第10話 再建の設計図
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ハルバ商会の使者が来る。その報せを受けて、わたしは、辺境の再建の、全体の設計図を描くことにした。
敵と向き合う前に、味方の足元を、はっきりさせておく必要がある。今、何ができて、何ができないのか。どこまで持ちこたえられるのか。それを、数字で、正確に。
わたしは、大きな紙を広げ、辺境の未来を、三本の柱で描いた。
「一つ目の柱は、借金の圧縮です」わたしは、ヴァレンとギースに説明した。「今すぐ全額は返せません。でも、利率の異常な部分については、契約の不当性を根拠に、交渉の余地があります。時間を稼ぎながら、少しずつ、首輪をゆるめます」
「二つ目は」
「稼ぐ力を、増やすこと。鉱山が、辺境の切り札になります。掘った鉱石を、ハルバを通さずに売る道を作れれば、大きな収入になる。そして三つ目は――」
わたしは、地図の上に、いくつもの点を打った。関所、宿場町、鉱山、畑。
「人と物の、流れを取り戻すこと。今、辺境の交易は、ハルバに握られています。でも、関所を安くして、人を呼び込めば、少しずつ、別の流れを作れる。流れが太くなれば、一つの商会に、握りきれなくなります」
「けれど、奥方様」ギースが、心配そうに口を挟んだ。「ハルバ商会は、大陸でも指折りの大商会。資本も、人脈も、桁が違います。この小さな辺境が、まともに張り合って、勝てるものでしょうか」
もっともな懸念だった。正面からの殴り合いなら、勝ち目はない。向こうは、金の海の中にいる。こちらは、ようやく水たまりを一つ、取り戻したばかりだ。
「まともには、張り合いません」わたしは、はっきりと言った。「大きい相手には、大きさゆえの弱みがあります。たくさん抱えている者は、たくさん、守らなければならない。動きが、重くなる。こちらは、小さく、速く動けます。それに――」
わたしは、借用証の束を、指で軽く叩いた。
「向こうは、悪事を仕組んでいます。仕組んだ罠は、綻びやすい。正直な帳簿は、崩れません。守るものがないからです。でも、嘘で塗り固めた帳簿は、たった一つの数字が合わないだけで、全部が崩れる。わたしたちは、その一つの数字を、探せばいい」
ギースが、感じ入ったように、設計図を見つめた。
「まるで……枯れかけた木に、もう一度、水の通り道を、引き直すような」
「その通りです」わたしは頷いた。「木は、まだ生きています。根が死んでいなければ、水は、また通います」
ヴァレンは、しばらく設計図を見ていた。それから、静かに口を開いた。
「アデル。この領を、あんたに任せたい。会計も、領政も、全部だ。俺は――俺は、あんたが引いた道を、守る。剣で。何が来ても」
思いがけない言葉に、わたしは顔を上げた。
「よろしいのですか。わたしは、流れ者の、元・伯爵令嬢です。婚約を、切られた」
「関係ない」ヴァレンは、まっすぐにわたしを見た。「俺は、肩書きを妻にしたんじゃない。この領を、生き返らせられる手を、妻にした。あんたの手を、信じる」
その言葉は、飾りがなかった。だからこそ、まっすぐに、胸の奥まで届いた。誰にも認められなかったこの手を、この人は、正面から、信じると言う。
「……ありがとうございます」わたしは、深く頭を下げた。声が、少しだけ、震えた。「必ず、この領を、立て直します。あなたが、守るに値する領に」
胸の奥に、これまで感じたことのない、温かい重みがあった。責任、と呼ぶには、優しすぎるもの。居場所、と呼ぶには、まだ、少し照れくさいもの。
その名前を、わたしはまだ、うまく呼べなかった。呼んでしまえば、失うのが怖くなる。長いあいだ、何も持たないことで、何も失わずに生きてきた。持つことは、こんなにも、心を弱くする。
けれど、と思う。弱くなってもいい場所が、もしかしたら、ここなのかもしれない。数字だけを盾に生きてきたわたしが、初めて、盾の後ろに、守りたいものを見つけた。
「アデル」ヴァレンが、ふと呼んだ。「難しい顔をしている」
「いえ」わたしは、慌てて表情を戻した。「これから会う相手のことを、考えていただけです」
「そうか」ヴァレンは、それ以上、踏み込まなかった。踏み込まない優しさもあるのだと、この人といると、知る。
そのとき、城門の方から、蹄の音が近づいてきた。ギースが、窓の外を見て、表情を引き締める。
「奥方様、旦那様。……ハルバ商会の、使者が、到着いたしました」
仕立ての良い馬車。磨かれた紋章。荒れた辺境には、あまりに不釣り合いな、豊かさの匂い。
わたしは、設計図をそっとたたみ、立ち上がった。ここからが、本当の戦いだ。剣も魔法も使えない。けれど、わたしには、数字がある。そして、隣には、その道を守ると誓ってくれた人がいる。
「ギース」わたしは、静かに指示した。「お茶を、一番いいものを。相手に、こちらが慌てていると、悟らせないように。それから、応接の間の帳簿は、すべて片付けておいてください。見せる数字と、見せない数字を、こちらで選びます」
「かしこまりました」ギースが、きびきびと動き出す。
「アデル」ヴァレンが、低く言った。「無理は、するな。いざとなれば、俺が、追い返す」
「ありがとうございます。でも、たぶん、剣の出番はありません」わたしは、かすかに微笑んだ。「相手は、お金で人を縛る商会です。お金の話なら――こちらの土俵です」
ヴァレンが、頼もしげに、頷いた。その隣に立つと、不思議と、恐れは薄れた。
「お迎えしましょう」わたしは言った。「ご挨拶、とやらを、伺います」




