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「亡き少女の身体を借りて」―少女の魂を取り戻すまで―  作者: 島ながぁ
第五章「結末」

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第24話「魂の境界」

 王宮の魔法術式専門家との調整が終わったのは、秋の終わりだった。


 魂分離術式の発動日が決まった。場所はエルフィア領の屋敷——魂繋ぎが発動した場所だ。


 その日の朝、大地は一人で馬車に乗っていた。



 (今日で終わるのか)


 今度は止まらなかった。


 全部終わる。バルトゥス。ヴィクトル。禁忌魔法の解除。そして——


 (俺が消える)


 恐怖ではない。後悔でもない。


 ただ——少しだけ。


 (少しだけ、惜しいな)


 珍しい感情だった。大地自身が驚くほど、珍しかった。


 何が惜しいのか。


 (この場所か。それとも——)


 答えを出す前に、やめた。



 白猫が膝の上にいた。


 今日も連れてきた。どうせ最後だと思って、預けなかった。


 (お前はどうなるんだろうな)


 白猫が大地を見た。金色の目で。


 (まあ——お前のことは、レオンに頼んでおいた)


 昨夜、レオンに頼んだ。「白猫の面倒を見てくれ」と。


 レオンは最初、何も言えなかった。それから「わかった」と言った。声が少し揺れていたが、大地は気づかないふりをした。



 馬車の窓から、エルフィア領が見えてきた。


 秋の終わりの空。枯れ葉が舞っている。


 (この領地も、変わったな)


 10近く前、この身体に気づいた時とは——違う景色になっている。


 流通が整い、人が動き、子供が走っている。


 (これは続く。俺がいなくなっても、続く)


 それで十分だ、と思った。


 本当にそう思えた。



 屋敷の前で、全員が待っていた。


 アドリアン。アメリア。レオン。王宮から来た術式専門家。


ルミナは気になる事があると言い、どこかへ行って戻ってきていなかった。


(ルミナは相変わらずだな)


 大地が馬車を降りると、アメリアが前に出た。


「おかえり」


「ただいま」


 いつもの言葉だった。


 アメリアが大地の目を「視た」。一瞬だけ。それから、何も言わなかった。


 (何が見えた)


 大地は聞かなかった。


 アドリアンが大地の肩に手を置いた。何も言わなかった。それだけだった。


 レオンが大地を見た。


「……準備はいいか」


「ああ」


 大地は屋敷に向かって歩き始めた。


 白猫が肩に乗ったまま、大人しくしていた。



 部屋は、静かだった。


 オパリアが生まれた部屋——今は使われていない子供部屋だ。窓から秋の光が差し込んでいる。


 術式専門家が準備を整えた。床に術式の紋様が描かれている。大地はその中心に立った。


 レオン、アドリアン、アメリアが壁際に立っている。ルミナも、少し離れた場所にいた。


 白猫はアメリアの腕の中にいた。



「始めます」


 術式専門家が言った。


 大地は頷いた。


 術式が発動し始めた。


 床の紋様が光り始める。白い光だ。足元から、何かが流れてくる感覚がある。


 (これが——魂繋ぎの改変術式か)


 痛みはなかった。ただ——何かが、引かれていく感覚があった。


 (これが、引き離されるということか)



 光が強くなった。


 その時。


 後ろから——何かが抱きついた。


 大地は振り返れなかった。術式の最中だ。動けない。


 しかし——感じた。


 細く白い腕が、大地の背中から回されていた。


 細い。女性の腕だ。


 (……)


 ゆっくりと、頭が大地の背中に預けられた。


 声が聞こえた。


「……行かないで」


 小さな声だった。


「ずっと、側にいて」



 大地は動けなかった。


 光の中で、ただ立っていた。


 (オパリア)


 振り返れない。見られない。


 しかし——わかった。


 ずっとそこにいた。最初から。罪悪感が見せる幻だと思っていた影が、本物だったことも。笑っていたことも。白猫を撫でていたことも。


 (この十年、見ていたのか。全部)


 大地の中で、何かが——ほんの少しだけ、揺れた。


(わかっていれば、もう少し。いや、変わらんな)


 感情の名前は、やはりわからなかった。しかし。


「……やはり似ているな」


 大地は言った。


 小さな声だった。


こうに」


 背中の腕が、少し強くなった。


 泣いているのかもしれなかった。



 光がさらに強くなった。


 腕の感触が、薄れていく。


 (待っていてくれ)


 大地は思った。声には出なかった。


 (お前の身体を——返す。それが筋だ)


 腕が、消えた。


 光だけが残った。




 光が、消えた。


 部屋に——少女が立っていた。


 白銀の髪。金の瞳。


 オパリア・カスタ・ヴァルテールが、そこにいた。


 涙が、頬を伝っていた。


 誰も、何も言えなかった。


 オパリアは泣いていた。声を上げずに、静かに。ただ、涙が止まらなかった。


 アドリアンが一歩前に出た。それから——膝をついた。


「……オパリア」


 掠れた声だった。


 オパリアがアドリアンを見た。


 何も言わなかった。ただ、頷いた。



 その頃。


 大地は——暗闇の中にいた。


 どこでもない場所だ。光もない。音もない。ただ、暗い。


 (消えた、か)


 そう思いかけた時。


 前から、誰かが来た。


 女性だった。年のころ、三十代か。穏やかな顔立ち。アドリアンに似た金の髪——目元がオパリアに似ていた。


 大地は動けなかった。


 (……ずっと待っていたのか)


 女性が立ち止まった。大地を見た。


 その目が——大地には見覚えがあった。


 馬車で見た女性。魂繋ぎを発動し大地を呼び寄せた女性。


 (オパリアの——母親か)



「全て終わったのね」


 母親が言った。


 柔らかい声だった。


「……ああ」


 大地は答えた。


「約束は守ったぞ」


 母親が少し目を細めた。


「ありがとう」


 それだけだった。


 大地は少し間を置いた。


「お前が改変した術式は——完璧だったぞ。どこで学んだ」


 母親が少し笑った。


「ヴァルテール家に嫁いで、随分勉強したの。貴族の義務というものよ——結果的に、役に立ったわね」


「そうか」


 沈黙。


「……オパリアは」


「大丈夫よ。ちゃんと戻ったわ」


「そうか、ならいい」



「一つ聞きたい」


「何かしら、わかる範囲で答えるわ」


「なぜ、俺だったんだ?」


「私にもわからない。でもあの日、何か繋がりを感じたの」


「やはりあの時、手を伸ばしたのは厄介事だったな」


大地は少しだけ笑った。


 母親の輪郭が、薄れ始めた。


「もう行くのか」


「ええ、随分と待たせてしまっているから」


 大地は何も言わなかった。


 言うべきことは——もうない。


「一つだけ」


 母親が言った。


「あなたの名前を、教えてもらえる?」


 大地は少し間を置いた。


「田中大地だ」


「大地」


 母親が繰り返した。


「いい名前ね」


 輪郭がさらに薄れた。


 消える直前、母親が何かを唱えた。


 古い言葉だった。大地には意味がわからなかった。しかし——温かかった。



 光が来た。


 暗闇の向こうから、白い光が広がってきた。


 大地は光を見た。


 (そうか。これで——)


 白猫のことを思った。レオンのことを思った。アドリアンのことを思った。アメリアのことを思った。


オパリアは、泣かせてしまったな。


 (まあ——悪くなかったな)


 光が、大地を包んだ。


 ランプの火が揺れるように——静かに、消えていった。


【第25話へ続く】

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