第16話「ルミナという変数」
沈黙は、三秒ほど続いた。
ルミナが微笑んだまま待っている。大地は令嬢の表情を保ったまま、頭の中で選択肢を並べた。
(否定する。肯定する。話題を変える。逆に問い返す)
どれが最も多くの情報を引き出せるか。
大地は微笑んだ。
「面白いことをおっしゃいますね」
答えでも否定でもない。ルミナの目が、わずかに動いた。
「そうですか?」
「ええ。……続けてください」
ルミナが少し目を瞬かせた。それから、楽しそうに笑った。
「そういう返し方をするんですね、オパリア様は」
「何のことでしょう」
「——わかりました。では私から話します」
◇
ルミナが話し始めた。
声は穏やかで、周囲には聞こえない音量を保っている。場慣れしている。
「私はずっと、この物語が好きでした。原作の——レオン様のことも、オパリア様のことも、全部知っています」
レオンが隣で微かに動いた。大地は気づいたが、視線をルミナから外さなかった。
「ただ——今のお二人は、私が知っているお二人とは違う」
「どう違うのですか」
「特に目が、違います」
ルミナが大地を見た。
「オパリア様の目は——物語の中のオパリア様はこの場にはいない。それに、あなたの目は、何か目的を感じる目です」
(なるほど、原作知識と織り交ぜた観察眼がある)
大地は微笑みを崩さなかった。
「それは褒めているのですか」
「はい。とても」
ルミナが今度はレオンを見た。
「レオン様も——原作のレオン様より、少し疲れた目をしています。何かを抱えているような」
レオンが口を開こうとした。大地が先に言った。
「ルミナさんは、この物語をよくご存知なのですね」
「ええ、大好きなので」
「作者のことも?」
ルミナの目が、一瞬だけ強くなった。
「——雫先生のことは、誰よりも知っています」
(書いた本人が目の前にいる。ということには、まだ気づいていないようだな)
大地は確認した。ルミナの視線はレオンを憧れの俳優として見ている目だ。恋愛対象として見ている目ではない。
(使える。原作の情報を持ち、行動力もある。しかも自分から話したがっている)
「雫先生の作品——もっと教えていただけますか。私は本を読む機会が少なくて」
ルミナの顔が、ぱっと明るくなった。
◇
それからしばらく、ルミナが話した。
大地は聞いた。
原作の登場人物の詳細、物語の流れ、腐敗貴族たちの動き——レオンから聞いていた情報と、細部が少しずつ違う箇所がある。考察や補完が含まれてはいるだろうが、読者としての視点から見た情報は、原作者の視点とは異なる部分がある。
(これは使える)
レオンが時折、微妙な顔をしているのがわかった。自分の書いた話を「大好きです」と語られている状況が、どういう気持ちなのかは大地には想像もできなかった。
パーティーが終わりに近づいた頃、ルミナが言った。
「——またお話しできますか? お二人と」
大地はレオンを見た。レオンが何か言いかけた。
「ええ」
大地が先に答えた。
レオンが大地を見た。「なぜ」と目が言っている。
(有益な情報源は多いに越したことはない)
大地は微笑んだままレオンから視線を外した。
「またいつでも」
ルミナが嬉しそうに頭を下げた。
◇
数日後の午後。
大地が執務室で書類を確認していると、ノックがあった。
「入れ」
扉を開けたのは、アドリアンだった。
珍しく、少し申し訳なさそうな顔をしていた。
「……客が来ている」
「誰だ」
「ルミナ嬢だ」
大地は書類から目を上げた。
「いつ連絡が来た」
「……三日前に、手紙が」
「俺には話が来ていないが」
アドリアンが視線を少し逸らした。
「……受け入れた方がいいと判断した」
「俺の判断より先に動くのか」
「お前なら断るだろうと思って」
「当然だ」
沈黙。
「……近い歳の子供と接するのも良いかと思ってだな——すまない」
大地はしばらく黙っていた。
(アドリアンなりの配慮か。だが、ルミナだと?アドリアンへの制裁は後だな。先ずは確認しなければ)
「今、どこにいる」
「客間だ。レオンも呼んでいる」
「レオンが?」
「……それも、私が」
大地はため息をつくかわりに、書類を閉じた。
「わかった……覚悟しておけよ?」
◇
客間の扉を開けると、ルミナとレオンがいた。
ルミナは嬉しそうに話していた。レオンは——正面を向いたまま、どこか遠い目をしていた。
大地が入ってきた瞬間、レオンの目に「助けてくれ」という光が宿った。
(なるほど)
「ルミナさん、よくいらっしゃいました」
大地は微笑みながら椅子に座った。
「オパリア様!お会いできて嬉しいです」
ルミナが明るく言った。それからレオンを見て、また嬉しそうな顔になった。
「レオン様と二人でお話しできて——本当に夢みたいで」
レオンが微かに引いた。大地は見なかったふりをした。
◇
「ルミナさんは、原作の話をよくご存知でしたね」
大地が言った。
「はい!雫先生の作品はデビュー前の作品から!124作全部読んでいます。この物語も——」
ルミナが話し始めた。
大地は聞きながら、観察を続けた。
レオンへの態度。視線の向け方。話す内容の優先順位。ルミナが「雫のキャラクター・レオン」に何を求めているか——少しずつ輪郭が見えてくる。
(身に付けた芸を披露するようだな。ただし一方的ではない。相手の反応を確認しながら動いている)
「ところで」
大地が話の区切りで言った。
「ルミナさんはなぜ私たちを訪ねてきたのですか。理由を聞かせてもらえますか」
ルミナが少し考えてから、答えた。
「……お二人が、原作と違うから」
「それで?」
「それが——とても気になって。原作と変わっている、〝あの結末〟を変えようとしているなら。私にも何かできることがあるかもしれないと思って」
(自分から動く気がある。それも主体的に)
「何かできること、というのは」
「情報収集とか、人に会うこととか。私は養子になったばかりで、貴族の中では立場が弱い。でもその分、動きやすいところはあります」
(それは本当のことだ。身分が低い分、目立たずに動ける)
大地はルミナを見た。
燥色の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。
◇
話が一段落した頃、ルミナがレオンに向き直った。
「レオン様——」
「は、はい」
レオンの返事が少し上擦った。
「雫先生の作品で、一番好きな場面はどこですか」
レオンが固まった。
(自分が書いた作品の「好きな場面」を自分が書いた本人として答える場面——これは難しい問いだな)
大地は内心でそう思いながら、表情には出さなかった。
「……あの、それは——」
「もしかして、あの場面ですか?デビュー作『違法な魔法の喫茶店』第三章の——」
ルミナが話し始めた。レオンは何も言えないまま、話を聞かされている。
(レオンは今、自分が書いた物語の一場面を「熱烈なファン」から解説されている)
大地はひそかに、それを観察した。
珍しい状況だった。
◇
ルミナが帰った後。
客間に大地とレオンが残った。
レオンが深く息を吐いた。
「……疲れた」
「そうか」
「大地、なんであの場で『またいつでも』なんて言ったんだ」
「情報源だ」
「わかってるけど——」
レオンが額に手を当てた。
「自分が書いたキャラクターのファンに、そのキャラクターとして話しかけられる状況、わかるか」
「知らん」
「そうだよね」
しばらく沈黙。
「……でも、ルミナは使えると思う」
レオンが言った。
「ああ」
「情報はある。動く気もある。ただ——」
「制御できない」
「うん。それが問題だ」
大地は窓の外を見た。
(管理コストゼロ、制御不能——それでも使う価値はある。——あの感じなら雫を餌にすればある程度、制御も出来そうだな)
「アドリアンに話す。次の訪問の前には事前に連絡を寄越すよう、条件をつける」
「それだけでいいのか」
「今はそれだけでいい」
レオンがまた息を吐いた。
「……ルミナは、私が雫だとは気づいていないんだよな」
「今は気づいていないようだな」
「いつか気づくと思う?」
大地は少し考えた。
「いずれ気づく。その時のことは——その時に考える」
レオンが黙った。大地の目線に気付いたようだった。顔が引きつっているレオン。
「……その時のことって、まさか——」
廊下の向こうから、アドリアンの足音が近づいてきた。
【第17話へ続く】




