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「亡き少女の身体を借りて」―少女の魂を取り戻すまで―  作者: 島ながぁ
第二章「協力者と小さな戦い」

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第11話「祝いの席」

 朝の光が、寝室の窓から差し込んでいた。


 大地は鏡の前に座っていた。


 白銀の髪が、使用人の手によって丁寧に整えられていく。細い指が慣れた動作でピンを留め、薄い花の飾りを差し込む。鏡の中の少女は、静かに正面を向いたままだ。


 (……六歳か)


 この身体になってから、半年が過ぎた。


 その間に何が変わったか——大地は頭の中で確認した。言語は完全に習得した。法律と商業の基礎知識は一通り頭に入っている。フィストの件は処理が終わり、ロックス商会との繋がりも確立した。アドリアンとの信頼は積み上がりつつある。レオンとの情報共有は定期的に行えている。


 そしてアメリアの特訓が、半年続いた。


 (よくもここまで続けたものだな)


 成果は、それなりに出ている。表情の作り方、声の抑揚、立ち居振る舞い——人前で令嬢として振る舞うことに、以前ほどの消耗はなくなった。ただし「自然」とはまだ言えない。「不自然でない程度」というのが正直なところだ。


偽装は順調だが、オパリアへ身体を返す為の手掛かりは、まだない。


 使用人が手を止めた。


「——よろしいでしょうか、お嬢様」


 鏡の中の少女が、かすかに頷く。


 使用人が下がった。


 一人になった鏡の前で、大地はもう一度自分の顔を見た。


 白銀の髪。金の瞳。整えられた飾り。貴族の令嬢として、文句のない格好だろう。


鏡越しに映る少女の姿。その傍らに、こちらを覗き込むように大地の周りを動く影。


 (…またか)


 ここ半年、何度も現れては消える影。


――存在しない少女の姿。



 扉がノックされた。


「入れ」


 開いた扉から、アドリアンが顔を出した。珍しく、少し表情が固い。


「準備はできているか」


「ああ」


「今日は……無断で動くなよ」


 大地は少し間を置いてから、視線を鏡に戻した。


「まだ根に持っているのか、前回は無断では無かった筈だが?」


「書き置きは無断と変わらんだろ。今日は特に頼む」


 アドリアンの声に、珍しく力が入っていた。


「王妃がいる。王子もいる。貴族も商人も——全員が、今日のお前を見ている。一手間違えればどんな火種になるかわからない」


「参加者の顔と名前は頭に入っている。問題ない」


「その事じゃない。下手な動きは――」


「今回は観察に務める予定だ」


 短い沈黙。


 アドリアンが息を吐いた。


「アメリアが最終確認をしたいそうだ。廊下で待っている」


「わかった」


 立ち上がり、扉へ向かう。アドリアンの横を通り過ぎる瞬間、彼が小声で言った。


「お前がいくら大人でも——今日くらいは、子供らしく笑ってみせても罰は当たらないぞ」


 大地は足を止めなかった。


「笑う必要があればな」


 廊下へ出た。



 アメリアが廊下の窓の前に立っていた。


 朱色の髪が、朝の光を受けて明るく見える。大地の姿を見た瞬間、目が細くなった。


 上から下まで、一度だけ視線が通った。


「……及第点と言った所ね」


「それは最高評価か、最低評価か」


「半年前から比べれば最高評価よ」


 アメリアが近づいてきた。大地の前に膝をついて、目線を合わせた。飾りの位置を指先で僅かに直す。


「今日は実践よ。訓練じゃない」


「知っている」


「知っているのと、できるのは違う」


 大地は何も言わなかった。


「笑顔は三種類。挨拶用、会話用、お礼用——それぞれ使い分けること。視線は相手の目と、眉間と、口元を順番に。一点を見続けない。声は低くなりすぎないように意識して——」


「全部覚えている」


「わかってる。でも言わないと気が済まないの」


 アメリアが立ち上がった。大地を見下ろして、少しだけ目を細める。


「……今日だけは、少し楽しんできなさい」


「楽しむ余裕があればな」


「余裕を作るのも訓練のうちよ」


 アメリアが先に歩き始めた。大地は一拍遅れて、後に続いた。


 廊下の先から、会場の準備をする使用人たちの声が聞こえてくる。


 (今日の目標を整理しろ)


 大地は歩きながら、頭の中を整理した。


 表向きは、令嬢として振る舞うこと。実際には——王妃を観察する。レインからの報告を受ける。バルトゥスの動向を確認する。レオンから原作の関係者を確認する。


 全部、一つの場で行う。


 (……なかなか効率がいい場だな、アメリアが発案するだけのことはある)


 前を歩くアメリアの背中を見ながら、大地は内心でそう認めた。


 白い扉が見えてきた。


 その向こうから、人々の声がかすかに漏れてくる。


 大地は一度だけ息を整えた。


 表情を、作る。



 広間は、人で埋まっていた。


 ヴァルテール家の大広間——普段は静かな石造りの空間が、今日は全く違う顔をしていた。長テーブルには色とりどりの料理が並び、銀の燭台が光を散らし、あちこちで笑い声や杯の音が重なっている。


 大地は入り口で一度立ち止まった。


 視線が集まる。それはわかっていた。令嬢のお披露目の場だ。主役が現れれば当然そうなる。


 (見られている。全員が見ている)


 大地は微笑んだ。挨拶用の、柔らかな微笑みを。


 ざわめきが、わずかに変わった。



 最初に近づいてきたのは、近隣の貴族の夫人だった。


「まあ、オパリア様——本当にお美しくなられて」


「ありがとうございます」


 声の抑揚、視線の位置、頭の下げ方。全部、半年かけて叩き込まれた動作だった。


 (この夫人は……アドリアンの報告書にあった名前だな。夫が商人ギルドと繋がっている。今は敵ではないが、要注意の人物だ)


 笑顔を保ちながら、頭の中で記録する。


 会話用の微笑みに切り替えて、相手の話に相づちを打った。


 しばらくして、レオンが隣に来た。


「姉様、少しよろしいですか」


 丁寧な口調だが、目が別のことを言っている。大地は夫人に会釈して、レオンとともに少し離れた。


「見えてるか」


 レオンが小声で言った。視線を向けた先——広間の中ほどに、一人の男が立っていた。


 五十代半ばの貴族。体格がよく、笑顔が広い。周囲との会話が自然だ。


「原作で腐敗貴族の中心にいた人物の一人だよ。名前はヴァルク侯爵。今は問題のある動きはしていないけど——バルトゥスとは繋がりがある」


「わかった」


「それから——」


 レオンの視線が、広間の奥へ動いた。


「あそこにいる若い人たち。二人」


 テーブルの端に、年若い貴族の令息が二人いた。十代半ばほどだろうか。一人は赤みがかった髪、もう一人は薄い茶色の髪だ。


「原作でヒーロー役だった人物だよ。名前と詳細は……後で改めて話す」


「今は話せない理由があるのか」


 レオンが一瞬、視線を逸らした。


「……場所が悪い。後で」


 (何かある。だが今は追わない)


「わかった」



 バルトゥスとは、広間の中ほどで鉢合わせた。


 待ち伏せていたな、と大地は感じた。


 四十代半ばの男。一見普通の顔立ち。しかし目つきが鋭い——初めて会った葬儀の日から、それは変わっていない。


「オパリア様、ご誕生日おめでとうございます」


 滑らかな声だった。笑顔も自然だ。


「ありがとうございます、バルトゥス様」


 大地は挨拶用の微笑みを向けた。


 (落ち着いている。取り繕っているのか、本当に余裕があるのか——どちらだ)


 バルトゥスの目が、大地を見ていた。品定めするような目ではない。何かを確認するような目だった。


「お体の具合はよろしいですか。記憶の方は——」


「おかげさまで、少しずつ」


 微笑んだまま答えた。声が揺れないように意識して。


「そうですか。それは何よりです」


 バルトゥスが頭を下げた。一礼して、離れていく。


 (何を確認しに来た。あの目は、ただの挨拶じゃなかった)


 大地は視線だけで、バルトゥスの背中を追った。



 レインとの面会は、広間の端の小テーブルで行われた。


 二十歳の商会長は、この半年で少し雰囲気が変わっていた。疲労の色は薄れ、代わりに何か落ち着いたものが目に宿っている。


「ヴァルテールのご令嬢、ご誕生日おめでとうございます」


 深く頭を下げた。礼儀正しい挨拶だった。しかし大地には、その一礼の角度が使用人たちへのものとは少し違うことがわかった。


「ありがとう、レイン」


 ここでは敬語を使わない。二人だけに聞こえる声で、大地は言った。


「報告は」


「こちらに」


 レインが懐から折り畳んだ紙を取り出した。自然な動作で、大地の手に渡る。


 (周囲には、ただの贈り物のように見える。よく考えた)


「予想より早かったな」


「ご指示の内容が明確でしたので」


 レインが静かに答えた。目が合う。


 恐怖はまだある——大地にはわかった。あの宿場で会った日から、それは消えていない。しかし今は、その上に別の何かが重なっている。


(信頼、とまでは言えない。だが、働く意志はある)


「後で確認する、続けろ」


「はい」


 レインが頭を下げた。テーブルを離れる前に、一度だけ振り返った。


「……次の指示をお待ちしております」


 その声に、怯えはなかった。



 広間の中ほどで、大地は立ち止まった。


 視線の先に、見慣れない人物がいた。


 黒髪の少年。年のころ、十歳前後だろうか。落ち着いた目をしている。隣に立つ長い黒髪の女性——第二王妃リンナ——が、少年の肩に手を置いていた。


 (聞いていた特徴と一致する、グレン王子だな)


 息子は母親に似ていた。黒髪と、どこか落ち着いた佇まいが。しかし目の色は違う——金色だ。王族の血の証。


 王子がこちらを見た。


 目が合った。


 少年は特に驚いた様子もなく、大地を見ていた。値踏みでもない。好奇心でもない。ただ静かに、観察している目だった。


 (……母親に似ているのは、外見だけではないな)


 リンナが気づいて、こちらを向いた。


 目が合った瞬間、王妃は微笑んだ。


 穏やかで、美しい微笑みだった。しかしその奥に、大地は何か別のものを見た気がした。


 (後で話す気だな)


 大地も微笑み返した。会釈を一つ。


 王妃が軽く頷いた。



 広間がもっとも賑やかになった頃。


 レオンが大地の隣に戻ってきた。


「姉様、少し疲れた顔をしてる」


「そうか」


「表情は保ててるけど、目が仕事してる」


 大地は何も言わなかった。


「今日は誕生日なんだけど」


「知っている」


「もう少し……楽しそうにしていいんじゃない?」


 大地はレオンを見た。


「お前も同じことを言うのだな」


「アドリアンとアメリアも言ったの?」


「ああ」


 レオンが小さく笑った。声を立てない、静かな笑いだった。


「……じゃあ、みんなそう思ってるんだよ」


 大地は前を向いた。広間の向こう、王妃が誰かと話している。バルトゥスが杯を持って立っている。レインが商人たちの輪の中にいる。


 この全員が、それぞれの目的を持って、この場にいる。


 (楽しむ、か)


 大地はひとつ、静かに息を吐いた。


「後で話があると言っていたな」


「うん」


「王妃との話しを終えてからにする。その前に、ヒーロー役の詳細を教えてくれ」


 レオンの顔が、わずかに曇った。


「……うん、話す。でも——少し長くなるよ」


「構わない」


 広間の燭台が、柔らかく光を揺らしていた。



 王妃に呼ばれたのは、宴もたけなわになった頃だった。


 使用人が一人、大地の傍らに来て耳打ちした。


「王妃様が、少しお話ししたいとおっしゃっております」


 大地は微笑んだまま頷いた。



 案内されたのは、大広間に隣接した小部屋だった。


 来客用の応接室——普段はあまり使われない空間だ。暖炉に小さな火が入っており、二脚の椅子が向かい合っている。


 王妃リンナが、すでに座っていた。


 長い黒髪。落ち着いた美貌。広間で見た時と同じ、漫ろした印象だ。しかし部屋に二人きりになった今、どこか纏う空気が変わった気がした。


 大地は部屋に入り、扉が閉まるのを確認した。


 それから、令嬢の微笑みを引っ込めた。


「——お時間をいただきありがとうございます、王妃」


 声の質が変わった。抑揚のない、大地の声に。


 リンナは驚かなかった。ただ静かに、大地を見ていた。


「座りなさい」


 大地は向かいの椅子に座った。



 しばらく、沈黙があった。


 値踏みだ、と大地は思った。しかしアメリアのそれとは違う。アメリアの目は温度があった。この王妃の目は——計算している。


「アメリアから聞いています」


 リンナが口を開いた。


「あなたが何者か。オパリアの身体に別の意識が宿っていること。その意識が——随分と有能であること」


「過大評価です」


「そうは思いません」


 リンナが少し首を傾けた。


「この半年でエルフィア領がどう変わったか。私には見えています。フィストの件、密輸網の解体。それだけではない——ロックス商会が動き始めている。あの商会が動くということは、情報が集まり始めているということです」


 大地は何も言わなかった。


「五歳の令嬢が、半年でここまでやる。アドリアン一人の手腕ではない」


「アドリアンは有能です」


「そうですね。でも彼一人では、あの速さは出ない」


 リンナが微笑んだ。広間で見たものと同じ、穏やかな微笑みだった。しかし今はその奥が少しだけ見えた気がした。


 (……果物の名前なのに、食えない女だな)


 大地は内心でそう思った。



「単刀直入に聞きます」


 リンナが言った。


「あなたはエルフィア領をどうするつもりですか」


「オパリアに返します」


「その後は」


「その後は、オパリアが決めることです」


 リンナの目が細くなった。


「……あなた自身は、どうするつもりなの」


「関係ありません」


 短く答えた。リンナはしばらく大地を見ていた。


「アメリアから聞いている話では。あなたは消えるつもりだと」


「アメリアとは知り合いでしたね」


「私の古い友人なので」


 大地は少し間を置いた。


「それを踏まえた上で、何を話したいのですか」


 リンナが背筋を伸ばした。


「私には、協力できることがあります。王家の情報、宮廷の動き、対立勢力の動向——エルフィア領を守るために必要な情報を、適切な時に流すことができる」


「代わりに」


「エルフィア領の安定が、私の防波堤になる」


 はっきりとした言葉だった。建前がない。


 (正直な人間だ。少なくとも、この場では)


「王家内の対立勢力とは」


「今は詳しく話せません。ただ——エルフィアが不安定になれば、私にとっても困る。それだけは確かです」


 大地はリンナを見た。


 嘘はついていない——そう思った。しかし全部を話してもいない。そこまでは明白だった。



「一つだけ聞きます」


 大地が言った。


「グレン王子を連れてきた理由は何ですか」


 リンナが少し目を見開いた。それから、静かに微笑んだ。


「……賢いですね」


「答えてください」


「息子に、あなたを見せたかった」


「なぜ」


「将来、この国を動かす人間は——どんな人物を知っておくべきか、私には判断できますので」


 大地はしばらく黙っていた。


 (つまり、息子にも投資するつもりか。長期的な計算だ)


 リンナという王妃が、どういう人間かが少し見えた気がした。


「わかりました」


 大地は立ち上がった。


「今日の話は、持ち帰ります。返答は後日、アドリアンを通じて」


「構いません」


 リンナが頷いた。


「一つだけ、先程の答えをまだ聞いていないのだけど」


 大地は扉に手をかけたまま、振り返った。


「あなたは——本当に、消えるつもりなの?」


 問いに、感情はなかった。ただ確認している、という声だった。


 大地は少し間を置いた。


「それが筋です」


「そう」


 リンナが視線を暖炉へ向けた。


「……もったいない、と思いますけど」


その言葉を聞いた瞬間。大地は言ってしまった。


「貴女は――息子の身体を奪ってでも生き延びたいのか?」


自分でも短慮だったと思う。大地の口から出た言葉に、リンナの表情が一瞬凍りつく。


部屋に置かれた時計の音がけが響く。


「聞いていたより人間味があるのね」


大地は貴族という存在を甘く見ていたと気付いた。商談とはまるで違う、腹の探り合い。リンナはその貴族の頂点たる王妃。その点では大地は自身が素人だった事を理解してしまった。


「食えない女だな」


 大地は振り返ることなく扉を開けて、廊下へ出た。



 大広間の音が、遠くから聞こえてくる。


 廊下は静かだった。


 (……また厄介な存在が増えた、だが得るものはあったな)


 大地は歩きながら、頭の中を整理した。


 リンナは敵ではない。しかし味方でもない。利用価値があると判断した相手を、適切に動かそうとしている。それだけだ。


 しかし——情報源としての価値は高い。王宮の内側にある目と耳は、今の大地には持てないものだ。


 (会話では不利だな。対等になる交渉材料を手に入れる必要がある)


 探り合いでは敗北だが、得るものはあった。これから先、複数の貴族を相手にする事になる。今まで相手にしてきた商人と同じでは必ず躓く。その点、王妃には感謝をしなければならない。これ以上ないお手本と言える存在、存分に利用させてもらうとしよう。


「面白い」


 広間の扉が見えてきた。その前で、レオンが待っていた。


「……話は終わった?」


「ああ」


「どうだった」


「食えない相手だ」


 レオンが少し目を瞬かせた。それから小声で言った。


「……王妃のことを食えないって言う人、初めて見た」


「事実だ」


「まあ……うん、否定はできない」


 大地は扉を開けた。


「ヒーロー役の話を聞く。場所を変えるぞ」


「うん」


 二人は広間に戻った。


 燭台の光が、揺れていた。




【第12話へ続く】

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