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「亡き少女の身体を借りて」―少女の魂を取り戻すまで―  作者: 島ながぁ
第3章「陰謀と証拠」

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第17話「最大の駄作」

原作主人公の少女。ルミナとの遭遇から数ヶ月


 ルミナが屋敷に来るのは、もはや珍しいことではなくなっていた。


 事前に連絡を寄越すという条件をつけたことで、少なくとも大地が心構えをできる形にはなっている。今日もアドリアンから「友達が来るぞ」という報告を受けていた。


(友達、ではないんだが。まぁいいか)


 書庫に三人が集まっていた。


 大地、レオン、そしてルミナ。


 ルミナは今日も嬉しそうだった。レオンの隣に座り、話が弾んでいる。レオンは——慣れてきたのか、以前ほど固くはなっていない。それでも時々、複雑な顔をしていた。



「他の作品も読んでいるんだな」


 大地が言った。


「はい!全部読んでいます」


 ルミナが目を輝かせた。


「他の作品では——モデルになった人物等はいるのか?」


 レオンが少し硬くなった。大地は気づいたが、視線をルミナに向けたまま動かさなかった。


「ええと——いくつかの作品には、実在の人物をモデルにしたと言われているものがあります」


「多いのか?」


「『硝子の庭師』とか、『夜明けの手紙』とか——主人公や登場人物にモデルがいるって、読者の間では公然の秘密として有名で」


 ルミナが楽しそうに語った。雫の作品への愛が、言葉の端々に滲んでいる。


 大地は聞きながら、観察していた。


 レオンの呼吸が、少し変わった。



「この作品——原作にも、モデルになった人物がいるんですよね。確か――」


 ルミナがふと言った。


 何気ない問いかけのような口調だった。しかし——


「待って、それは――」


 レオンが声を出して止める。ルミナの目が、レオンを見ていた。


 探るような目ではなかった。純粋な、好奇心の目だった。


 しかし大地には、ルミナが何かに気づき始めていることがわかった。


 (気付いたか)


 大地が何かを言う前に、ルミナの目が変わった。


 見開かれた。


「——あの」


 ルミナの声が、わずかに震えた。


「レオン様って……もしかして」


 レオンが動けないでいた。


「雫先生……ですか?」



 沈黙が落ちた。


 書庫の中に、ランプの火の音だけが聞こえた。


 ルミナがレオンを見ていた。答えを待っている。


 レオンは——何も言えなかった。


 その沈黙が、答えだった。


 ルミナの目に、みるみる光が宿った。涙ではない。興奮だった。


「やっぱり……!突然行方不明になったと聞いてて。でも、レオン様の話し方とか、作品を語る時の目とか——雫先生の文章に出てくる視点と同じで——」


 ルミナが口を押さえた。押さえながら、それでも言葉が出てきた。


「ということは——この原作を変えようとする事にも納得が出来ます。嫌いな作品だと公言していましたよね。それと、モデルになった人物が――」


 大地の内心が、静かに冷えた。


 (止められない)


「雫先生、ずっと気にしていたんですよね。行方不明になったモデルの人を――」


 レオンが、かすかに口を開いた。


「……」


こうさんのことを」


 レオンが目を閉じた。


「……そうだよ」


 静かな声だった。絞り出すような声だった。


田中虹こう。それが——モデルの名前だ。……ごめん大地」



 ルミナが、しばらく黙っていた。


 大地は動かなかった。


 (田中虹。やはりそうだったのか)


 自分の妹の名前が、この部屋に落ちた。


 ルミナが何かを言いかけた。その時——大地の視線に気づいたのか、口を閉じた。


 何かを感じ取ったのだろう。大地の表情は変わっていない。しかし——何かが、違う。


「……あの」


 ルミナが小さく言った。


「田中、という苗字——」


「ルミナ」


 大地が言った。


 穏やかな声だった。令嬢の声だった。


「そのことは、また今度だ」


 ルミナが大地を見た。


 大地は微笑んでいた。しかしその目が——ルミナには、何も言えない目に見えた。


「……はい」


 ルミナが頷いた。



 しばらくして、ルミナが立ち上がった。


「あ、そういえば——」


 急に声が明るくなった。


「バルトゥスの件、私が集めていた証拠があるんです!今日持ってくるのを忘れてしまって——取ってきてもいいですか!すぐ戻ります!」


 返事を待たずに、ルミナが書庫を飛び出していった。


 扉が閉まった。


 廊下に、足音が遠ざかっていく。


 書庫に、大地とレオンが残された。



 しばらく、誰も言葉を発しなかった。


 ランプの火だけが揺れていた。


 レオンは俯いていた。膝の上に両手を置いて、動かない。


 大地は窓の外を見ていた。



「……言えなかった」


 レオンが言った。


 小さな声だった。


「モデルのことが——お前に言えなかった。ずっと」


 大地は答えなかった。


「あの時……お前が妹の名前を言った時」


 レオンの声が、少し揺れた。


「確信した。でも——言えなかった。言ったら、全部壊れると思って」


 沈黙。


「……お前の妹の話を、私は素材にした。それを知っていて——ずっと黙っていた」



 大地は窓の外を見たまま、少し間を置いた。


「一つ聞く」


「……何」


「お前が虹の話を書いた時——それが俺の妹だと知っていたか」


 レオンが首を振った。


「知らなかった。取材で聞いた話だった。名前も——田中、という苗字は聞いていたけど。苗字が同じなんてよくある事だと思っていた」


「いつ気づいた」


「……最初に話をした夜。お前のフルネームを聞いた時に、引っかかりがあった。でも確信したのは——お前が妹の名前を言った時」


 大地はそれを聞いた。


 (やはりそうか)


家族の話をした夜、レオンの沈黙が長かった理由が、今になって繋がった。


「それから、ずっと黙っていたのか」


「……うん」



 また沈黙が続いた。


 大地は考えていた。


 怒るべきか。責めるべきか。——どちらも、今は違う気がした。


 レオンが虹の話を書いた。それは知らなかったからだ。気づいてから言えなかった。それは——大地にはよくわからない感情だが、レオンにとっては重かったのだろう。


 しかし。


「一つだけ言う」


 大地が言った。


「……うん」


「モデルのことを黙っていたことはいい——今後、同じことをするな」


「……わかった」


「それだけだ」


 レオンが顔を上げた。


 大地は窓の外を向いたままだった。


「……それだけか」


「それだけだ」


「怒っていないのか」


「怒っていない、とは言わない」


 大地は少し間を置いた。


「ただ——今怒っても、虹は戻らない。お前が書いた話は変わらない。意味がない」


 レオンが黙った。



 しばらくして、レオンが言った。


「……オパリアのモデルが、お前の妹だと知った時——お前は、どう思った」


 大地は少し考えた。


「わからない」


「わからない?」


「感情の名前がわからない。何かはある。ただ——名前をつけると、動けなくなりそうな気がする。だから、まだつけていない」


 レオンが、大地を見た。


 初めて聞くような答えだった。


「……お前も、そういうことがあるんだな」


「何がだ」


「整理できないことが」


 大地は答えなかった。


 それが答えだった。



 廊下から、足音が近づいてきた。


 ルミナが戻ってきた。腕に書類の束を抱えている。


「お待たせしました!これです、バルトゥスの件——」


 扉を開けて、ルミナが入ってきた。


 書庫の空気が、入る前と変わっていることに——ルミナは気づいたのかもしれない。しかし何も言わなかった。


 ただ、少し静かな声で言った。


「……書類、見ますか」


「見せろ」


 大地が答えた。


 ルミナが書類を広げた。


 三人はそれぞれの場所に座って、証拠の確認を始めた。


 書庫に、紙をめくる音だけが続いた。



【第18話へ続く】



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