第15話「剣を学ぶ理由」
冬が終わり、春の気配が戻ってきた頃。
ヴァルテール家の訓練場に、見慣れない男がいた。
四十代半ば。がっしりとした体格。腰に剣を帯びているが、騎士団の制服ではなく、動きやすい稽古着を着ている。顔には古い傷跡が一本。それでも表情は穏やかで、アドリアンと並んで立っている姿は、旧友同士の気安さがあった。
大地は訓練場の端から、その男を見ていた。
(アドリアンの知人か)
「——ヴィル、紹介する。こちらが姪のオパリアだ」
アドリアンが言った。
男——ヴィルトが、大地を見た。
一瞬、表情が微妙に動いた。五歳……いや、もう七歳になる令嬢が訓練場に立っている。それだけで、内心では何かを思っているだろうと大地にはわかった。
「ヴィルト・ザンと申します、令嬢」
丁寧な一礼だった。騎士団幹部らしい、無駄のない所作だ。
「よろしくお願いします」
大地も礼を返した。
◇
「アドリアンから聞いておりません。令嬢が剣を——」
「聞かせていない」
アドリアンが答えた。「オパリアが望んでいる。それだけだ」
ヴィルトが大地を見た。値踏みではない。困惑の色だった。
「令嬢、剣を学ぶ理由を聞かせていただいてもよろしいですか」
大地は少し間を置いた。
「守りたいものがあるからです」
ヴィルトがまた黙った。
七歳の令嬢が、訓練場に立って、「守りたいものがあるから剣を学びたい」と言っている。その言葉の重さと、目の前の小さな身体のアンバランスさが、この男を戸惑わせているのだろう、と大地は思った。
(貴族の令嬢の気まぐれだと思っているな。半分は正しい判断だ)
「……わかりました。では、まず構えてみてください——」
◇
ヴィルトが木剣を渡した。
大地はそれを受け取り、前世の記憶にある学生時代の部活で学んだ、中段の構え――切っ先を相手の喉元へ向けた構えを取った。
ヴィルトの目が、少し変わった。
「……もう一度、同じ構えを」
大地は繰り返した。
ヴィルトは何も言わずに、自身の剣を持ち上段から振って見せた。大地はそれを正面から観察してから、同じように上段から振った。木剣で風を斬り裂き、振り下ろさずに止める。
(案外、思うように動けるものだな)
「……」
ヴィルトの額から汗が流れ出す。アドリアンへ振り返る。
「この子、本当に今日が初めてなのか!?」
「ああ」
「……」
視線が大地に戻った。
(何かを感じ取っている)
大地には、自分が何をしているかがわかっていた。剣術の才能があるわけではない。ただ、覚えている動きを正確に再現しただけ——昔取った杵柄というやつだ。無意識に習慣とした構えが、そのまま出ていた。
しかしヴィルトには、そうは見えないらしい。
「令嬢」
ヴィルトが言った。声の質が、少し変わっていた。
「もう一度、最初の構えを」
大地は素直に従った。
◇
稽古が終わった後、ヴィルトはアドリアンのところへ行った。
大地には聞こえないくらいの距離で、二人が話している。
アドリアンの表情が、途中から少し複雑になった。
稽古場から戻る帰り道、大地がアドリアンに聞いた。
「ヴィルトは何を言っていた」
「……この子は天才だ、と」
大地は少し黙った。
「誤解だ」
「わかってる」アドリアンが言った。「でもヴィルトはそう見たらしい」
「訂正しなかったのか」
「した。したんだが」
アドリアンが言いにくそうに続けた。
「あいつは昔から思い込むと人の話を聞かない所があってな…」
大地はしばらく沈黙した。
「……それは」
「来週から週三回、みっちりやると言っていたぞ」
「……」
「怪我はするなよ?アメリアに何を言われるかわからんからな」
アドリアンが前を向いた。
窓の外に、春の風が吹いていた。
◇
貴族の社交パーティーというものは、情報の宝庫だ。
大地はそう思いながら、広間の端で立っていた。
アドリアンが主催ではない。近隣の伯爵家が催した春の集まりだ。エルフィア領のヴァルテール家からは、アドリアンとオパリアが招かれていた。レオンも同席している。
大地は令嬢の顔を作りながら、広間を観察していた。
(レオンから聞いていた特徴——孤児から貴族の養子になった少女。)
レインからの事前情報もある。最近、この地域の貴族の社交場に、新しい顔が現れているという。貴族の養子として社交界に入ったばかりの、年若い令嬢だ。
(いるとすれば、今夜か)
◇
見つけたのは、パーティーが始まって間もなくだった。
広間の向こう、テーブルの傍に、一人の少女がいた。
褐色の肌。淡い赤色の髪。年のころ、同じくらいか少し上か。令嬢らしい流行を取り入れた格好をしている。
だが——立ち振る舞いが、他の令嬢たちと違う。
(年相応の落ち着きでは無いな)
貴族の社交場に慣れていない、ということではない。むしろ逆だ。場の空気を読みすぎている。会話の相手を選ぶ目が、子供のそれではない。
(前世の記憶、または原作の知識を持っている可能性があるな)
大地は視線を逸らした。接触するにはまだ早い——情報が足りない。もう少し観察してから判断する。
距離を置こう、と思った。
その瞬間。
少女と目が合った。
◇
少女が、真っ直ぐにこちらへ歩いてきた。
迷いがない。目的地が決まっている人間の歩き方だ。しかし——大地ではなく、隣にいるレオンを見ている。
(レオンが目当てか、原作知識を持っていることは確定的だな)
少女が立ち止まった。大地とレオンの前で、丁寧に礼をした。
「はじめまして。ルミナと申します。ヴァルテール家のオパリア様とレオン様でいらっしゃいますか」
声が明るい。警戒心がないように見える。しかし大地の目には、その視線の細かい動きが見えていた。観察している。こちらを。
「はじめまして、ルミナさん」
レオンが答えた。礼儀正しい、しかし少し硬い声だった。
「こちらがオパリア姉様です」
大地は微笑んだ。令嬢の微笑みを。
「はじめまして」
ルミナが大地を見た。
一瞬だけ——ほんの一瞬だけ、その目が変わった。
(流石に気付いたか、だが声に出さない。状況がわかっているな)
しかしすぐに元の柔らかい表情に戻った。
◇
しばらく、三人で当たり障りのない会話をした。
パーティーの話、季節の話、近隣の話。ルミナは社交の場の会話が上手かった。自然に話題を広げ、相手を不快にさせない。
(使える人間だ。問題は、どこまで信用できるかだ。原作知識で何をするつもりなのか)
大地はルミナを観察しながら、内心で値踏みを続けていた。
レオンは——大地の横で、少し固くなっていた。表情は普通だが、声の抑揚がわずかにいつもと違う。
(レオンも気づいているのか。あるいは、単純に緊張しているのか)
会話が一区切りついた。
ルミナが、少しだけ笑みの質を変えた。
柔らかな、社交的な笑みではない。もう少し、別の何かが混じった笑みだった。
「……一つだけ、確認してもいいですか」
声が、少し変わった。
周囲には聞こえないくらいの、低い声だった。
「お二人とも——原作と、中身が違うでしょ?」
◇
三人の間に、沈黙が落ちた。
大地はルミナを見た。
笑顔だった。穏やかで、温かみのある笑顔だった。しかしその目は、答えを知った上で確認している目だった。
(——先手を打たれたな。王妃とは違う、生きる為の立ち回りを意識した動きだ。だが、それはもう慣れた)
レオンが隣で固まっているのがわかった。
大地は令嬢の微笑みを保ったまま、ルミナを見返した。
(さて、お遊戯に付き合ってやるか)
次の言葉を選んでいた。
【第16話へ続く】




