第十八話 シャルド
イータとセオットがレイタンにあるローヴェル宿を出て五日が過ぎた頃。ローヴェルでは、表向きはいつもと変わらない日々が流れていた。
セオットの妹マーレは外構の手入れを覚え、弟のデヴィンは帳簿の見方を習っていた。予約の多い日には、これまで繁忙期だけ来てもらっていた臨時のバイトにも声をかけた。足りない手は、どうにか埋まっていく。
デヴィンは、自分が将来この宿の跡を継ぐのかもしれないと考えるようになり、少し足取りが浮ついていた。
ただ、セオットとイータが何気なく拾っていた細かい不具合までは、誰も拾えなかった。
客に呼ばれて端末の調子を見に行く者はいなくなった。簡単な設備なら直せたが、壊れたら外から業者を呼ぶ必要があった。重い荷物を運ぶだけなら代わりはいたが、玄関先で面倒な客の相手をしながら、宿の雰囲気を明るく流し、ついでに困っているデヴィンをフォローする者もいなかった。ノルテの次のシーズンの集客アイデアを、宿のサイトに落とし込む者もいなかった。
マーレが食堂で皿を下げていた時、壁掛けのテレビから流れていた小さな音声の中で、「ウルス」という単語だけが耳についた。
キッチンにいた母ノルテを呼びに行く。
ウルスの王族が外地遊学のために渡航したというニュースが、短く報じられていた。
華やかな歓迎式典の映像で、若い王族の整えられたダークシルバーの髪が映る。ノルテは息を呑んだ。
ノルテは、事務所にいた父バルディンの元へ行き、スマホのネットニュースの国際記事欄を見せた。歓迎の列の中央に立つ青年の画像を見て、バルディンは眉をひそめた。
「ウルス……。このタイミングでか」
横で帳簿をつけていたデヴィンが覗き込む。
「外国の王子サマ?それがどうしたの?」
バルディンは短く返した。
「なんでもない。お前は気にするな」
ノルテはバルディンに何か言いかけたが、言葉に出せずスマホに視線を落とした。
*
シャルドは、アレイサガ合衆国に到着して歓迎式典を終えると、首都ハシュタートで国務長官と面会し、学術交流協定を結んだ。両国の研究者や技術者を交換し、大学や研究機関、プロジェクトへ参加させる。表向きは、お互いの発展に寄与するためだった。実際には、ウルスの技術者をアレイサガの技術圏に合法的に置くための足場だった。
通された迎賓館のゲストルームは、分厚い絨毯が足音を吸い、音まで整えられていた。真鍮の縁で飾られた机とベルベットのソファが、柔らかな照明の下で鈍く光っている。窓の向こうには、首都の白い建物の明かりが、遠く整然と並んでいた。
白手袋を外し、襟元を緩めると、さっきまで会場全体に張っていた光が落ち着き、磨き上げられた部屋の空気に、彼の輪郭が自然に馴染んだ。
椅子に深く腰掛けてパッドを開き、報告書に目を通す。
レイタンに向かわせた調査会社が、目的の人物を確認できなかったことが書かれていた。同時に、駅前の監視カメラを横切った自転車の二人の画像と、対象の逃走可能性が述べられていた。背の高い青年を追う、ダークシルバーの髪の少年。
側近のジェレンは、顔色を変えないシャルドの指先だけが、パッドを握りしめる力で白くなっているのに気づいた。
「ローヴェル宿一帯を探らせましたが、あの日以降の足取りが掴めておりません。セオット・ローヴェルのスマートフォンは、宿周辺から動いておらず、恐らく追跡を恐れて置いていったものと思われます」
「セオット・ローヴェル……」
その名を呼ぶ声色が一瞬、低く沈んだ。間を置いて、元の調子で続けた。
「南部訪問の日程はどうなった」
「地域文化視察の名目で一週間後にねじ込みました」
「レイタンは?」
「そちらにはもういないかと……」
「通過するだけでいい。入れておけ」
「は……」
それから数日後、調査網を広げた先で、ダンデリアでの疑わしい人物の目撃情報を掴んだ。警報器を鳴らした不審な少年の情報が、現地の自治団に上がっていた。日付は七日前のものだった。調査会社は、移動速度を計算して、二人は既に州境を超えている可能性が高いと読んだ。
シャルドは、パッドの画面上の地図を、指でなぞった。
「ダンデリアから自転車で通れるルートも洗え」
翌日の晩、道路沿いの教会の神父の証言に加え、ルート上の倉庫で、鍵が工具のようなもので破壊されていたという情報が上がった。倉庫内は荒らされた形跡がなく、鍵の被害だけだった。
その先に続く都市は、ベルサだった。港湾を抱えた大都市だ。人も物流も多く、逃亡者が長居するには目立ちすぎる。調査会社は、二人がそこで補給だけ済ませ、さらに先の中小都市へ抜けた可能性が高いと判断した。
ベルサ内での調査は、通過点としての痕跡を探すにとどまった。店舗や宿泊施設を当たらせたが、有力な目撃証言も得られず、セオットの正規IDやイータの仮登録IDの使用履歴は見つからなかったと書かれていた。
シャルドは地図の上でベルサから指を離し、隣接する都市へ次々と移した。それでも、なぜか視線はベルサに引き寄せられた。
微かに声が漏れた。
「ヴィオール……。どこにいる」




