第十六話 デバッグ
グレンに運び込まれたイータの体は、熱を持っていた。セオットは右腕一本でイータの世話をした。エアコンの温度を下げ、なんとかタオルを濡らし、イータの額や首筋を拭いた。ペットボトルのキャップを開けるのにも手間取りながら、少しずつ水分をとらせ、ゼリーも少しだけ食べさせた。
イータはほとんどぐったりと眠り込んでいたが、時々目を開いて天井を見ていた。その目は透き通っていて、話しかけても返事がなく、セオットは怖くなった。
翌朝、イータの意識はいくらか戻っていた。
「頭が痛い……」
セオットはバックパックを手繰り寄せ、頭痛薬を取り出した。
「お前は無理すると頭痛になるからな」
相変わらずの用意の良さにイータは突っ込みたかったが、それ以上声が出なかった。
モーテルの一室は、さながら病室のようだった。
ラジオの音だけが、狭い部屋に反響していた。
二日後には歩けるようになり、イータの意識ははっきりしてきた。ラップトップをベッドの上に持ち込み、寝そべりながら叩き始めた。
「おいイータ」
「ん?」
セオットを見るイータの目は、いつものだるそうな目だった。
「何やってんだ?」
「サウザーのシステムを組んでみたんだけど、うまく回らないんだ」
「……そうだと思った。物の流れを見ろよ」
イータは考えようとしたが、まぶたが下り、そのままベッドに顔をうずめて寝てしまった。
三日後、イータはふらふらと身支度を整え始めた。
「おいばか、まだ早い」
「もう平気だよ」
セオットはイータより先に扉の前まで進み、立ちはだかった。
「もう一日だけ、休んでくれ」
セオットの左肩が震えていたので、イータは観念した。
そうして四日後。
イータはようやくサウザー・ホスピタリティ・サプライの事務所に顔を出すことができた。
入庫と出庫、保留の混乱は前より整理され、積みすぎも前ほど見落とされなくなっていた。
確かに回り始めてはいた。ただ、まだ流れが鈍かった。
イータは、詰まりの原因を探した。端末から指示は出ているのに、その先で荷物が止まっていた。
倉庫の通路に立ち、作業員の運ぶ荷物を追う。雑然とした倉庫の中では、人の流れ、物の流れが重かった。セオットの声が頭の中に響いた。
「物の流れを見ろ」
見たところで、システムで動かせるのは情報だけだ。物の滞りを押し流すことができず、イータは無力感に包まれた。
エラーや例外の発生も減りはしたが、思っていたよりは抑えられていなかった。端末に乗っていない約束事が、毎日のように頭を出した。イータは、過去の例外履歴を1件ずつ、システムに組み込み始めた。データが積み上がれば、判断ごと任せられるようになるはずだと考えていた。
セオットは、帰ってきたイータの顔を見て、また行き詰まっていると分かった。
「どうした」
「うん……」
イータはうまく言葉にできなかった。
セオットは、ようやく軽く体を動かせる程度には痛みが引いていた。ゆっくり腰を落とし、また立ち上がる。それを繰り返す。しばらく寝たきりで落ちた体力を戻したかった。
それから十日ほど、イータは、ひたすらエラー潰しに時間を費やしていた。事故から三週間近くが経っていた。セオットは、イータとともに出勤しようとしていた。
「セオットはまだ無理すんなよ」
「お前が言うな。だいたい日曜くらい休めよ」
まずは短時間、現場に立つところから始めた。アームスリングはまだ外せないし、物は持てないが、見て回ることはできる。
イータの説明を聞きながら、セオットはしばらく無言で流れを見た。
イータが組んだシステムには、テアの息遣いが感じられた。必要な情報だけを拾い、次に触る人間へ渡す。
それなのに、見ているうちに寒気がした。テアなら人間の都合で残したはずの余白まで、イータは極限まで削り落としていた。迷った時には人が判断するはずの場所まで、イータは次の条件分岐に変えようとしていた。
宿とは違う初めての現場。それなのに、イータはより複雑な入力と出力から、短期間でここまで仕組みを作り上げてしまった。あの夜、イータの澄んだ瞳の奥で走っていた処理の光を思い出した。セオットは、イータとの間にこれまで知らなかった距離を感じた。
そういう距離を、セオットは初めて恐ろしいと思った。
そんなセオットの焦りを打ち消すように、イータは弱音を吐いた。
「思ったように行かない。どうしたらいい?」
「ああ……」
セオットは、倉庫をしばらく見ていた。
入ってきた荷物が出ていく荷物の横に置かれ、便札のついたロールコンテナが通路を塞いでいる。急配の箱は倉庫の奥に積まれ、回収されたリネンはランドリー行きの置き場から溢れていた。作業員は端末を見る前に荷物を避けながら歩いていた。
「情報は合ってる。でも、床が合っていない」
「床?」
「置く場所はだいたい決まってる。でも、守られてないし、流す方向もその場その場になってる。だからみんな毎回ぶつかるし、探すし、グレンが怒鳴る」
セオットはまだスリングの外れない左肩を庇いながら、グレンの方へ歩いた。
「なあ、グレン」
「なんだ。まだ何か気に入らないのか」
グレンは露骨に嫌そうな顔をした。
「置き場を変えた方がいい」
「簡単そうに言うな。そんなことやってる暇あったら、荷物を運べ」
「運ぶために言ってる」
セオットは、右手で通路を指した。
「今は荷物が人の邪魔してる。人も、荷物の邪魔してる。誰が悪いとかじゃなく、置く場所の問題なんだ」
グレンは黙った。
「グレンが怒鳴ってる場所って、だいたい同じだろ?出荷口、通路、置き場から荷物が溢れる場所。そこに線を引けばいい」
「線?」
「入ってくる物、出ていく物、止めておく物で、置く場所と流す向きを分ける。端末の指示と現場の置き場を合わせるだけだ」
「それをあいつらが守れると思うか?」
「最初は守らない」
セオットがあっさりいったので、グレンは拍子抜けした。
「でも、線があれば怒鳴る理由がはっきりする。今は毎回グレンが判断して怒鳴っている。骨が折れるだろ?」
グレンの眉が少し上がった。
「俺の仕事が減らせる話か」
「そう。それから、毎回みんながグレンに聞きに戻る回数が減る」
セオットは、床の消えかかった古い線を見ていた。
「まずはグレンがいつも邪魔だと思っている場所から変えればいい。俺が線の案を出す。どこに引くかは、あんたが決めろ」
グレンは出荷口を見た。作業員の押すロールコンテナが、床置きされた段ボールにぶつかっていた。
「……明日の朝までに線だけは引く。上手くいかなかったら戻す」
「それでいい」
グレンは舌打ちしながら言った。
「お前らの言ってることはいちいち癪に障る。面倒くせぇことばっかいいやがって」
翌朝、二人が出勤した時には、床に線が引かれ、置き場の札が立てられていた。セオットは、新しく出入りする荷物の場所を、その都度作業員に説明して回った。
翌週からは、セオットが作業員に各自の頭の中にあるローカルルールを聞いて回った。作業員の一人が、セオットの肩を見て言った。
「肩大丈夫か?」
「最悪だよ、トイレ行くのも辛くて地獄だった。こっちはどうだった?最近どこで詰まった?」
「ああ、レイルガーデンだよ。せっかく早く着いたのに、ランチ帯は荷受けが詰まるから裏に回すなってクレームだよ」
「聞いてなかったの?」
「そんなもん聞かれなきゃ誰も言わねぇからな」
作業員はそのうちに、私生活の愚痴までこぼし始めた。イータは、セオットの拾ってきたローカルルールを端末に打ち込んでいった。断片的だったルールが、端末の中で急速に形作られていった。
物の流れも、日を追うごとに整えられ、次第に作業員がこれまでの荷物も線に合わせて整理するようになった。イータのシステムの先で起こっていた滞りは、みるみる消えていった。
イータは、自分に足りないものを持っているセオットを見た。うらやましさが、胸の奥を焼いた。
セオットが言った。
「お前、画面の中だけで完結させるな」
「分かっててもできない。お前はすごいよ。現実を作り変えてしまう」
セオットはそのむくれた横顔を見た。熱に潰れた時より、少しだけ血色が戻っていた。
「俺は、お前が頭の中で作ったものを現実に落としただけだ」
*
そうしてセオットのケガから五週間経った時、アームスリングが外れた。
その日の夕方、グレンに職場を去ることを伝えようと事務所に行った。察したグレンが言った。
「お前ら、給金を上げるから、ここに残ってくれ」
セオットが先に答えた。
「いや、来週には出る」
「システムの面倒は誰が見るんだ」
「そんなことまでは面倒見れん」
イータが何かを思い出したように口を挟んだ。
「あ……そう言えば……」
イータが事務机の端末を開き始めたので、セオットはなんとなく嫌な予感がした。




