいた。目の奥が、熱くて、まともに、顔を、上げられなかった。誰かに、こんなふうに、正面から、認められたことが、これまで、一度も、なかった。頑張りを、当たり前ではなく、頑張りとして、見てもらえたことが。


「……ありがとう、ございます」


やっとのことで、絞り出した声は、みっともなく、震えていた。うまい返事なんて、何一つ、できなかった。ただ、その一言だけが、胸の奥から、こぼれ落ちた。


ヴァレンは、それ以上、何も言わなかった。ただ、わたしが、落ち着くまで、静かに、隣に、立っていてくれた。何も言わずに、そばにいる。その優しさが、どんな言葉より、深く、沁みた。


「みっともない、ところを」わたしは、目元を、そっと拭った。「お見せしました」


「みっともなくは、ない」ヴァレンが、ぶっきらぼうに言った。「泣くのは、ちゃんと、感じてる証だ。数字みたいに、割り切れないものを、ちゃんと、持ってる証だろう」


思いがけない言葉だった。数字を読む女が、数字みたいに割り切れないものを持っている。そう言われて、わたしは、なぜか、少しだけ、笑ってしまった。涙の残る目で、笑うのは、初めてだった。


「あなたは」わたしは言った。「口下手だと、皆さんおっしゃるのに。時々、とても、まっすぐなことを、おっしゃいます」


「……口下手だから、まっすぐにしか、言えないんだ」ヴァレンが、ぼそりと返した。「飾る言葉を、知らん」


飾らない言葉ほど、まっすぐ、届く。この人といると、わたしは、それを、何度も、思い知る。


空には、一番星が、ともり始めていた。わたしは、この温かい重みの名を、まだ、うまく、呼べなかった。けれど、もう、それが、居場所と呼ぶべきものだということは、わかっていた。


――だが、その穏やかな夜は、長くは、続かなかった。


翌朝。城門に、早馬が、駆け込んできた。ハルバ商会が、辺境じゅうの穀物と、資材を、一斉に、買い占め始めた。そういう、報せだった。


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