第22話 清流から静流へ。 空っぽの剣に宿る「水門街の師匠」の信念
10月4日の祝日、白翼の日を越え、さらにクロード・ジルとの絆が深まった。
そして私とクロードは、今日も『残り火の家』の前で剣を交えていた。
「リン、だいぶ風を意識できるようになってきたね。……じゃあ、一つ技っぽいのやってみようか。最初に一度見せたやつ」
クロードが木剣を下げ、ふっと全身の力を抜く。
「もう一回見せるから、来て」
私も小さく息を吐き、全身の力みをスッと抜く。
そして――最近の特訓で身につけた、風に乗るような静かな初動。そこから淀みなく加速し、相手の急所へと吸い込まれるような滑らかな刺突。
今の私なら、あの時とは違う。クロードの動きは捉えられるはずだ。
「――っ!」
空気を裂いて、私の木剣が彼の胸元へと吸い込まれる。確実に捉えた。
そう確信した、まさにその瞬間だった。
スルリ、と。
……消えた。
標的を急激に見失い、私の木剣は虚しく空を裂く。
前のめりに体勢が崩れた私の、ほんのわずか右側。絶対に攻撃を防げない完全な死角へ滑り込んだ彼の手には――。
「――っ」
首筋に、ひんやりとした硬い感触があった。
音もなく、完全に脱力した状態で立つクロードの木剣が、私の首筋にピタリと添えられていたのだ。
「ごめん、冷たかった? 模擬戦でも、ちゃんと急所を取るまでやり切れってのが、師匠の教えでさ」
ふっと木剣を引き、悪びれる様子もなく笑う彼を見て、ゾッと背筋に冷たいものが走った。もしこれが実戦で、真剣だったなら。私はすれ違いざまに首を落とされている。
皇宮の師範たちとの「打ち合い」では、ここまで圧倒的な、命のやり取りに直結する『死の隙』を突きつけられることはなかった。
剣を知れば知るほど、この『空っぽの足捌き』から無音で放たれる流し斬りが、どれほど異常で絶望的な技術なのかがわかる。
「――とてつもない技です……」
私の震える呟きに、クロードは少しだけ困ったように笑った。
「……いや、そんな大したもんじゃないよ」
木剣を軽く振り、肩の力を抜く。
「これは、師匠の“水理の剣”の基礎の一つ……『清流剣』の、マネ」
「真似……?」
「本当は、水の流れみたいにエーテルを纏って、相手の攻撃をヌルリと受け流して崩す技なんだ。でも俺はエーテルがないから、それができない」
だから、と彼は自分の足元を指した。
「代わりに、徹底的に力を抜いて、相手の踏み込みの力に合わせて“空っぽ”で死角に滑り込むようにしただけ。無理やり、それっぽくしただけだよ」
(……無理やり?)
私は、自分の呼吸が一瞬止まったのを感じた。
今の動きは、そんな軽いものじゃない。必殺の一撃を、存在ごと外されたのだ。
これが、基礎の“真似”?
「俺は『空っぽ』だからね」
クロードは、あっさりと言った。
「俺にはエーテルがないから、気配を“消す”ことしかできない。だから、相手に“何もないところを斬らせる”しかないんだよ」
(……違う)
頭の中で、何かがカチリと繋がる。
ジルの言っていた言葉。
――“レバーを外す”。
「クロード、それって……」
「ん?」
「直前まで普通に気配を出しておいて、踏み込みの瞬間だけ――“レバーを外す”みたいに、気配をゼロに断ち切ってる……?」
一瞬の沈黙。
「……なるほど」
クロードの目が、わずかに見開かれた。
「その“差”か。俺は感覚でやってたからそこまで意識してなかったけど……たしかに、その方が説明がつく」
(やっぱり……!)
そういうことか。
気配を高めた状態から、一瞬でゼロへ落とす。落差が大きいほど、錯覚は強くなる。そこに滑り込めば――相手は認識がズレて、視覚も気配も、完全に捉えられなくなる。
(これ……使える)
エーテル過多な私でも。
実戦レベルの魔法を外に放つのは、今は探知機が怖くてできないけれど。
体内で微弱な気配を巡らせておいて、突然切るだけなら今でもできる……!
「……ねえ、クロード」
私は、たまらず口を開いた。
「その『水理の剣』を教えてくれた師匠って、どんな人なの?」
私の問いに、クロードは少しだけ懐かしそうに目を細めた。
「『スイゲツ』って名前の人だよ。とんでもない強さの、おっさんだった」
「スイゲツさん……」
「うん。帝都の東にある大水門街ヴァルケンの裏路地で出会ったんだ。当時の俺は孤児院を追い出されて、その日暮らしで、必死にスクラップを売って生きてた」
クロードの声は穏やかだったが、胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
「俺は、目標が欲しかったんだ。ただ生きるだけじゃなくて、人のために何かできる力を。……エーテルがなくて、いつか世界から忘れ去られてしまう俺でも、誰かの『思い出』に残るような何かがしたかった」
「クロード……」
「でも、子供にできることなんてない。結局、師匠から教わった『水理の剣』も、俺は四級……初級の真ん中くらいまでしかできなかったんだ。でも、師匠は俺を見捨てなかった」
彼は自分の木剣をキュッと握った。
「俺の『空っぽの体質』に合わせて、俺にできる戦い方を一緒に考えてくれたんだ。さっきの足捌きも、その一つだよ」
クロードは私を真っ直ぐに見つめ、優しく微笑んだ。
「自暴自棄にならずに済んだのは、師匠のおかげなんだ。『できる、やる、助ける』……この信念を教えて、育ててくれた命の恩人。だから俺は、リンに出会ったあの夜……君を助けることができた」
彼の言葉が、すとんと胸の奥に落ちていく。
私は、あの夜の運河での記憶がない。膨大なマナの暴走で、脳が焼き切れる寸前だったからだ。でも、ジルがこっそり教えてくれたから、痛いほど理解している。
彼が自分の存在を削ってまで、命がけで私を助け出してくれたことを。
「繋がってるんだね……スイゲツ師匠がクロードを救って、クロードが、私を救ってくれた」
「ああ。全部、師匠のおかげさ」
それはまだ見ぬ、偉大なる剣士。
その人がクロードに生きる力を与えてくれたからこそ、今の私がある。
私は木剣をぎゅっと握り直した。
「クロード。その技、名前はあるの?」
「え? いや、別に……単に清流剣の劣化版なだけだし」
「清流剣……」
「うん、そう。清らかに流れる川のごとく」
私は一瞬だけ考え……そして、すとんと胸に落ちてきた言葉を口にした。
「……じゃあ」
「静かな流れのーー“静流剣”って、呼んでもいい?」
クロードは少しだけ驚いて目を丸くし、それから、嬉しそうに苦笑した。
「まあ……リンがいいなら。静かに流れる、か。うん、いい名前だ」
(静流剣……)
彼は、未完成で歪な劣化版だと思っているかもしれない。
それでも――。
(これ、絶対に……もっと強くなる)
胸の奥で、確信が灯る。
彼のためにスイゲツさんが残してくれた、信念の欠片。
まだ誰も名前を与えていなかっただけで――。
(いずれ、彼だけの“剣”になる)
私はもう一度、木剣を正眼に構えた。
「クロード師匠。私に……その『静流剣』、教えてください!」
「……うん。一緒に特訓しよう、リン」
残り火の家のそばで。
二つの木剣が交わる音が、静かに、どこまでも温かく響いていた。
本作の重要な要素『剣』にまつわるお話でした。
予定通り、週3回更新は今回までとなります。
今後は【火・金】の週2回更新予定です。
ぜひ引き続き、彼らの物語を見守って頂けると嬉しいです。
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