第13話「積み上げるもの」
数ヶ月が過ぎた。
エルフィア領に、秋が来ていた。
朝夕の空気が冷えてきた頃、大地は執務室の机に向かっていた。ランプの火が揺れている。窓の外は暗い。使用人たちはもう休んでいる時間だ。
机の上に、書類が広がっていた。
報告書、帳簿の写し、証言記録、地図。この三ヶ月で積み上げてきた情報の断片が、今夜も静かに並んでいる。
(やはりまだ足りないな)
大地は一枚ずつ、頭の中で情報を並べていった。
◇
バルトゥスについて、今わかっていることがある。
密輸の中継地点として使っている倉庫が三箇所。うち二箇所はアドリアンの調査で位置を特定している。取引相手の商人が少なくとも五名——うち二名はロックス商会の情報網で把握済みだ。奴隷売買への関与を示す記録が断片的に存在するが、直接バルトゥスの名前が出てくる書類はまだない。
(証拠として使えるのはここまでだ)
大地は帳簿の写しを手に取った。
数字が並んでいる。見慣れてきた数字だ。バルトゥスが管理する名目の土地から上がる収益と、実際に動いている金の量が合っていない。差額がある。その差額が何処へ消えているのかを追うと——いくつかの人物の名前が浮かんでくる。腐敗貴族との繋がりを示す痕跡だ。
しかし、これだけでは足りない。
(状況証拠の積み上げに過ぎない。動かすには不十分だ)
大地は書類を置いた。
◇
次の手を考えていた。
レオンとの会話を思い出す。バルトゥスは原作の中でどう動くか——腐敗貴族たちと連携し、後見人の立場を利用してヴァルテール家の財産と領地の実権を少しずつ侵食していく。表向きは丁寧な後見人を演じながら。
(今まさにその段階だ)
祝いの席でのバルトゥスの目を思い出した。確認するような目。あの男は今、大地が何者かを疑っている——あるいは何かを掴もうとしている。
(動きが変わった)
以前は受け身だったバルトゥスが、この数ヶ月で少し積極的になっている。使者を送ってくる頻度が上がった。アドリアンへの接触も増えている。
(何かを感じ取っているのか。それとも次の段階に入っただけか)
原作の知識では、この時期のバルトゥスは——
大地は少し考えた。
(レオンに確認するべきか)
書庫へ向かおうとして、止まった。
机の上の書類の束の中に、一枚の報告書があった。
ロックス商会からの最新の情報だ。昨日届いたばかりで、まだ精読していなかった。
広げる。
読み進めていくと、途中で手が止まった。
(……これは)
エルフィア領北部の外れ。人通りの少ない地域に、最近になって子供の出入りが増えている廃屋がある——という情報だった。近隣の住人によれば、夜中に複数の子供の声が聞こえることがあるという。
(違法孤児院の可能性があるな)
大地は報告書を折り畳んだ。
バルトゥスへの証拠積み上げとは別の話だ。しかし——繋がっている可能性はある。
(見逃す理由はないな、潰しておくか)
奴隷売買への関与を示す断片的な記録。子供の出入りがある廃屋。点と点が、頭の中で線になりかけていた。
(一度アドリアンにも話しておくか。また喚かれると面倒だ)
大地は書類をまとめた。
窓の外に、夜明けの気配はまだない。
◇
翌朝、大地はアドリアンを執務室に呼んだ。
正確には——アドリアンが先に来ていた。
扉を開けると、机の前の椅子に既に座っていた。手に書類を持ち、眉間に皺を寄せていた。
「お前より先に来たのは初めてだな」
「昨夜は少し遅くまで作業していた」
「……顔色が悪いぞ」
「問題ない」
大地は向かいに座った。アドリアンが書類を置いた。
「何か掴んだのか」
「報告する前に、お前の調査の結果を先に聞かせろ」
◇
アドリアンが持ってきた書類は、この一ヶ月で集めた情報をまとめたものだった。
没落した貴族の情報——三家。いずれも腐敗貴族との取引で資産を失い、社交界での立場も弱くなっている。うち一家は、バルトゥスとの関係が発端だった可能性が高い。
「この家は使えるか」
大地が一枚を指差した。
「……シルヴァン家か。当主は三十代半ばで、妻子がいる。以前は中規模の領地を持っていたが、五年前の取引で大半を失った」
「バルトゥスが絡んでいたのか」
「直接は証明できていない。しかし当時の状況から見て——可能性は高い」
(復讐心があるかもしれないな)
「当主の性格は」
「慎重な人間だ。怒りはあるが、それを表に出さない。内側に溜め込むタイプだと思う」
(使えそうだ。ただし急ぐ必要はない。まず観察だ)
「後でいい。今は別の話がある」
大地はロックス商会からの報告書をアドリアンの前に置いた。
◇
「北部の廃屋か」
アドリアンが報告書を読み終えて、顔を上げた。
「知っているか」
「……場所には心当たりがある。かつて使われていた農業倉庫だ。今は誰も使っていないはずだ」
「部下に調査をさせろ。ただし——慎重に。先に動かれると証拠が消える」
「わかっている」
アドリアンが書類を折り畳んだ。それから少し間を置いて、言った。
「バルトゥスと繋がっていると思うか」
「可能性はある。奴隷売買への関与を示す記録が断片的に存在している。子供が絡むとすれば——線が繋がるかもしれない」
アドリアンの表情が、わずかに変わった。
「……この男は、随分と深いところまで手を伸ばしているな」
「そうだ」
「どこまで掴めば動けると思う」
大地は少し考えた。
「今の証拠では動けない。状況証拠の積み上げに過ぎないからな。直接バルトゥスに繋がる書類、証言、あるいは——現場を押さえる必要がある」
「時間がかかるぞ?」
「わかっている」
◇
しばらく、二人は黙っていた。
アドリアンが手元の書類を見ながら、静かに言った。
「お前はいつも……焦らないな」
「焦っても証拠は増えない」
「そうじゃなくて」アドリアンが顔を上げた。「この身体は六歳だ。あと何年もかかるかもしれない。それでも——」
「焦りは判断を鈍らせる。今動いて証拠を潰されれば、積み上げてきたものが全部無駄になる」
大地は机の上の書類を見た。
(それだけじゃない)
本当のことを言えば——焦りはある。少女の記憶がないまま時間が過ぎていくことへの焦りが。オパリアに返す方法がまだ見えないことへの焦りが。
しかし、それは表に出さない。
「もう一つ確認したい」
大地は話題を変えた。
「バルトゥスの隠し財産について。お前の調査ではどこまでわかっているか」
「……実は、先ほど持ってきた書類の中に——」
アドリアンが書類の束を引っ張り出した。一枚を取り出して、机の上に広げた。
「エルフィア領の外、王都近郊に不動産を持っていることがわかった。表向きは別の人物の名義だが、購入時の資金の流れを追うと——バルトゥスの管理する口座から動いた可能性が高い」
(隠し財産の場所が一つ特定できた)
「その書類、写しを作れるか」
「用意しておこう」
「頼む。それとシルヴァン家と他の没落貴族の件——今すぐは動かない。しばらく観察と調査だけしておいてくれ」
「わかった」
アドリアンが立ち上がりかけて、止まった。
「……お前、今朝何か食べたか」
「まだだ」
「執務室で夜明けまで書類を読んで、朝食も食べずに——」
「後で食べる」
「だめだ。今食べろ」
大地は少し間を置いた。
「……わかった」
アドリアンが扉へ向かいながら、小さく言った。
「身体が子供なんだ。多少は気にしろ」
扉が閉まった。
大地は机の上に残った書類を見た。
バルトゥスへの包囲網は、少しずつ狭まっている。しかし——まだ動けない。証拠が足りない。幼すぎる。
(積み上げるしかない)
それだけだ。
窓の外に、朝の光が差し込み始めていた。
【第14話へ続く】




