第七話 緊急ミーティング
その晩の客の対応が落ち着いた頃、ローヴェル宿では緊急ミーティングと称して家族が食堂に集められた。
バルディンとセオットは苛立ちを隠せずにいた。ノルテだけがいつも通り、フレーバーティーと菓子を並べていた。マーレは落ち着かない顔をし、イータは小さく縮こまっている。
日中は高校へ行っていたデヴィンがきょとんとして尋ねる。
「なんかあったの?」
「あった!!」
セオットはヴァンゴートのねちっこい追及を、実際より二割増しでまくしたてた。
「なーにが『空欄は埋めなければなりません』、だよ!何の必要があって人のプライバシーを根掘り葉掘り。しかも、あのノートの置き方見たか? あいつ絶対、家でも靴下を色順に並べてるぞ」
マーレが吹き出しかけ、でもすぐ真顔に戻る。
「兄さん、今日客対応で笑顔が消えてたわよ」
「お前も扉を閉める音がやけにでかかったぞ」
バルディンも加わる。
「役人は人の暮らしを引っ掻き回す前に、他にやることがあるだろう」
デヴィンは不穏な空気にキョロキョロ家族を見回している。
「あの……」
蚊の鳴くような声がして、一同はイータを見る。
イータは膝の上で指を握りしめていた。
「やっぱり僕……。ローヴェルにいない方がいいと思う……」
「親父!イータが暇だから仕事増やして欲しいって!」
セオットが怒りの滲んだ声を張り上げる。
「客室清掃に入りなさい」
バルディンが即答した。
デヴィンは、仕事が減ると思って笑顔になった。
「デヴィンも一緒にやるのよ」
ノルテは間髪入れずに釘を刺す。
「イータ、宿泊客以外入館できないようなシステムにできないかしら」
マーレの無茶振りに、イータは戸惑う。
バルディンが一つ咳払いをする。
「ともかく、今後ああいう連中が来たら、まず私に通せ。私が相手をする」
「父さんもこう言ってるし、うちは大丈夫よ」
ノルテがイータに菓子皿を寄せる。イータは小さなクッキーを一つ取った。ノルテは思い出したように続ける。
「それで、仮登録で何ができるようになるの?」
セオットが答える。
「ああ、もう少し暮らしやすくなる。病院にも堂々とかかれるし、電車も乗れる。正規の仕事も取りやすくなるし、スマホだってちゃんと契約できるぞ。……まあ今その辺増やすのは微妙だけどな」
イータは少し目の輝きが戻る。
「テンセプタールも行けるかな」
「ああ、コンヴァージェンスも行けるかもしれないな」
「ほんとに?」
「仮登録、取ったの誰だと思ってんだ」
「僕だけど……」
「そうだよ。だからもう少し調子に乗れ」
場の空気がようやく緩んだところで客室から着信が入り、家族はそれぞれのタイミングで席を立っていった。
翌朝、イータはノルテから客室清掃を教わっていた。
「シーツは四隅を先に合わせるの。ここを雑にやると、あとで全部ずれるわ」
「うん」
「それから、枕は一度叩いてから置くの。見た目じゃなくて、次のお客さんの首のため」
「うん」
「あと、デヴィンは雑だから真似しない」
「聞こえてる!」
廊下の向こうからデヴィンの抗議が飛んできて、ノルテは気にせず次の部屋の鍵を回した。
洗剤の匂いが風に乗る。イータは、乱れたシーツを一枚ずつ張り直していった。糊の効いたリネンの冷たさが手のひらに心地よい。頭の中のノイズまで平らになっていく気がした。
清掃そのものは単純だった。シーツの皺は、引けば消える。ゴミは拾えばなくなる。
だが同じ「清掃前」でも、部屋ごとの重さは全然違う。
家族連れのあとは床に物が散りやすい。長逗留の客室は補充品が増える。水回りが荒れやすい客もいる。
入ってみなければ分からないことはある。それでも、宿泊人数、滞在日数、客の区分、前回までの清掃記録を合わせれば、重そうな部屋はある程度予測できる。
誰がどこまで終えたかだけでは足りない。どの部屋が重そうか。実際に入ってみて、どこで人が詰まっているか。そこまで見えなければ、全体はまたすぐ乱れる。
入口の札を増やせば済む話ではなかった。札は、部屋の前にいる人にしか見えない。
——これ、全員のウォッチに流せばいい。
イータは清掃を終えると、部屋へ駆け戻り、システムの改修を始めた。
夕方、セオットは手が空いたので、ノルテのディナーの仕込みを手伝っていた。野菜を切りながら相談を持ちかける。
「母さん、来週四日ほど休みをもらえないかな」
「あら、お出かけ?」
「ああ。イータとテンセプタールに遊びに行きたい。少しは気も晴れるだろうし」
「いいよ、行ってらっしゃい」
「来週も予約がたくさんあるけど、大丈夫?」
「元々、お父さんと二人で回してたのよ」
ノルテは笑って、刻んだ野菜を鍋に滑らせた。
「テアさんのシステムで回すのも随分楽になった。最近はあなたたちもよく働くしね。行きたいところがあるなら、いつでも行けばいいわ」
「そっか。ありがと」
セオットは仕込みの手伝いを終えると、部屋に戻り二人分の鉄道と飛行機、宿泊先を手配した。せっかく仮登録を取ったのだ。使えるものは使えばいい。
そのままイータに伝えに向かうと、事務室ではちょうどイータが改修したシステムの説明をしていたところだった。
「だから、清掃前でも作業が重い部屋だけ先に見えるようにしたんだ。補充待ちと修繕待ちも分けた。あと……」
イータは少し身を乗り出し、バルディンのウォッチを指す。
「みんなのウォッチで状況も見えるようにしたよ」
「いいじゃないか。客室清掃や備品手配がもっと楽になる」
バルディンにほめられて、イータは、少し耳が赤くなった。
「来週の話なんだけど」
セオットは切りの良いところで切り出す。
セオットが予約画面を見せると、イータは説明の途中だったのも忘れたように振り向いた。
「取ったの?」
「ああ。テンセプタール、三泊四日」
「ほんとに?」
「父さんもいいってさ」
バルディンは小さく頷いた。
「行ってこい。たまには宿の外の空気も吸ってこい」
イータは子犬みたいに目を輝かせた。
ローヴェル宿の夕方は、いつもより少しだけ明るく見えた。
*
国外に置いていた調査員から報告を受け取った若い男は、氏名欄を見た瞬間に手を止めた。
イータ・シファル。
続けて開いた写真と試験ログが、確信を生む。
ダークシルバーの髪。
「ついに見つけた」
その声は低く、側近だけが聞き取れた。
男は立ち上がり、側近に告げる。
「外地遊学の日程を早める」
側近は顔を上げた。




