第22話「三つの真実」
中庭での訓練は、毎朝続いていた。
アメリアが向かいに座っている。大地は目を閉じて、自分の中の何かを感じようとしていた。
(何も感じない)
それはいつものことだった。
しかし今日は——少し違った。
◇
訓練を始めて半刻ほど経った頃。
大地の内側で、何かが動いた気がした。
(これか)
感覚というより、気配だった。自分の中にある流れが、少しだけ——形を持ちかけている。
「そこよ」
アメリアが言った。
「そのまま、意識を向けて。引き留めようとしないで、ただ感じるだけ」
大地は言われた通りにした。
引き留めようとしない。感じるだけ。
流れが——大きくなった。
◇
気づいたら、膝の上に何かいた。
白い。小さい。
大地は目を開けた。
膝の上に、白い猫がいた。
子猫だ。手のひらに乗るくらいの大きさ。白い毛並みで、目は——仄かに金色だった。
(……何だ)
大地は動けなかった。
アメリアが息を呑む音が聞こえた。
「……出した」
「何を」
「使い魔よ」
子猫が大地を見上げた。金色の目で、じっと。
(俺が呼び出したのか、これを)
大地は子猫を見た。子猫は動かなかった。ただ、膝の上に座っていた。
◇
「使い魔というのは」
大地が言った。
「魔法の素養を持つ者が、自分の魔力から作り出す存在よ。形は人によって違う——鳥の人もいれば、花の人も。あなたの場合は」
アメリアが子猫を見た。
「猫、ね私はこれ――」
アメリアが腕を伸ばす。音もなくいつの間にか現れた赤い隼の様な姿の生き物。
「制御できるのか」
「呼び出せるなら、ある程度は。でも——」
腕を下ろすと同時に空間にとけるように消えていく赤い隼。アメリアが大地を見た。
「今日は意図して呼び出したわけじゃないでしょ」
「そうだ」
「訓練で感覚を掴み始めた時に、自然に出てきた。それはいいことよ。ただ——意図して出し入れするのは、もう少し時間がかかるかもしれない」
子猫が一度、小さく鳴いた。
◇
その日から、白猫は大地の傍にいた。
執務室でも。書庫でも。稽古の時も——ヴィルトが「令嬢、その猫は」と困惑したが、大地は「気にするな」と返した。
レオンが初めて白猫を見た時、少し目を丸くした。
「……いつから」
「今日から」
「名前は」
「ない」
「つけないのか」
「必要を感じない」
レオンがしゃがんで、白猫に手を伸ばした。白猫はレオンの手を少し嗅いでから、顔を背けた。
「……嫌われた」
「猫はそういうものだろ」
大地は書類に目を戻した。
白猫は大地の肩に乗った。
◇
三人が執務室に集まった。
大地、レオン、アドリアン。
机の上に書類が広がっている。王宮からの返答書、大地が書庫で集めた魔法文書の写し、アドリアンが入手した記録。
白猫が窓枠の上で丸くなっていた。
◇
「資料が揃ったな」
大地が言った。
「魂繋ぎについて、それぞれの情報を出せ。アドリアンから」
アドリアンが書類を開いた。
「王宮からの返答だ。魂繋ぎは最上位の禁忌魔法に指定されている。王家の記録によれば——この術式は本来、魂の簒奪のために作られた。過去に使用した例が三件記録されており、全て悪用のケースだ」
「母親が使った件は記録されているか」
「ない。王宮側は把握していないようだ」
「改変については」
「記録なし。術式の改変自体が、理論上は可能という記述があるが——実例は報告されていない」
(母親は記録にない改変を行った)
「レオン」
「うん」
レオンが話し始めた。
「原作の中で、魂繋ぎについて触れている場面がある。雫として書いた時の設定では——この術式には、術者の意志が強く反映されるという記述を入れていた。術者が強く望んだ条件が、術式に組み込まれる可能性があるということ」
「母親が望んだ条件が、術式に入った」
「そういうことになると思う。ただ、原作では詳しく掘り下げていなかったから——あくまで可能性として」
◇
「俺が書庫で調べた内容と合わせる」
大地が言った。
「術式の改変には、術者が魂繋ぎの本質を理解している必要がある。母親はそれを理解した上で、条件を加えた可能性はあるが——条件は不明だ」
三者が黙った。
「つまり解除するには——その条件がわかれば?」
「当時の痕跡からはそこまでの詳細は判別できなかった。オパリアの意識を戻すには別の手段を考えるべきだな」
「魂繋ぎをもう一度発動させる。ただし——効果を魂を引き離す術式のみに絞って発動させれば、解除できる可能性がある」
「その術式はどこに」
「魂繋ぎの元の術式の中に含まれている。引き離す式だけを取り出せば——」
大地はアドリアンを見た。
「術式を操れる人間はいるか」
アドリアンが少し考えた。
「……王宮に、魔法術式の専門家がいる。信頼できる人物だ。リンナ王妃に頼めば、取り次いでもらえるかもしれない」
「わかった」
◇
レオンが静かに言った。
「……これで、方法が見えた」
「ああ」
「やれるのか」
「やれる」
レオンが大地を見た。
「お前は——本当に消えるつもりなんだな」
大地は少し間を置いた。
「何度も言わせるな。俺の目的は変わらない」
「……そうか」
レオンが窓の外を見た。
白猫が窓枠から降りて、大地の膝の上に来た。
大地は白猫を一度だけ見て、また書類に目を落とした。
◇
ヴィクトルへの証拠が確定したのは、数日後だった。
アドリアンが最後のピースを持ってきた。ロックス商会が追っていた資金の流れが、ついにヴィクトルの名義に行き着いた。バルトゥスへの資金提供、エルフィア領への工作、そして——両親の死への関与を示す間接的な証拠。
直接的な証拠ではない。しかし、状況証拠として十分な量が揃った。
(リンナに持っていく)
◇
王都への使者を送り、リンナとの面会が設定されたのは一週間後だった。
大地は単独で向かった。
王都の邸宅の応接室。リンナがすでに座っていた。長い黒髪。落ち着いた美貌。前と変わらない。
白猫が大地の肩の上にいた。
リンナが白猫を見て、わずかに目を細めた。
「使い魔ね」
「ああ」
「あなたらしい」
「どういう意味だ」
「白猫。それ以外考えられない、ということよ」
大地は意味がわからなかったが、追わなかった。
◇
書類を机の上に広げた。
「ヴィクトルへの証拠が揃った」
リンナの目が変わった。
大地は書類を一枚ずつ説明した。資金の流れ、バルトゥスとの繋がり、両親の死への関与。
リンナは黙って聞いていた。
全て聞き終えてから、しばらく黙っていた。
「……証拠として使える?」
「状況証拠だ。直接的なものではない。ただ——王宮内で動くには十分だと判断した」
「そうね」
リンナが書類を手に取った。
「私が動く。王宮内の調査権限を使って、直接的な証拠を補完する。それでいい?」
「頼む」
リンナが大地を見た。
「……あなたから『頼む』という言葉を聞くとは思わなかった」
「必要だからそう言った」
「そうね」
リンナが少し笑った。
「果物の名前なのに食えない女、まだそう思ってる?」
「今も思っている」
「相変わらずね」
「お互い様だ」
◇
帰り道の馬車の中、大地は窓の外を見ていた。
白猫が隣に座っていた。
(これで、全てが動き始めた)
禁忌魔法の解除方法——魂分離術式の取り出し。黒幕への証拠確定——リンナが動く。あとは——
(時間の問題だ)
白猫が大地の膝に乗ってきた。大地はそのままにしておいた。
◇
その夜、書庫に大地一人だった。
白猫が本棚の上に座っている。大地は椅子に座って、本を読んでいた。
深夜だった。屋敷は静まり返っている。
(……)
本のページをめくる手が、止まった。
白猫の様子が、変わっていた。
本棚の上で丸くなっていた白猫が——何かに撫でられているような動きをしていた。
しかし。
傍に誰もいない。
(何だ)
大地は白猫を見た。
白猫は目を細めていた。気持ちよさそうに。誰かに撫でられているような表情で。
大地の視線が、白猫の傍に向いた。
そこに——何かがあった。
白い、薄い輪郭。人の形をしている。小さな手が、白猫を撫でている。
夢ではない。
幻でもない。
(また幻か……?違う、そこにいる)
大地は動けなかった。
輪郭は、白猫を撫で続けていた。大地を見ていない。ただ、白猫に意識を向けている。
(最初からいたのか。ずっと、幻ではなかったのか)
大地は声を出せなかった。罪悪感がみせる幻だと思っていた。両親の葬儀の時、鏡越しに映る影、ずっとそこにいた。大地の頭の中で線が繋がる。母親の言葉の本当の意味。
(そうか。そういう意味だったのか)
輪郭がゆっくりと薄れていった。
「あ……」
やがて、消えた。
白猫だけが、本棚の上に残っていた。
大地はしばらく、白猫を見ていた。
白猫が大地を見た。金色の目で。
「……」
大地は何も言わなかった。
本を閉じた。
ランプの火が、静かに揺れていた。
【第23話へ続く】




