第21話 幕間:血の弾丸作戦
世界の動き、幕間となります。
帝都・軍務庁地下会議室。
石造りの壁に囲まれたその部屋には、帝国軍の上層部、魔導研究局、工業局の幹部たちが集められていた。空気は重い。誰もが、ここに呼ばれた理由を理解している。
卓の上には、南部戦線の地図が広げられていた。
中央に記された名は――アルヴェール。
議長席に座る第一皇子、ヴァルダーがゆっくりと口を開く。
「……報告を」
軍務局の将官が立ち上がり、指先で地図の北方平原をなぞった。
「南部戦線の状況を報告します。アルヴェール陥落後、王国軍は北上。アルヴェール平原にて我が軍主力との会戦が発生しました。結果は敗北。損害は軽微ではありません。戦線は現在、堕天使の輪および魔導兵器によって、辛うじて均衡を保っています」
部屋の空気がさらに重くなる。
ヴァルダーは表情を変えない。
「王国軍の評価は」
「魔法兵団の規模が想定以上でした。騎士団の突破力も健在です。……正面からの決戦では、我が軍は不利です」
誰も反論しない。それが、覆しようのない事実だった。
第一皇子はわずかに頷いた。
「青エーテルは」
今度は工業局の官僚が、沈痛な面持ちで答えた。
「備蓄量は……三ヶ月が限界です。禁輸の影響が大きく、原料不足です。増産に限界があります」
三ヶ月。
それはつまり、長期戦は不可能であるという宣告に等しかった。
第一皇子は、静かに次の言葉を投げる。
「……セレスティアは」
魔導研究局の男が、重い口を開いた。
「脱走当日、帝都運河にてエーテル反応が消失しました。帝都外縁に到達した痕跡はありません。……溺死の可能性が95%です」
その言葉が、会議室の床に冷たく落ちた。
「青エーテル問題を根本から解決するはずだった、貴重な生体エーテルの源泉。それが失われたという事実は、帝国の希望が潰えたことを意味しております」
研究局の男が事務的に吐き捨てた「源泉」という言葉に、ヴァルダーの目がほんのわずかに伏せられた。
机の下、誰にも見えない場所で、彼の拳がギリッと白くなるほどに握り込まれる。だが、顔を上げたときには、そこには再び「冷徹な次期皇帝」の仮面が張り付いていた。
「……分かった」
そこにはもう、一分の迷いもなかった。
「セレスティア探索の戒厳令は現時刻をもって解除。続いて……王国に重大な衝撃を与える」
ヴァルダーの視線が一人の男に向けられる。魔導研究局の主任研究官が、ゆっくりと立ち上がった。
「……秘策があります。赤エーテルの活用です」
何人かが息を呑んだ。だが、彼はそれ以上は語らない。
「詳細は」
将官が問うが、研究官は首を振った。
「極秘です」
「その通りだ」
第一皇子が肯定し、周囲を見渡した。
「帝国は今、崖の縁に立っている。……私は、これを望んではいない」
短い沈黙。
「だが、帝国民を守る責任が、私にはある」
皇子の手が、地図の上で止まった。帝国領土の中央。そこには、何十万人もの民の営みがある。
「冒険者ギルドに触れを出せ。魔獣を、生きたまま確保しろ」
その真意を理解できる者は、まだここにはいない。
だが、第一皇子の命令は絶対だった。
「本作戦のコードネームを定める。――血の弾丸作戦だ。」
場の空気が、一段冷える。
「軍務局は魔導研究局へ直ちにヒアリングせよ。決戦に備え必要数を割り出せ。本作戦をトップシークレットかつ最優先作戦とする」
帝国が踏み込もうとしている領域が、どれほどの禁忌であるか。
それは、第一皇子の固く握りしめられた手から推測するしかない。
会議室の灯りは、出口のない沈黙の中で、ただ重苦しく揺れていた。
♢♢♢♢♢♢♢♢
「……溺死の可能性が95%、か」
重厚な扉の外、薄暗い軍務庁の廊下で壁に背を預けていた憲兵グスタフ・ベルガーは、短く息を吐き出した。
そして口にくわえた葉巻をゆっくりと吸う。
紫煙が天井へと立ち上っていく。
彼の脳裏にふと浮かんだのは、先日ガレージで遭遇したあの赤銅色の髪の娘――ジルの姿だった。
あの日、弟が消えていく恐怖に本気で泣き叫んでいた彼女を見て、グスタフは柄にもなく良心に突き動かされ、自分の名前を書いたメモを残した。
部下にもよく気にしておくようにと言い、少し気になってあの区画の定例報告書に目を通した。
結果は「異常なマナ反応なし」。家はしんと静まり帰り、弟の姿を見た者は誰もいなかった。
(……死んだんだろうな。あの容態じゃ無理もない)
グスタフはそう結論づけていた。かわいそうに、と胸の奥で小さく同情もした。
だが、一つだけひどく不気味な違和感が拭えなかった。
報告書に記載された、周囲の住人からの聞き込み記録。最近の変化点として『あの家の弟が死んだ』という証言が一切なかったのだ。それどころか、隣人も、通りの店主も、誰もが口を揃えてこう証言していた。
『あそこには、娘が一人で住んでいるだけだ』と。
あのガレージで見た、身をよじって泣く姉の涙は間違いなく本物だった。弟は確かにいたはずだ。だというのに、どうして周囲の人間は最初から『いなかった』ように振る舞うのか。
(……時間ができたら、あのガレージをもう一度覗いてみるか)
その奇妙な違和感を払拭するため、そしてあの不器用な姉が後追いなどしていないか確かめるため。
そんな考えが頭をよぎった時、会議室の重い扉が開き、将官たちが出てきた。
皆、一様に顔色が悪い。まるで、見てはいけない地獄の釜の底を覗き込んでしまったような顔だ。
最後に姿を現した第一皇子・ヴァルダーの背中を見送りながら、グスタフは葉巻を灰皿に押し付けた。
「グスタフ。さっそく仕事だ」
直属の上官の低く焦った声が飛ぶ。
「血の弾丸作戦だ。憲兵隊は、魔獣の生け捕りに駆り出される」
「……魔獣の、生け捕り?」
「そうだ。理由は聞くな。大至急、人員を編成しろ」
「……了解」
グスタフは短く応じ、踵を返した。
どうしようもなく嫌な予感がする。帝国という巨大な機械が、いよいよ軋みを上げながら狂い始めている。
気まぐれであの娘を気にかけてやる時間など、どうやら当分は来そうになかった。
読者の皆様はお気に入りのキャラができましたでしょうか……?
さて、次回は5/9(土)の更新予定です。




