第二十一話 原点
「暑い……。もうだめだ……」
「お前、体力ついたって言ったじゃないか」
「CPUもGPUも人も熱には弱いんだよ……」
「こないだは構わず働いてぶっ潰れたくせに。これでよく分かった。お前が弱音吐いてる時は、まともな時だ。ほらそこの補給所まで漕げ」
イータとセオットは、ベルサを抜けて自転車で北西を目指していた。道路沿いにはひたすら松林が広がり、九月になっても、南部の日差しは容赦なかった。時折、遅れたセミが、林の奥で鋭く鳴いた。
補給所で屋根の下に入ると、セオットが水筒に水を汲んで戻ってきた。
目の前で蓋を開けたかと思うと、イータの帽子をひっぺがし、そのまま頭から水を浴びせる。生暖かい水が背筋を走り、服が肌に張り付いた。
「何すんだよ!」
顔の水を拭って睨み返す。
「頭だけはよく回るんだから、そこ冷やしとけ」
イータは自分の水筒の水をセオットにぶちまけ、仕返しをしてやったつもりだった。水を浴びせられたセオットは涼しい顔をして笑い声を上げたので、負けた気がして腹が立った。
その場では生温いだけだったが、自転車で走り出すと濡れた布に風が通って、首筋から背中へ熱が抜けた。二人はそのまま薄手の羽織を濡らし、乾いてはまた水をかけた。
ラジオから流行りのポップソングが流れてきたとき、どちらからともなく歌い出した。セオットがサビの上の音だけ盛大に外した。
「下手くそ」
「うるさい」
ベルサに入る前より、気分がずっと軽かった。
道沿いには、ぽつりぽつりと住居やガススタンド、雑貨屋が現れ、夕方になる頃には、モーテルの色褪せたネオン看板が何軒も見つかった。二人は拍子抜けするほどあっさり、現金で宿を取れた。
ベルサを出てから一泊目のモーテルは、埃っぽくて、壁やシャワー室も少しカビ臭かった。
買ってきたハンバーガーをかじりながら、セオットがカーテンの隙間から駐車場を確認している。
「トラックばっかだな。サウザーも、出入りしてる運転手は移民系多かったよな」
「うん。ああいうの、人手足りてないんじゃない」
「じゃあ俺らも潜り込めるかもな」
「運転は無理だよ。僕免許ないし」
「じゃあ助手席で偉そうにしてろよ。って俺も、今は運転手ルート無理だけど」
「ドローン便なら、自動運転だからいけるかも」
「マジか!テンセプタール行けそうな気がしてきた!」
「行けなさそうな気がしてたのかよ」
イータは食べ終わると、もうラップトップを開いていた。横には、テアのルーペを置いていた。
セオットは、画面を覗き込んだ。
「……人格モデルか?」
「うん。こないだ話した、ローカルで作ってるテアモデル。でも、テアらしさがうまくデータ化できない」
少しだけ間を置いて続けた。
「セオット、テアの思い出を教えて」
セオットは一瞬黙ってから、ベッドに腰を下ろした。
「ああ、一番俺の中で強烈なのは、お前がまだ移民住居にいたときのことだ」
「僕、あの頃のことあんまり覚えてないんだけど」
「親父がテアに仕事頼んでて、俺もついてったんだよ。そしたら、テアが説明している横でお前が"それ何、それ何"って口挟んでさ」
セオットは思い出して笑った。
「テア、親父ほったらかして紙にフロー図を書いてお前に教え始めちゃって。お前、5歳だったのに、テアの言ってること分かってたんだな。目をキラキラ輝かせちゃって。親父、最初は感心してたが、途中で完全に諦めて帰ったわ」
「何それ。覚えてない……」
「あと、あれな。テア、食事だけは興味なさ過ぎて、お前にも栄養バーとかビタミンゼリーとか食わせてた」
「それはなんとなく覚えてる。僕あれ好きだったんだけど」
「親父はキレてたぞ。子供にはまともなもの食わせろって。テアがローヴェルに来ることになった最後の決め手は、お前が母さんの飯を気に入ったからじゃないかな」
「あー……。それはなんとなく想像できるな」
イータが画面から顔を上げた時、セオットが、少し遠くを見るような目をしていた。
「お前、あの頃は俺のこと、セオって呼んでたんだよ」
「……僕が?」
「そう。まだこっちの言葉も変でさ。俺が遊びに行くたびに、セオ、セオってついてきた」
セオットは少し笑った。
「テアはずっと、俺のことセオットって呼んでた。お前らが宿に来て何年かして、ある時、配線のことでお前が分からなくなって、テアが言ったんだよ。『セオットに聞いてごらん』って」
イータは手を止めた。
「それで?」
「その日から、お前もセオットって呼ぶようになった」
「……覚えてない」
「だろうな。俺は覚えてる」
短い沈黙のあと、結局セオットが配線を間違えてイータに教えて、テアが見かねてきれいにやり直したことを話した。
セオットの口から、イータの覚えていない頃のテアが次々とあふれてきた。イータは顔を赤くしながらラップトップへ打ち込んでいった。途中で目元まで熱くなってきたのを悟られないよう、セオットに背を向けるように角度を変えた。
二泊目のモーテルは、色褪せた原色の壁紙に、花柄のシーツ。天井の電気は切れかかっていた。モーテルの前には揚げ物屋や酒屋が並び、油の匂いと外の話し声が流れ込んできた。
夕食を取りに、二人で揚げ物屋へ入った。
フライドチキン、フライドキャットフィッシュ、フライドオクラにフライドピクルス。受け取った紙のトレイを持って席に着くと、隣のテーブルにいたトラックの運転手らしきおばさんが、チキンをかじりながら陽気に話しかけてきた。
「若いねぇ!どこから来たの?旅行?」
セオットが軽く受ける。
「まあね、そんなとこ」
「友達かい?」
「相棒。そっちはどこから?」
「相棒〜羨ましいね。私はボンドウからベルサへ行くとこさ」
「遠いな」
セオットは相変わらず、誰とでもするりと会話を交わす。
セオットがさらりと"相棒"と言ったことで、イータは耳が赤くなった。相棒。対等な響きが、なんだか嬉しかった。
その晩、なぜか鼻歌を歌っているイータを見て、セオットは少し胸が軽くなった。その鼻歌は、どこか遠い昔に聴いたようなメロディだった。
三日目になると、徐々に道路脇の土が粘土質の赤茶色に変わり、坂のアップダウンが増えていった。イータの息がみるみる上がる。いくつか小さな滝を過ぎて大きな川を越えたところで、景色ががらりと変わった。
古びた煉瓦造りの建物が増え、教会の尖塔が見えた。川に沿って工業地帯が広がり、配送会社のロゴをつけた倉庫群がいくつも並んでいた。
ダーガスの街に入っていた。
イータは、奇妙な音に気がついた。
次の瞬間、前を走っていたセオットが自転車を止めた。
「おい。あれ見ろ」
倉庫群の向こうから、マットシルバーの機体がゆっくり浮かび上がった。
短い翼の上でファンが低く唸る。上空まで上がって、機体はそのまま北西へ滑っていった。
イータが呟いた。
「ドローン便……」




