第八話 希望か脅威か
セオットは、明日からのテンセプタール行きで回る場所を相談しようと、イータの部屋を訪れた。イータは、古い端末から、コルネフにもらったラップトップにデータを転送していた。
「テアも連れて行きたいんだ。この中にテアがいる気がして」
イータはバックパックに、着替えとラップトップ、中継ボックス、バッテリー、ケーブルを詰めている。テアの遺品のルーペも丁寧に収納している。
「お前は仕事をしに行くのか?」
「これは僕の体の一部だ」
セオットにもらった目覚まし時計も底に詰められていたので、さすがにそれはやめさせた。
セオットは自分のラップトップを開き、テンセプタールの観光地を次々と開いて見せた。
二人は目を輝かせて別世界の風景に騒ぎ、旅程計画はあっという間にパンクした。
「これ、全部は無理だぞ。旅程が死ぬ」
「じゃあ優先順位をつけよう。必須だけ先に確保して、残りは現地で再計算」
途中でマーレがのぞき、
「カレーグのマフィン買って来てね!」
と注文だけして去って行った。
その夜は、セオットはいつもより早く眠ったが、イータは楽しみでなかなか寝付けなかった。
朝が来た。セオットは、いつものランニングの代わりに、玄関周りや庭先を丁寧に掃除をした。イータは眠そうな目をしてまかないテーブルについた。ノルテが、食堂の業務の合間にパンケーキとベーコンを出してくれた。ノルテの焼く、ふっくらとした少し甘いパンケーキが、イータは大好物だった。
隣にいたデヴィンが、イータの皿にベーコンを一枚移した。
「俺の分の清掃もよろしく」
「行ってる間は免除だよ」
「知ってる。帰ってきてからの話」
電車の時間が近づいていた。
「行ってくる」
と事務室にいるバルディンに声をかけて、二人は自転車で駅に向かった。
突き抜ける青い空だった。
駐輪場に自転車を停めたところで、セオットは、駅の前にいるジャケット姿の男女が端末を手に、周りをうかがっているのが目についた。駅前とホーム前に分かれて立ち、何やら連携を取っている様子だった。
少し離れたところに、黒いバンも停まっている。
「イータ、ちょっと待て」
違和感を覚えて、イータを制止して物陰から様子をうかがう。イータは落ち着かない様子で言った。
「もう電車来ちゃうよ」
セオットは、彼らの視界に入ってはいけない気がして立ちすくんだ。
その時、セオットのスマホが鳴る。
バルディンからの着信だった。
「宿に、警察を連れた妙な男が来た。イータを"ウルスの関係者"だと言って探りに来ている。一時的に身柄を預かる、と言っていた。本人は不在だと言って一旦引き取らせたが、宿の前から動かん」
「ウルス……?」
セオットは、テアの「連れ戻される」という言葉が頭を過った。
「駅の前にも怪しいやつがいる」
バルディンはしばらく黙り込んで、短く返した。
「ローヴェルはもう安全ではないかもしれない。タスママートへ一度寄りなさい。セオット、あとはお前が何とかしなさい」
電話が切れた。
電車が入構してくるのが見えた。男女はホームに移り、乗り込む客の顔を一人ずつ確認していた。
「行っちゃうよ!」
焦るイータに、セオットは告げる。
「宿に、お前を連れにきたやつがいる。駅にもいる。電車はだめだ。来い」
再び自転車で走り出した。
イータは一度だけ駅舎を振り返り、セオットの背中を追った。
タスママートの裏口から入ると、店主のタスマが待ち構えていた。
「バルディンから連絡を受けている。これだけ渡すようにと」
タスマが差し出すプリペイドカードといくらかの現金を受け取るのを見て、イータは固まる。
セオットは、スマホをタスマに預けた。
「多分これも足がついている。親父に渡しておいてください」
「それなら、この地図を持って行きなさい。アイゼン州の端までは載っている」
タスマは棚の隙間から、くたびれた地図を取り出して渡した。
イータは叫んだ。
「セオットは来んな!帰ってよ!」
「何言ってんだ。今戻ったら一生ローヴェルに入れてもらえないぞ」
イータの腕を掴み、マートを出ようとすると、娘のラミアが不安げな表情で走り出てきて、いくらか携行食を差し出す。
「時々、連絡してね……」
セオットは爽やかな笑顔で答えた。
「ありがとう。ごめんな、連絡は無理だわ。元気でな」
二人は、自転車に乗り駅とは反対方向へ向かった。
漕ぎながら、イータはセオットの背に向かって叫ぶ。
「セオット、待てよ!頼むから帰ってくれ!お前を巻き込みたくない!」
「お前だけテンセプタールに行くつもりか?抜け駆けは許さない」
セオットの後ろを走っていたイータは、住宅の路地に差し掛かったところでわざと道を逸れ、セオットを撒こうとした。すぐに追いつかれ、今度はセオットがぴたりと後ろについた。
途中、現金で買える店でハムサンドを食べた。海の見える丘に沿って北上していく。午後の日差しが首筋を焼き、潮風が汗を乾かした。イータの太ももはとっくに限界を越えていたが、ペダルを踏むたびに見える海の色だけが、呼吸を繋いでくれた。
イータが夕方前に力尽きたので、近くの公園で夜を過ごすことにした。芝生に座ると、地面の冷たさが汗で湿ったズボンを通して伝わってきた。
イータは膝を抱え込んで、ずっと嗚咽が止まらない。
「頼むから……一人に、してくれよ……」
「脱水なるぞ」
セオットはイータに水のボトルを渡す。
「俺はヨクサにサインもらうまで帰らない。サイ・ネラスにも会えるかもしれないぜ。わくわくする」
「サイ・ネラス……。それは……言い過ぎでしょ」
イータは、嗚咽の合間に大企業イニファイのCEOの名前を復唱した。
セオットの目には、吸い込まれそうな夜空の星々が映っていた。




