第二十話 見落とし
シャルドはハシュタートに戻って一ヶ月半ほど、学術交流の関連行事、大学や研究機関の訪問、州や国側との面会を淡々とこなしていた。
その間も、調査報告に進展が見られないまま、網だけが広げられていった。対象が当初目的としていたテンセプタールまで入っている可能性も示されていた。
そんな中で、通信網を追っていたウルスの調査員から、ようやく一つ、引っかかる情報が上がった。
ベルサの小規模補給会社に導入された管理システムは、企業規模に対して初期設定の完成度が不相応に高いという。
シャルドはその一文を見た瞬間、ベルサの酒場で聞いた声を思い出した。街の顔だけ洗っても無駄だと、あの女は言った。
ジェレンに告げた。
「ベルサの河岸の酒場で弾いていた、アノンと名乗る音楽家を探せ」
夕方には情報が届き、ジェレンが告げる。
「アノンは、リン・ドラールの偽名です。リン・ドラールは現在43歳、作曲家として名を馳せておりましたが、七年ほど前に盗作被害と私的なトラブルで首都を離れ、各地を放浪しているようです。現在もベルサの宿に滞在していることが確認できました」
「すぐに向かう。しばらく外す」
「は……」
シャルドは再び髪色を粉でくすませ、装いを崩して部屋を出た。
夜のうちに南へ飛び、ベルサに入ったのは翌朝だった。
ベルサに着くと、リンのいた酒場の店主に、アノンと話がしたいと伝えた。
店主は店の奥へ下がり、スマホで電話をしている様子だった。すぐに表に現れ、二階の小間へ上がって待っているよう伝えた。
小間で待っていると、リンが現れた。
「あら。また来たの坊や」
「弟がベルサに滞留している可能性が出た。力を借りたい」
リンは口角を上げて言った。
「支払いは?」
シャルドは封筒を机に置いた。
「前金だ。結果次第でさらに積む」
「探し人の情報を」
「小柄な少年と、恐らく背の高い青年が同行している。髪色はダークシルバーと、ライトブラウン」
シャルドは、スマホで二人の顔写真を見せた。
「その画像、送ってくれる?分かっている動向は?」
「二か月近く前に、南部からベルサへ自転車で入ったと読んでいる」
リンは封筒を懐にしまうと、迷いなく席を立った。シャルドも黙って後に続く。
シャルドは店を出るときに、少し遅れて札を一枚カウンターに置いた。
リンは通りでタクシーを捕まえて、河岸を離れた南の倉庫帯へ乗りつけた。
河岸を離れると、途端にベルサは低くなった。修理工場、コインランドリー、安モーテル、朽ちた倉庫。芝と木は多いのに、景観として整えられているわけではなく、空と駐車場ばかりが広かった。
リンは、シャルドを陰で待たせてモーテルの裏手へ回った。しばらく待つと、清掃カートを押した男が、裏口から出てきた。
リンは煙草のケースを差し出す。
「おつかれ。今日も蒸すね」
男は一瞬警戒したが、質素な装いのリンに一瞬目を留め、つい煙草を一本取る。
リンはライターで火をつけながら続けた。
「この時間の清掃回り、まだ残っているの?」
「ああ。ここらはうちが一帯を順番に回ってるからな」
「最近、この辺のモーテルで、若い男二人が長居してるところないかい?」
「若い二人なんてよくいるよ。あんたなんなんだ」
「ああ、友人が家出した息子たちが心配だって言うから、消息だけ知りたいんだ」
リンは、スマホを取り出し二人の画像を見せた。
男はふぅと煙を吐く。
「三つ向こうの通りに、そんな感じの小さいのと大きいのがしばらく泊まってたな」
「泊まってた?もういないのかい?」
「ああ、一週間ほど前に出てったようだ」
「元気にしてたかい?」
「ああ、いや。しばらく大きい方が腕吊ってたな。小さい方が働きに出てた様子だった」
「ケガしてたのか。友人が心配する」
「清掃を断った日もあったから、なんか大変そうだったぞ。小さい方も寝込んでたみたいだ。でもそのうち、二人で出かけるようになったな。まあ、元気っちゅうことだ」
リンは笑顔で礼を言うと、シャルドのところに戻った。
「聞こえた?」
「ああ……」
リンは、シャルドの呼吸がわずかに浅くなっていることに気づいた。
シャルドは低い声で続けた。
「働いていたのか……」
リンは顎をわずかにあげた。
「食うには金がいるだろ」
シャルドは俯いた。
「弟は、サウザー・ホスピタリティ・サプライに出入りしていた可能性がある」
リンは拍子抜けした顔をした。
「先に言いな」
リンはサウザーの表には向かわず、まず裏手に回った。
搬入口の脇には、作業員が一人壁にもたれて煙草を吸っていた。リンは少し離れて並び、煙草をくわえる。
「ここ、最近若いの入れた?」
男は訝しげにリンを見た。リンは続ける。
「大きいのと小さいの。大きいのは、しばらく腕が使えなかったはずだ」
「なんで知ってる」
リンは肩をすくめた。
「モーテルで隣の部屋にいたんだ。見かけなくなったから、気になって」
男は煙草の煙を吐いた。
「いたよ。大きい方がここで肩をやっちまってな。色々あったが、いつのまにかいなくなっちまった」
リンはその反応を見てから、事務所の戸を叩いた。
責任者らしき男は、わずかに視線を左へ逃し、リンの問いかけにシラを切った。リンが黙ると、その隙にシャルドが前へ出た。
「片方はここでケガをしたはずだ……」
男が一瞬たじろいだのを見逃さず、鎌をかける。
「話せば大事にはしない。弟を探している」
男はシャルドとリンを見比べ、しばらく黙っていた。
シャルドは、声を落として続ける。
「……弟の身が心配だ」
やがて、シャルドの目元にどこかイータの面影を見つけたのか、言葉を選びながら話し始めた。二人がひと月半ほどで現場の仕組みを作り替えてしまった話になると、いくらか熱を帯びた。
「端末に触っていたんだな」
「ああ……よく分からんが、あれは恐ろしいほどだった」
「見せてくれ」
シャルドは、イニファイの画面を見た後に端末のログを確認しようとして、綺麗に塗りつぶされていることに気づいた。
短く息を吐いた。
弟は、自らの意思で逃げているのか。
「なぜだ……」




