第6話「執務室の侵入者」
葬儀の少し後から――。
アドリアンには、ずっと引っかかっていることがあった。
オパリアが、おかしい。
最初はショックのせいだと思っていた。両親を一夜で失い、馬車の中で血の中に倒れていた。そのような経験をすれば、五歳の子供が変わってしまうのは当然だ。記憶を失うことも、声が出なくなることも——全て、衝撃の後遺症だと。
しかし。
(記憶喪失で、あの目は説明がつかない)
アドリアンは自室の窓の外を見ながら、一ヶ月分の違和感を頭の中で並べていた。
使用人のノラが言っていた。「以前と別人のようです」と。泣いたり笑ったりしていた子が、まるで感情を持たない人形になってしまったと。しかし——人形ではなかった。あの目には、何かがある。計算がある。観察がある。五歳の子供のそれではない。
書庫の本が、毎日入れ替わっていた。絵本から始まり、子供向けの読み物、そして今は——歴史書と法律書。
(記憶を失った子供が、それも5歳の子供が法律書を読むわけがない――)
そして三日前、アドリアンは報告を受けた。
両親の死の状況を改めて調べていた医術師からの報告書。馬車の内部に残っていた痕跡。血だけではなく——魔法の残滓。それも、尋常ではない種類の。
悪魔を呼び出すとも言われる禁忌魔法――秘匿、禁止された筈の蘇生の呪いの痕跡。
(あの子は——本当にオパリアなのか?)
深夜、使用人の一人がこそこそと話しているのをアドリアンは聞いてしまった。
「——また昨夜も——オパリア様が——廊下を——」
「——どこへ行くんでしょう——」
「——書庫の方へ——いつも——」
アドリアンは使用人たちが去った後、静かに立ち上がった。
廊下に出る。ランプを持たない。目が暗闇に慣れるのを待ち、足音を殺して進む。
書庫の前を素通りして歩いていく。
小さな影が向かっているのは——執務室の方だ。
アドリアンは距離を置いて後をつけた。
影は迷いなく歩く。廊下の角を曲がり、階段を上り、執務室の扉の前に立った。
(鍵がかかっているはずだ)
しかし影はためらわなかった。懐から何かを取り出し——僅かな音とともに、扉が開いた。
(……鍵を開けたのか?)
影が中へ消える。
アドリアンはしばらく廊下に立っていた。それから、ゆっくりと扉に近づいた。隙間から、中を覗く。
ランプの光が、室内を照らしていた。
執務用の机の前に、誰かが座っていた。
白銀の髪。小さな身体。五歳の子供の姿。
しかしその姿勢が——違った。
背筋が伸びている。両肘を机について、書類を手に持ち、もう一方の手の指で帳簿を押さえている。視線が素早く動く。一枚読んだら次へ、また次へ。迷いなく、効率よく、必要な情報だけを抜き取るように。
(あれは——)
アドリアンは息を飲んだ。
オパリアではない。
姿はオパリアだ。白銀の髪も、小さな手も、全て姪のものだ。しかし——あそこに座っているのは、オパリアではない。
何かが、全く違う。
目つきが。姿勢が。表情が違う。子供の顔ではない。大人が——それも、長年書類と向き合ってきた人間が、仕事をしている顔だ。
アドリアンの額から頬へ、一筋の汗が流れる。
深く深呼吸をして扉を押した。
音が響いた。
机の前の影がゆっくりと顔を上げた。目が合った。
驚いた様子が全くない。むしろ——待っていたような、静かな目だった。
「君は——一体、何者なんだ」
アドリアンは声を絞り出した。
「思っていたより、気づくのが遅いな」
声はオパリアのものだった。しかし口調が——全く違う。
アドリアンは一瞬、言葉を失った。
五歳の姪の口から出てくる言葉が、あまりにも不釣り合いだった。抑揚が平坦で、感情がなく、年齢に全くそぐわない落ち着きを持っている。
「オパリアをどうした!」
気づけば剣の柄に手が伸びていた。
「斬るのはやめておけ。この身体は、オパリアの物だ」
少女が言った。
動かない。ただそこに座ったまま、アドリアンを見ている。剣を抜く気配を見ても、表情一つ変えない。
「取り戻したければ、俺に協力しろ」
俺、という一人称。
アドリアンの手が止まった。
少女——いや、少女の身体の中にいる何かが、机の上の書類を広げた。
アドリアンは目を向けた。
見覚えのある書類だった。この数週間、自分が頭を抱えてきた報告書の数々だ。
密輸商人が領地に出入りしているという報告。違法孤児院の疑いを示す調査記録。他領の貴族と繋がりのある奴隷商人の動向。目ぼしい産業のない地域の不穏な動き。塩をはじめとする輸入品の値上がりの記録。
どれも、アドリアンが密かに収集していた情報だった。
(なぜこれを——)
「何が、目的なんだ」
アドリアンはゆっくりと言った。剣の柄から手を離しながら。
「この娘に身体を返す事だ」
一段と声を低くして言い放つ。
「その為にお前の立場を利用したい。」
アドリアンは少女の顔を見た。
姪の顔だ。見慣れた白銀の髪、細い顎、白い睫毛。しかしその黄金の目の奥にいるのは——姪ではない。
「代わりに」
少女は提案する。
「お前の頭痛の種を片付けてやる」
報告書の束を、アドリアンの方へ押した。
「密輸商人の荷の中身、違法孤児院の資金の出所、奴隷商人の取引相手——全部繋がっている。その繋がりの先はもう読めた」
アドリアンは書類を見た。それから少女を見た。
(この子は——何者なんだ)
禁忌魔法の痕跡。
消えてしまった姪。
そして――今目の前に居る存在は、法律書を読み漁り、自分が数週間かけて集めた情報を机の上に並べ、「答えを知っている」と言う。
この存在は悪魔なのか?
取引しろと言うのか―――
(オパリアは——どこにいるのだ?)
「一つだけ聞く」
アドリアンは静かに言った。「オパリアは——無事なのか」
少女がわずかに間を置いた。
「俺が取り戻そうとしているのだから、今は無事だ」
信用はできない。だか、取り戻すと言いきるその言葉には、表情に映らな確かな熱を感じた。
アドリアンはしばらくその目を見ていた。
子供の目ではない。老成した、疲れたような、しかし芯の通った目だ。
(…悪魔でもいい。妹の忘れ形見を取り戻せるなら――魂を売り渡してもかまわない)
息を吐いた。
「……話を、聞こう」
少女は、一枚の報告書をアドリアンの前に置いた。
「このお遊戯の答え合わせをしてやる」
【第7話へ続く】




