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「亡き少女の身体を借りて」―少女の魂を取り戻すまで―  作者: 島ながぁ
第1章「覚醒と偽装」

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第2話「オパリア」

 意識が、滲むように戻ってきた。


 揺れている。


 馬車ではない。もっとゆっくりとした、人の歩みに合わせた揺れだ。抱きかかえられているらしい。頬に触れるのは硬い布——制服か何かだろうか。男性の使用人に運ばれているようだった。


 (生きているのか、俺は)


 目は開けなかった。


 本能的な判断だった。今ここで目を開けて「ここはどこですか」などと言えば、言語が通じないことがすぐに露呈する。声を発すれば、何かがおかしいと気づかれるかもしれない。


 (情報が足りないな…まだ動くべきじゃない)


 瞼を閉じたまま、感覚だけを研ぎ澄ます。


 石畳を踏む革靴の音が耳に伝わってくる——屋外だ。夜の空気。虫の音。遠くで犬が吠えている。


 足音が変わった。石畳から、木の床へ。屋内に入ったらしい。複数の足音。声がする。聞き慣れない言語。しかし音の数、距離感、声の高低から——多くの使用人が集まっていること、動揺していることは読み取れた。


 (事件が起きた直後、か)


 どこかの部屋に入った気配がして、大地は意識を集中させた。


 横たえられる。柔らかい。質の良いベッドだ。


 しばらく、人の出入りが続いた。


 足音、衣擦れ、水を運ぶ音。誰かが近くに座った気配。ランプの匂い。


 それからまた、足音。今度は違う種類——革底の、落ち着いた歩み。立ち止まる。


 (男…年配だな)


 手が触れた。小さな手首を取られ、脈を確かめているらしい。まぶたを指で開けられそうになった瞬間、大地は反射的に身を固めそうになってをこらえた。


 (医者か…)


 瞼が開かれる。光が眩しかった。視界の端に、白髪の老人の顔。何かを言っている。こちらの目の焦点を確認しているようだった。


 (少し誤魔化すか…)


 大地は意図的に焦点を外した。虚ろな目を老人へ向ける。怯えでも茫然でもなく、ただ何も映していないような——空白の表情。


 老人が何かを言った。使用人たちがざわめく。


 (周囲の反応から見ておそらく「命に別状は無い」と言ったのだろう。こちらの反応に対しては「ショックによるもの」とでも言ったか?)


 当たっているかどうかはわからない。しかし使用人たちの声のトーンが少し落ち着いたのは確かだった。


 老人がまた何か言い、立ち上がった。部屋の外へ出て行く気配。使用人の一人が後を追う。


 残った使用人が二人。ベッドの傍に控えている。


 (分からないことが多すぎるな)


 瞼を薄く開けたまま、大地は二人を見た。年かさの女性と、若い女性。どちらも目が赤い。泣いていたのか、今も泣きそうなのか。


 二人は小声で話していた。


 聞き取れる言葉は一つもない。しかし——老人が出て行った後も、二人の視線はちらちらとこちらへ向く。心配している、ということだけはわかった。


 (この使用人たちは、——この子を、案じているのか…)


 胸の奥に、奇妙な感覚があった。


 自分に向けられた感情ではない。この身体の持ち主へ向けられた感情だ。


 (後で整理するか)


 今は情報収集だ。


廊下から一際大きな足音が聞こえてくる。


 扉が一気に開いた。


 それまでの静かな出入りとは全く違う、勢いのある音だった。


 使用人たちが息を飲む気配。大地は瞼を閉じた。


 足音が近づいてくる。速い。ベッドの脇で止まった。


 「——————!」


 低い男の声。絞り出すような。


 何かを言っている。繰り返している。同じ言葉を、何度も。


 (この声は……)


 大地はそっと、薄く目を開けた。


 男がいた。


 四十前後だろうか。金髪、柔らかい印象の整った顔立ちだが、今はその顔から血の気が失せていた。ベッドの縁を両手で掴み、こちらを見ている。目が赤い。息が乱れている。明らかに、走ってきた。


 「——————」


 また同じ言葉。


 大地には意味がわからない。だが——この男の表情は、読めた。


 (……馬車の女性と少し似ているな)


 狼狽。


 知らせを受けて飛んできた。事態の深刻さに言葉を失っている。そんな所か。


 (こいつは…身内か?)


 直感だったが、確信に近かった。三十四年間、人を見てきた目がそう言っていた。


 男はしばらくこちらを見つめてから、使用人の女性に向かって何かを言った。女性が答える。男がまた言葉を発する——今度は短く、硬い声だった。


 大地は再び目を閉じた。


足音が遠ざかっていく。


 部屋が静かになった。


 男は出て行ったらしい。使用人も一人になった。規則的な気配だけが残っている。


 (考えることが多いな)


 静寂の中で、大地は思考を動かした。


 まず確認すべきことは一つ——この身体の記憶だ。


 (名前は、オパリア…だったか?使用人たちや先程の男がそう呼んでいた気がする。確証はない)


 言語がわからない以上、推測の域を出ない。しかし他に手がかりがない。


 記憶を探った。


 (自分の記憶は、ある…生前よりも鮮明に思い出せる)


小学校の教室、満員の通勤電車、嫌味な上司の顔、好きだったケーキの味。電柱に止まっていた鳥の数まで思い出せる。三十四年分、何一つ欠けていない。


(鮮明すぎるな…)


 少女の記憶は——


 (……ないな)


 改めて確認する。


 五歳の子供であれば、両親の顔、屋敷の廊下、使い慣れた玩具——何か記憶に残っているはずだが…何一つ思い出せない。


 (転生とは違うのか?それともこういう物なのか?)


 大地は自問する。


 (……わからないな)


 言語がわからない。少女の記憶がない。身体は五歳の子供。わかったことは権力者の子供だという事だけ。


 (取れる選択肢は一つだな)


 記憶喪失。


 衝撃的な出来事の後、記憶を失った——言語が通じない、反応がおかしい、知っているはずのことを知らない、違和感は持たれるだろうが押し通せる筈。


 声については——


 (言語が分からない以上、しばらく出さない方がいいな)


 声を出せば、この身体の声と自分の「感覚」のずれが出る可能性がある。子供の声帯でどう話せばいいかも、まだわからない。記憶と同様に、衝撃による影響だとでも思わせておけばいいだろう。


 (当面の方針は決定だな)


 記憶喪失を装う。声は出さない。観察を続ける。言語を覚える。


 それだけだ。


 ベッドの上で、大地は静かに目を閉じた。


 柔らかい枕の感触。ランプの温かい光。遠くで誰かが泣いている声。


 (……まだ、終わっていないな)


 瞼の裏で少女の顔が浮かんだ。怯えきった表情。消えかけながら泣き叫んでいた姿。


 あの子はどこへ行ったのか。


 この身体の中にいるのか、それとも——


 答えは、まだない。




【第3話へ続く】


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