第14話 頭の中の帳簿
全70話完結予定です。毎日5話、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に更新します。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、評価・ブックマークで応援していただけると励みになります。
町のざわつきの正体を確かめるため、わたしはマレナを連れて、辺境の町を歩いた。城の窓から見ているだけでは、わからないことがある。人の暮らしは、帳簿に載る前に、まず、市場の匂いや、店先の声の中に、現れる。
「奥方様、こっちですよ! ここが、辺境で一番の八百屋です」
マレナは、すっかり案内役の顔で、先を歩く。町の人々は、はじめ、辺境伯の奥方が歩いていると気づいて、道の端に固まっていた。だが、マレナが親しげに手を振るのを見て、少しずつ、こわばりをほどいていった。
わたしは、店を一軒ずつ、覗いて回った。買うためではない。値を、見るためだ。
芋がいくら。豆がいくら。塩漬けの肉が、ひと塊でいくら。薪の束が、いくら。一つ一つを、頭の中の帳簿に、書きつけていく。そして、それを、去年の同じ時期の値と、重ねてみる。ギースに調べてもらった、古い記録の値と。
歩くほどに、頭の中の数字が、静かに、警告の色を帯びていった。
「奥方様、これ、味見しませんか」
干した木の実を、老いた店主が、はにかみながら差し出した。断るのも悪くて、一つ、口に含む。素朴な甘さが、じんわりと広がった。
「おいしい」わたしは、正直に言った。「これは、この辺りで採れるのですか」
「へえ、裏の山で。今年は、木の実だけは、豊作でしてな」店主は、しわだらけの顔を、くしゃりと崩した。「奥方様が来てから、関所が安くなって、行商が増えましてな。おかげで、こんな木の実まで、売れるようになりました。ありがたいことで」
その笑顔は、温かかった。だが、わたしの頭の帳簿は、その温かさの裏で、冷たい数字を、はじき出し続けていた。
木の実は、豊作。けれど、芋の値は、去年より二割、高い。豆も、塩肉も、じりじりと上がっている。人が戻り、町が賑わうのは、いいことだ。だが、食べる人が増えれば、その分、蓄えは、早く減る。そして、これから来るのは――冬だ。
雪が降れば、外から物は入りにくくなる。畑は眠る。あるものを、食いつなぐしかない。その、あるもの、が、足りるのかどうか。
「マレナ」わたしは、静かに尋ねた。「あなたの家では、この冬の蓄えは、足りそう?」
「ええ、うちは……たぶん、大丈夫だと思います」マレナは、少し考えて言った。「でも、そういえば、隣のおばあちゃんとこは、去年、途中で薪が切れて、寒い思いをしたって、言ってました」
一軒の、途中で切れた薪。それは、その家だけの話ではない。町ぜんぶで、同じことが起きかけているかもしれない、という兆しだった。
「そのおばあさんの家は、どこ?」わたしは尋ねた。マレナに案内されて、路地の奥の、小さな家を訪ねた。
出てきたのは、腰の曲がった老女だった。奥方が来たと知って、慌てて頭を下げようとするのを、わたしは、そっと押しとどめた。
「気になって、寄っただけです。どうか、そのままで」わたしは、土間の隅に積まれた薪に、目をやった。ひと冬を越すには、いかにも心もとない量だった。「薪は、足りていますか」
「へえ……まあ、なんとか」老女は、言葉を濁した。なんとか、という言い方を、わたしは知っている。足りない、と言えない人の、精いっぱいの見栄だ。
「無理をなさらないで」わたしは、静かに言った。「足りないなら、足りないと、言ってください。数えて、足りるように配るのが、わたしの仕事ですから。我慢は、数字には、出てきません。だから、我慢している人ほど、見落とされてしまう」
老女は、しわだらけの目を、少しだけ潤ませた。それから、小さな声で、「……ほんとは、心細うて」と、こぼした。その一言を引き出せたことが、わたしには、どんな帳簿の数字より、重い収穫だった。
わたしは、その日、家々の軒先を、注意して見て回った。積まれた薪の量。干された食料の多さ。子どもたちの、頬の色。一つ一つが、言葉より正直に、その家の蓄えを語っていた。にぎやかな表通りから一本入ると、蓄えの薄い家が、思ったより、多かった。
町は、確かに、明るくなった。人が戻り、笑い声が増えた。けれど、その明るさは、まだ、薄氷の上のものだ。この冬を越せなければ、取り戻したばかりの明日は、また、簡単に、崩れてしまう。
「奥方様、どうかしましたか」マレナが、覗き込んだ。「なんだか、難しい顔です」
「いいえ」わたしは、努めて、いつもの声で答えた。「いいものを、たくさん、見せてもらったわ。ありがとう」
嘘では、なかった。この土地の暮らしの手触りを、確かに、この目で見た。それは、どんな帳簿より、大切な数字だった。ただ、その数字が告げているものが、少しばかり、重かっただけだ。
城への帰り道、日が傾き、風が冷たさを増した。マレナが、寒そうに肩をすくめる。わたしは、羽織っていた外套を、そっと彼女の肩にかけた。
「え、そんな、奥方様が風邪をひきます!」
「わたしは、大丈夫」わたしは、微笑んだ。「あなたには、まだ、たくさん働いてもらわないと。町のことを、いちばんよく知っているのは、あなただから」
マレナは、外套の裾を、ぎゅっと握った。うつむいた頬が、夕日のせいだけではなく、赤かった。
「……あたし、奥方様のためなら、なんだってします」
その、まっすぐな一言が、なぜか、胸の奥を、ちくりと刺した。この子は、わたしのために、なんだってすると言う。町の人も、わたしを頼りにしてくれる。頼られるのは、悪くない。むしろ、生まれて初めて、必要とされている気がして、温かい。
けれど、と、ふと思う。わたしは、誰かを、頼ったことが、あっただろうか。困ったとき、誰かに、助けてと言えたことが。
城の灯りが見えてきた。その問いに、答えは出なかった。ただ、頭の帳簿の、冬の欄だけが、はっきりと、赤い印を点していた。備えが、足りない。近いうちに、蔵を、開けなければ。
その予感は、翌日、はっきりとした形になる。蔵の中身が、記録の数と、合わないという形で。




