第5話「お前も、そうなのか」
「覗きとはいい趣味だな」
沈黙が落ちた。
書庫の中、ランプの火だけが揺れている。
少女——オパリアの姿をした何かが、床に座りっている。本を膝の上に置いたままの姿勢で、目線だけをレオンへ向けている。
レオンは扉の前で固まっていた。
「……聞こえなかったか」
再び、”日本語”だった。
五歳の少女の声帯から出ているはずなのに、その声には感情の揺れがなかった。静かで、低くて——子供の出す声ではない。
レオンは口を開こうとして、止めた。この言語を知らないふりをすべきか。知っていると認めるべきか。
一秒考えた。
(無駄だな)
この目の前の存在は、数週間で言語を習得した。ここ数日、法律書や歴史書を何冊も読み漁っている。知らないふりをしても、おそらく見抜かれる。
「……聞こえてたよ」
レオンは日本語で答えた。
少女の目が、わずかに動いた。それだけだった。驚いているが表に出さない。
「そうか」
一言だけ言って、少女は本を閉じた。
「やはり日本人だな」
少女は断定する様に言い放つ。
「……なぜそう思う」
「仕草と癖からそう判断した」
少女はゆっくりと立ち上がった。膝についた埃を払う。その動作も、淡々としている。
「会話のとき口元に手を添える。考えるときにペンを持つ様な仕草をする——ペンの持ち方が日本式だ。歩幅が内向きで、歩くときに重心が後ろにある。話すときの間の置き方も」
レオンは思わず自分の手を見た。
「全部、日本人。特に女性によく見られる癖だ。それから——」
少女の目が、レオンを真っ直ぐに見た。
「書庫で手に取っていた本。子供の読むものでは無い。詩集と、民俗誌と、人物伝。経営書や法律書には目もくれない。観察眼があって、人間に興味がある職業だな」
「……」
「作家、か。少なくとも、書くことを生業にしていた人間だ」
レオンは返す言葉が見つからなかった。
「子供とは思えない分析力だな」
レオンはようやく口を開いた。
「ただのサラリーマンが、性別はわかるとしても出身や職業まで当てるのは——ちょっと怖いんだけど」
「慣れろ」
一言で返された。
レオンは少女の向かいに――書庫の床に座った。どちらも子供の身体なのに、この空間には妙な緊張感があった。
「一つ聞いていいか」
少女が言った。
「……何を」
「お前は、この世界のことをどこまで知っている」
レオンは口を噤んだ。
少女の目はレオンから動かない。答えを急かさない。ただ待っている。その忍耐の仕方が——子供ではなかった。
(どこまで話すべきか)
レオンは考えた。
この存在は敵ではないと思う。書庫で読んでいたのは領地経営と法律の書物だ。悪意があるなら、もっと別の動き方をする。
しかし——信用は出来ない。全てを話す必要もない。
「……知っていることはある」
慎重に答えた。
「この世界のことは、多少」
「多少、か」
少女は繰り返した。値踏みするような沈黙。
「お前が何者かは、今は興味が無い」
レオンは黙って続きを待った。
「そして俺は、この身体の本来の持ち主ではない」
少女は静かに、しかしはっきりと言った。
「俺の目的はただ一つだ」
ランプの火が、わずかに揺れた。
「この子に身体を返す。だからお前が何者であれ、それを邪魔するつもりがないなら——今夜のことは忘れろ」
沈黙。
レオンは少女の目を見た。
嘘ではない。この目は、嘘をついている人間の目ではない。それはレオンにはわかった。作家として、人を観察してきた目がそう言っていた。
「……返すって、どうやって」
「わからん。だから調べている」
「法律書を読んで」
「ああ」
「領地経営の本も読んで?」
「管理者であれは情報は集めやすいからな」
レオンはゆっくりと息を吐いた。
「……あんたの名前は?」
「田中大地。三十四歳、男、元サラリーマン」
言い切った。何の躊躇もなく。
レオンは思わず目を瞬かせた。
「……田中大地」
「ああ」
「男」
「ああ」
「……その身体で?」
「ああ」
レオンはしばらく黙った。
「…ご苦労様です」
「余計なお世話だ」
「雫、日本で作家をしていた時の名前――」
「知らんな」
「そ、そうなんだ」
(あれ?私、それなりに”有名な作家”だったハズなんだけど)
しばらく、二人は黙っていた。
レオンは考えていた。この存在——田中大地は、嘘はついていないのだろう。
「一つだけ聞いていいか」
今度はレオンが言った。
「何だ」
「俺のことは——何だと思う」
オパリアの目が、レオンをじっと見た。少し間があった。
「元日本人、前世の記憶を持つ者。」
「……それだけか」
「作家と言ったな?ここはお前が書いた物語の中と言ったところか、しかし積極的に動こうとしていない。何かあるのだろうが——理由については正直どうでもいい」
レオンは小さく笑った。
「だいたい正解」
「そうか」
オパリア——大地は、興味が無いかのように立ち上がり本を棚に戻した。ランプを手にレオンへ向き直る。
「話はここまでだ」
「まだ終わって――」
「子供に夜更かしは厳禁だ、さっさと寝ろ」
それだけ言って、大地は書庫を出ていった。
「子供って…自分もでしょ」
暗くなった書庫、取り残されたレオンは独り呟いた。
(田中大地、三十四歳、男、元サラリーマン)
頭の中で呟く。
(オパリアの身体に宿っている別人)
目を向けた窓の外、夜空に月が二つ並んでいる。
もしかしたら――。
この物語を、変えることが出来るかもしれない。
【第6話へ続く】




