第十七話 イニファイ
イータは、端末からWebページを開いてみせた。
「イニファイのAI物流管理システム、使ってみたいと思ってたんだ。僕達がいなくなっても、こいつが代わりに判断してくれるはずです。どうかな」
グレンは画面を見てもよく分からない。
「お金がかかるのか?どうやってやるんだ」
「月額のサブスクで十分です。僕達の給料より安い。データはもうあるので、僕のシステムの振り分け設定と、保留条件と、客先ごとのルールだけロードすれば走れると思います」
グレンは、値段を聞いて快諾した。
セオットは、渋い顔で首を振っていた。
「お前……それはリスクがでかいぞ。ただでさえ長居し過ぎなのに、またお前の異常が検知されたらどうなる」
「上げる前にセオットがチェックしてよ」
「俺じゃお前のヤバい癖は隠しきれねぇ……」
「じゃあ、接続と同時にベルサを出よう」
セオットは、逃亡開始後で一番生き生きとしているイータを、それ以上止めることができなかった。
イータは、まずイニファイの仕様書を頭に叩き込み、受け口の構造を頭の中でなぞってから、自分のラップトップにローカルのモックサーバーを立ち上げるところから始めた。セオットは息を呑んだ。そんな即席モックで本番でうまくいくのか、半信半疑だった。
それが済むと、イータが組んだデータセットをイニファイ側が受け取れる形に変換していった。タイピング音があまりにも速いので、通りかかる事務員や作業員はみんな二度見した。グレンもその光景に慣れず、怪訝な顔でイータを見ていた。その時のイータは話しかけられる隙がなく、セオットは水を飲ませるのにも一苦労だった。セオットは合間に、次の逃亡に備えて、靴や着替え、備品を一通り調達しに行った。
次に、その変換コードの偽装が最も厄介だった。速過ぎる送信も、速過ぎる切り替えも、癖の強過ぎる関数も、全部危ない。普通のエンジニアが操作したように見せかける必要があった。セオットがイータの組んだ送信用のコードを確認し、なるべく異常を出さないように書き直しを指示する。二人で眉間に皺を寄せて唸りながら、モニターにしがみつく。
「同時に全データを送るな。手作業で順番に送っているかのように組め」
「ん……」
「通信エラーが出た時、瞬時に別ルートに飛ばすのをやめろ。数秒待ってから、同じルートへ突っ込め」
「え……」
「なんだこれ……。お前の作った関数は使用禁止だ。ネットから拾ってこい」
「は?………」
そうしてコードを汚していく作業で、二人ともクタクタになった。セオットは終始鳥肌が立っていた。
「俺ができるのはここまでだ……」
完成した移行用のコードと設定ファイルを小さなメモリに移し、事務所の端末に読み込ませると、そのまま昼下がりのモーテルへ引き上げることにした。
朝のうちにデータの転送を開始して、そのままベルサを発ちたかったからだ。
グレンに告げると、定時前だったが、グレンはいつもの通り二人に日当の封筒を渡した。セオットは礼を言い、それをバックパックに押し込んだ。
まともな引き継ぎなら数週間かかる作業を、五日でやった。
事務所を出るとき、セオットの自転車の後部に、非常用の小さなテントと薄手の寝袋も括り付けられているのを見つけ、イータは目を細めた。
「え……それ重くない?」
「宿が見つからない日の方が重い」
「お前、肩が……」
「このくらいは問題ない」
「人には無理するなって言っておいて」
イータは、納得いかない顔をしていた。
モーテルに戻ると、セオットは、伸び切った髪を簡単にハサミで整えたが、イータは雑に切られるのを嫌がり、少し伸びた髪を後ろで小さく括った。
そして翌朝。新調した服装で、空が白み始める頃に出勤した。実行ボタンを押すと、イニファイのサーバーへの送信が始まった。ゆっくり進んでいく進捗バーを二人で見守る。
「次はどこへいくの」
「沿岸を離れようと思う。ベルサ川に沿って北西のダーガスまで、210kmだ」
「はぁ……。僕多分前より体力ついたから、行けそうな気がする」
「お前はその過信でいつも潰れるんだ」
進捗バーが60%まで来たところで止まった。セオットの指が机を叩き、イータはログを追った。
「大丈夫、向こうの処理待ちだ」
次の瞬間、再びバーが動き始め、送信が完了した。イータは事務所の端末からイニファイにログインし、振り分けルールと出力設定が正しく読み込まれていることを確認した。洗練されたエメラルドグリーンの画面に、サウザーの作業指示が組み上がっているのを見て、二人は歓喜の声を上げた。セオットは、テアの死後、こんなふうに笑うイータを初めて見た。便札の印刷と、受注処理もうまく通った。
一つ息を吐いたら、すぐ次の作業にうつる。
イータは、組んだばかりの移行用のコードと、数週間前に組んだ現場システムを、迷いなく一気に消去した。さらに、事務所の端末に残った一時ファイルと履歴を消し、その上から痕跡を辿れぬように塗りつぶしていく。
セオットは、黒い画面の向こうでイータのコードが消し飛んでいくのを見て、心が痛んだ。
作業を終えたところで、いつも通り、グレンが始業時間の30分前に出勤してきた。
グレンが口を開いた。
「もう行くのか」
セオットが答える。
「システムはうまく動いてる。あとは、エラーもトラブルもイニファイのページからチャットを飛ばせばいい」
イータは付け加えた。
「僕たちのことは、口外しないでください」
それだけ言うと、二人はバックパックを背負って、自転車に飛び乗った。




