第12話 掘る量より、運ぶ順番
全70話完結予定です。毎日5話、7:10/12:10/17:10/20:10/22:10に更新します。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、評価・ブックマークで応援していただけると励みになります。
翌朝、わたしは馬に揺られて、山あいの鉱山へ向かった。ヴァレンとギース、それに、昔ここで働いていたという老いた鉱夫が一人、道案内についてくれた。
坑道の入り口は、朽ちた木の柵でふさがれ、蔦に覆われていた。もう何年も、人の手が入っていない。冷たい風が、奥のほうから、かすかに吹き出してくる。
「先代の、そのまた先代の頃までは、ここで銅を掘っておりました」老いた鉱夫が、しわがれた声で言った。「けんど、途中でぱたりと、割に合わんくなりましてなあ。掘っても掘っても、赤字が出る。それで、閉じちまった」
「割に合わない、というのは」わたしは尋ねた。「掘れなくなったのですか。それとも、掘っても、儲からなくなったのですか」
鉱夫は、きょとんとした顔をした。「へえ……同じことでは?」
「いいえ」わたしは、首を振った。「まったく、違います」
城に戻ると、わたしは古い倉から、鉱山の記録をすべて引っ張り出した。埃をかぶった帳面が、何十冊も出てきた。採掘した量、雇った人の数、払った賃金、運んだ荷、売った値。閉山までの、すべての数字が、そこに眠っていた。
わたしは、それを、朝から晩まで、読み込んだ。
「奥方様、また根を詰めて」二日目の夜、マレナが、湯気の立つ器を運んできた。「そろそろ、目玉が帳面に貼りつきますよ。はい、あったかいうちに」
「ありがとう」わたしは、少しだけ手を止めた。器の中は、麦と豆の、素朴な粥だった。じんわりと、指先が温まる。「あなたは、もう休みなさい。遅いわ」
「奥方様が起きてるのに、あたしだけ寝られませんよう」マレナは、頬をふくらませた。「それに、なんだか、面白いんです。奥方様が古い帳面を睨んでると、死んだはずの山が、もぞもぞ動き出しそうで」
その言い方に、思わず、口元がゆるんだ。もぞもぞ動き出しそう。存外、悪くないたとえだった。数字の下には、確かに、まだ息をしている何かが、埋もれている気がした。
三日目の夜、原価の計算表が、ようやく形になった。わたしは、それを卓に広げ、ヴァレンとギースを呼んだ。
「わかりました」わたしは、表を指した。「この鉱山は、掘る力を失ったわけではありません。銅は、まだ十分に、埋まっています。閉じたのは――運び方が、まずかったからです」
「運び方?」ヴァレンが、眉を寄せた。
「はい。この記録を見てください」わたしは、輸送の欄をたどった。「昔は、掘った鉱石を、掘ったそばから、その日のうちに、麓まで運んでいました。荷車を、毎日、一台ずつ。少しずつ、何度も。この、少しずつ、が、命取りでした」
「なぜだ。まめに運ぶのは、よいことではないのか」
「量が少ないと、割に合わないのです」わたしは、数字を並べた。「荷車を一台出せば、御者の賃金も、馬の飼葉も、道の通行料も、同じだけかかります。荷が満載でも、半分でも、かかる費用は、ほとんど変わらない。なのに、昔は、半分どころか、三分の一ほどの荷で、毎日、車を出していた。運ぶたびに、損をしていたんです」
「なぜ、誰も、それに気づかなかった」ヴァレンが、低く呟いた。「これほど、はっきりした話を」
「たぶん、気づけなかったのではありません」わたしは、静かに答えた。「毎日、車を出すのが、当たり前になっていたからです。昨日そうしたから、今日もそうする。去年そうだったから、今年もそうする。一日一日の損は、小さい。小さすぎて、目に入らない。けれど、それが十年積もれば、鉱山を一つ、潰すほどになる」
わたしは、帳面の背を、そっと撫でた。
「毎日の当たり前を、一度、外から数え直す。それだけで、見えてくるものがあります。中にいる人には、見えない。悪気があったわけでも、怠けたわけでもない。ただ、慣れた道を、疑わなかっただけです」
ヴァレンは、何も言わずに、その帳面を見ていた。慣れた道を疑わなかった。その言葉が、鉱山だけの話ではないと、たぶん、この人も感じている。
ギースが、はっと目を見開いた。「では……まとめて運べば」
「そうです」わたしは頷いた。「掘った鉱石を、坑道のそばに、いったん貯めておく。荷車が満載になるまで待って、それから、一度に運び下ろす。回数を減らして、一回あたりを、たっぷりにする。ただ、それだけで、運ぶ費用は、三分の一以下に落ちます。同じ量の銅で、赤字が、黒字に変わります」
わたしは、表の下段に、二つの数字を並べて書いた。昔のやり方の、一年の損。新しいやり方の、一年の利。その差は、誰の目にも、はっきりしていた。
「掘る量を、増やす必要はありません」わたしは言った。「増やすのは、運ぶ順序と、まとめ方だけ。同じ山から、同じだけ掘って、運び方を変える。それで、この鉱山は、生き返ります」
ヴァレンは、しばらく、その二つの数字を、じっと見つめていた。それから、案内役の老鉱夫のほうを、振り返った。
「爺さん。もう一度、掘れるか。あの山を」
老いた鉱夫の目が、みるみる潤んだ。節くれだった手で、顔をこすり、何度も、何度も、頷いた。
「掘れます。掘れますとも。ここらの若い者にも、坑道の掘り方を、教えてやれます。……あの山を、もう一度、鳴らせるとは、思わなんだ」
その声の震えが、どんな計算表よりも、はっきりと、この決断の意味を語っていた。数字は、赤字が黒字に変わると告げる。だが、老いた鉱夫が取り戻したのは、黒字ではなかった。もう一度、若い者に何かを教えられるという、生きる張りのようなものだ。
「決めた」ヴァレンが、短く言った。「鉱山を、再開する。人手も、道具も、要るだけ回せ。ギース、段取りを」
「かしこまりました」ギースが、深く一礼した。
その夜、わたしは一人、計算表を仕舞いながら、ふと考えた。諦められていたものが、運び方一つで、生き返る。この辺境には、きっと、まだ、こういう「諦められただけの財産」が、あちこちに眠っている。誰も、正しく数えなかったから、死んだことにされているだけの。
けれど、そこまで考えて、わたしは、机の端に置いた地図に目を落とし、小さく息を吐いた。
掘れる。運べる。それはいい。だが、掘った銅を、いったい、どこへ、どの道を通して、売るのか。辺境から外へ出る交易の道。その道が、いま、誰の手に握られているのかを、わたしは、まだ確かめていなかった。




