第23話「引き金」
王都へ向かう前夜。
書庫に二人がいた。
いつもの場所だ。しかし——いつもと少し空気が違った。
机の上に書類が広がっている。明日の段取りを確認するための書類だ。白猫が書類の端で丸くなっていた。
◇
「最終確認をする」
大地が言った。
「リンナは会議の場を設けている。ヴィクトルに対して、王族間の協議という名目で招集をかけた。ヴィクトルは断れない」
「うん」
「会議が始まった後、アドリアンが証拠書類を持って入る。前方からの包囲だ。同時にリンナの近衛兵が後方を塞ぐ。逃げ場はない」
「部下は」
「ヴィクトルが護衛を連れてくる可能性がある。その場合——」
「近衛兵と俺たちが対処する」
レオンが静かに言った。
「そうだ」
短い沈黙。
◇
「……お前、剣を使うつもりか」
レオンが言った。
「必要があればな」
「この15歳の、令嬢の身体で?」
「それなりに使える」
レオンが少し笑った。声には出さない笑いだった。
「……ヴィルトが知ったら泣いて喜ぶな」
「だろうな」
「わかった」
◇
書類を閉じた後、しばらく二人は黙っていた。
白猫が大地の膝に来た。大地はそのままにしておいた。
「……大地」
レオンが言った。
「何だ」
「これが終わったら——禁忌魔法の解除に進むんだな」
「そうだ」
「……お前が消える前に、言っておきたいことがある」
大地はレオンを見た。
レオンが窓の外を見たまま、続けた。
「俺は——雫として、最悪な話を書いた。オパリアのモデルになった人を素材にして。お前の妹の話を。それは変わらない」
「知っている」
「でも——お前と一緒にここで動いた時間は、本物だった。それだけは言いたかった」
大地は少し間を置いた。
「……俺も、そう思っている」
「そうか」
「ただし」
「なんだ」
「感傷は明日が終わってからにしろ。今夜は寝ろ」
レオンが少し笑った。今度は声に出る笑いだった。
「……お前らしいな」
「当然だ」
◇
レオンが帰った後。
大地は一人、書庫に残った。
白猫が肩に乗った。
(明日で終わる)
そう思いかけて、止まった。
終わるのは——ヴィクトルの件だ。
その先に、禁忌魔法の解除がある。オパリアに身体を返すことがある。
(……俺が消える)
恐怖ではなかった。ただ、静かに認識していた。
白猫が大地の頬に顔を擦り付けた。
(……何のつもりだ)
大地は白猫を見た。白猫は金色の目で大地を見ていた。
(まあ、いいか)
大地は本を一冊手に取った。
今夜は、少し読んでから寝ることにした。
◇
王都の会議室は、静かだった。
円卓を囲む席。リンナが上座に座っている。大地はリンナの傍ら、アドリアンとレオンが両脇に立っていた。
白猫は——今日は来なかった。アメリアに預けてきた。
扉が開いた。
◇
ヴィクトルが入ってきた。
五十代。がっしりとした体格。落ち着いた顔立ち——バルトゥスとは違う。計算が見える目ではなく、確信が見える目だった。自分の正しさを疑わない人間の目だ。
護衛が二人、後ろについている。
(護衛か。想定内だ)
ヴィクトルがリンナを見た。それから——大地を見た。
子供だ、という目をした。
「これは——王族間の協議ではないのか」
「そうよ」
リンナが答えた。
「あなたに聞きたいことがある。座りなさい、ヴィクトル」
◇
会議が始まった。
リンナが質問を重ねた。穏やかな口調だった。しかし一つずつ、問いが核心に近づいていった。
ヴィクトルは答えた。否定した。言い逃れた。
そのタイミングで——扉が開いた。
アドリアンが書類の束を持って入ってきた。
「失礼します」
机の上に書類を広げた。
「ヴィクトル様、こちらをご確認ください。バルトゥスへの資金提供記録、エルフィア領への工作の証拠、そして——」
「何だこれは」
「オパリア・カスタ・ヴァルテールの両親の死に関与した証拠書類です」
ヴィクトルの顔が変わった。
◇
ヴィクトルが立ち上がった。
「でたらめだ。こんな書類——」
「護衛」
ヴィクトルが後ろを向いた。
護衛の二人が、剣を抜いた。
リンナの近衛兵が動く前に——レオンが前に出た。
「——っ」
護衛の一人が踏み込んだ。レオンが剣を抜いて受けた。金属音が会議室に響いた。
もう一人の護衛が大地へ向いた。
大地は動いた。
ヴィルトの稽古で何度も繰り返した動作。子供の身体では、力では勝てない。しかし——速さと角度は使える。
護衛の剣を流して、間合いを外した。切り返し護衛の顎へ正確に鞘付きの剣を振り抜く。
「——なっ」
顎を砕かれ吹き飛ぶ護衛。一瞬騒然とする場内。
(思ったより力が入ってしまったな。死んだか?)
「生きているな。ヨシ」
リンナの近衛兵が即座に押さえた。
レオンの方は、もみ合いの末に近衛兵が割り込んで制圧した。
◇
会議室が静かになった。
ヴィクトルが立ったまま、動けなかった。前と後ろを、リンナの近衛兵に挟まれていた。
「……リンナ」
「ヴィクトル」
リンナが立ち上がった。
「エルフィア領主夫妻の謀殺への関与、並びに違法工作。王族として、この場で拘束します」
「私を拘束するだと——」
「証拠は揃っています」
大地が前に出た。
書類を一枚取り出した。罪状をまとめた書面だ。
「読みます」
静かな声だった。
ヴィクトルが大地を見た。
「……子供が」
「黙って聞いてください」
大地は読んだ。
罪状を一つずつ。バルトゥスとの関係。資金の流れ。エルフィア領への工作。オパリアの両親の死への関与。
声は揺れなかった。
ヴィクトルが、途中で大地の目を見た。
何か言おうとして——止まった。
(大地の目が、仄かに光っていたかもしれない)
しかし今回は、大地自身にもわからなかった。
読み終えた。
「以上です」
近衛兵がヴィクトルを連行した。
◇
会議室に、静けさが戻った。
リンナが椅子に座り直した。大地、レオン、アドリアンが残っている。
「終わったわ」
リンナが言った。
「ヴィクトルは王宮の拘置施設に入る。正式な裁判は数ヶ月後になるけれど——もう動けない」
「リンナの調査権限で、直接的な証拠は補完できたか」
「できた。あなたが持ってきた状況証拠と合わせれば——十分よ」
大地は頷いた。
「礼を言う」
「どういたしまして」
リンナが大地を見た。
「……怪我はない?さっきの」
「あるわけが無い」
「レオン君は?」
「私も大丈夫」
「そう」
リンナが少し間を置いた。
「あの護衛を流して捌いた動き——やっぱり最初からあなた一人で動けたんじゃ?」
「……」
大地は目を逸らした。
「無理無理!姉さんに任せたら皆死にかねないよ!」
レオンは訓練の出来事を振り返り、蒼白になりながら止める。
「失礼なことを言うな。加減はしているぞ」
「大地は本当に面白いわね。もし戻れなかったら嫁に来て欲しいわ」
「断固として断る」
大地は露骨に顔を顰めた。リンナは声に出して笑っていた。
◇
帰路の馬車の中。
三人は静かだった。
アドリアンが窓の外を見ている。レオンは目を閉じている。大地は書類の最後の確認をしていた。
しばらくして、アドリアンが言った。
「……終わったな」
「ああ」
「妹夫妻の仇を、取れた」
静かな声だった。
大地はアドリアンを見た。
アドリアンの目が、少し赤くなっていた。
(……泣いているのか)
大地は何も言わなかった。言うべき言葉が見つからなかった。
ただ、視線を書類に戻した。
◇
エルフィア領に戻ったのは、夕方だった。
屋敷の門をくぐると、アメリアが待っていた。
白猫を抱いて。
「おかえり」
「ただいま」
白猫が大地を見て、鳴いた。アメリアの腕から飛び降りて、大地の肩に乗った。
「怪我は」
「ない」
「レオンは」
「私も大丈夫です」
「アドリアンは」
「……少し疲れた」
アメリアがアドリアンを見た。一瞬で何かを読み取ったのだろう。黙って隣に並んだ。
アドリアンがアメリアを一度見て、視線を前に戻した。
「帰ったか」
「ああ」
◇
その夜。
書庫に大地一人だった。
白猫が膝の上にいた。
(終わった)
今度は止まらなかった。
本当に、終わった。
バルトゥス。悪徳商人。腐敗貴族。そしてヴィクトル——オパリアの両親を殺した人間を、全て処理した。
(残るのは——禁忌魔法の解除だけだ)
オパリアに身体を返すこと。
そのためには——大地が消えること。
白猫が大地の手に顔を擦り付けた。
大地は白猫を見た。
(お前は——どうなるんだろうな)
使い魔は、術者の魔力から生まれる。術者が消えれば——どうなるかはわからない。
大地は少し間を置いた。
(まあ——その時に考えろ。今は次のことを考える番だ)
書類を一枚取り出した。
禁忌魔法の解除に向けた次のステップが書かれた書類だ。
白猫が書類の上に乗った。
「どけ」
白猫は動かなかった。
「……仕方ないな」
傍らに少女の影を感じた。笑っているような気がしたが。
大地は白猫を避けながら、書類を読み始めた。
ランプの火が、静かに揺れていた。
【第24話へ続く】




