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出撃

 統一銀河暦五〇四年六月五日。

 正式にエルヴィン・フォン・クロネッカー中将は第七師団長に任じられ、オーリンズ星系の制宙権奪取、惑星オーリンズⅢの地上部隊への補給線打通が命じられる。

 「罠と思うべきか、どうだろう」

 「参謀本部と海軍省との間で人事の揉めごとがあったみたいだよ」

 どちらがエルヴィンの味方でどちらが敵か。或いはどちらも敵かもしれない。だがそのようなことはエルヴィンにはどうでもよかった。

 「だが勝てなければ、どのみち行き止まりだ」

 傍らのアウグスタにエルヴィンは語り掛ける。彼の指名で師団副官に任じられた彼女は表情筋の一筋も動かさず長い赤毛を揺らして白金色の髪の青年に向き直った。

 「もっと上を目指すんでしょ。そうしないとあんたに未来はないものね」

 言葉こそ単純明快だったが、二人の共通認識にとってはその言葉は氷山の一角に過ぎない。言葉に数十倍する感情が心情の海面の下に沈降していた。

 エルヴィンは返答を言葉には出さず艦橋の窓に向き直った。わざわざ口にする必要もないことだった。

 「ドック内排気完了。ゲート開け」

 「ガントリーロック解除。前進微速」

 「前進微速!」

 艦橋のスタッフを含む旅団の将兵のほとんどはエルヴィンがアーミテイジの戦いで帝国軍を戦略的勝利に導いたことを知っている。本来の階級が大尉に過ぎない若すぎる海軍中将が、これまで同様、またはそれ以上に苛烈な戦いに彼らを導くことを覚悟するほかない。

 戦列艦ケーニヒが中空を滑り出るようにドックを抜け出し、純黒色の宇宙空間へと飛び出した。全周の虚空に広がる光の粒の群れ。そのうちいくつかは人類の手が及び、人の文明が芽吹いた場所かもしれない。

 エルヴィンの旗艦ケーニヒに続いて第十七装甲旅団の各艦が次々と出航してケーニヒに続航する。引き続きエルヴィンが旅団長を兼任して指揮する直属部隊として彼が指揮する主力艦部隊である。

 エルヴィンにとってオーリンズの戦場が彼の飛躍の場所となるか、失墜の地となるかは分からない。たとえどのような困難であっても、実力で打ち砕く意志を確かに胸の中に収めて戦場に赴こうとしている。

 幾隻もの艦、幾人もの命。それらは全て彼の目的のための天秤の重りに過ぎない。

 ただ一つの目的が、この青年を動かしていた。


 男爵ヘルムート・フォン・ヴァイスという男の名前を銀河帝国の政官界にあって知らない者は存在しない。

 その外見は白髪交じりの銀髪に常に微笑を湛えているように見える目元、理性と品性の完璧な調和を感じさせる紳士然とした風貌と非の打ちどころがなく、とうに五十歳を超えたにもかかわらず社交界では貴婦人の憧れの的である。妻帯者ではなく、その半生を職務に捧げて来た、と言えば聞こえはいいだろう。

 この日も機能美を追求したオフィスで白塗りの壁に囲まれて、ヴァイスはベージュのスーツに身を包み秘書官ハインツ・フォン・デア・ゴルツから報告を聞いている。

 「惑星リューベックの件ですが、拠点を第七作戦群が急襲しました。ただ犯人が全員自殺したためそれ以上の情報はありません」

 「首尾は不調だな」

 その一言だけで並の者であれば背筋が凍る思いを味わったであろう。惑星シュタールホーフの海岸の波のように穏やかな口調なのに、アイゼンヴァルトの雪洞のような冷徹さ、あるいは鋭さを同時に感じさせる。

 「敵が減っただけでもよしとするべきかな」

 感情の波風を一切感じさせない穏やかな口調でヴァイスは返答した。窓が無く並の者なら閉塞感で窒息しそうな部屋に一日中居座ってヴァイスはその精神を鍛え上げられているのだろうか。

 毎回ヴァイスの前に立つと原因不明の緊張感に苛まれながらデア・ゴルツは報告を強いられる。今のところヴァイスから明確に批判されたり彼の能力が否定されたりしたことはないが、毎回面接官の前に立つような圧力をこの紳士は恐らく本人も意識せずにかけてくる。まだ若い秘書官は内心の緊張を押し殺して気丈に振舞っていた。

 「加えてクリューガーの件について進展がありました。例の間諜との接触があったようです」

 「証拠は押さえたか」

 「はい」

 「ではそのまましばらくは泳がせておこう」

 微笑のような表情を一切崩すことなくヴァイスの視線はデア・ゴルツを捉え続けている。できれば別の方向を向いてほしい、と秘書は思う。

 一通りの報告を終えて自分の中ではゆっくりと退出しようとしたデア・ゴルツを片手を挙げてヴァイスは制止した。

 「そう言えばエルヴィン・フォン・クロネッカー中将が第七師団長として赴任するようだな」

 「はい、戦死した前任者の後釜に就任するとのことです」

 藪から棒に飛び出した質問の意図が全く分からず、振り向いたデア・ゴルツの視界の中でヴァイスは泰然として椅子に座っている。その光景が不気味に感じてデア・ゴルツはその姿勢のままに固まって上司の次の言葉を待った。

 「彼は“水の間の変”で連邦の手先の凶弾から皇女殿下を救った。殿下の推挙で彼の閲歴に弾みがついたのはそこからだ」

 何を言い返せばいいのかが見当もつかず、硬直したままデア・ゴルツは沈黙していた。ヴァイスは何かの示唆を彼に与えようとしているのか。

 「彼はマグデブルク家の出身だ。だが少尉に任官してすぐ、彼はあの家と離縁してまでマグデブルク家から距離を置いた。なぜだと思う」

 その固有名詞と肩書くらいしか知らない人間の内奥を問われても、デア・ゴルツには答えようもない。戸惑っていたが幸いヴァイスは彼に回答を求めようとはしなかった。

 「彼には着目しておく必要がありそうだ。そう思わないか」

 「お調べいたします」

 無難な回答と共に秘書官は再度一礼してゆっくりと部屋を出た。

 彼の上司は色々と分からないことが多い。だがデア・ゴルツの聞くところではヴァイスの前任者もまた変わり者が多く、実力には疑いがないが人格が極度に屈折した者も一人や二人ではない。

 それを思えばヴァイスは決して外れの上官というわけではないのだろう。無論絶対値ではなく相対的な意味ではあるが。

 もっともこの組織の首脳たる身が凡人や誠実が取り柄の“常識人”に務まるわけがないことは確かだろう。

 国家保安省。国内外で敵対分子の検挙や防諜を担う秘密警察にして諜報機関である。その長たる国家保安卿がヘルムート・フォン・ヴァイスだった。


 宇宙という人間一人が生身では決して到達できない空間に隔てられた星々を結ぶ人と物、情報の行き道を所管する帝国逓信省の権限は内閣に列する一府十八省の中でも極めて大きい。その長たる逓信卿にマグデブルク公爵ヴィルヘルムが五三歳にして就いていることが政界に広く根を張るマグデブルク家の権力の大きさを示していた。

 「ご令嬢の華燭まではあと三年ほどですかな」

 海軍参謀総長ホルツバウアー上級大将が逓信省を訪れているのは考えてみればおかしな話だが、銀河帝国にあって高位階級の公私混同は決して珍しい話ではない。

 「待ち遠しいものだ。コンラート殿下が成長され、ジギスムント殿下が即位なされれば帝国も我が家も安泰となろう」

 「まことに喜ばしいことでございます。しかしお耳汚しながら、エルヴィン・フォン・クロネッカーが近頃軍部内で蠢動しておりまして」

 マグデブルク公はせせら笑った。

 「姓を変えてまでマグデブルク家との縁を絶ったかつての愚息に、いかほどのことができるというのかね」

 「仄聞するところでは奴は“水の間の変”以来エリザヴェート皇女の寵愛に浴しているとか。それでいて現在は海軍中将の高位にあります。これが結び付けば厄介な勢力となりはしませんか」

 「いち中将ごときに何ほどのことができようか。武力の大半は卿が掌握している」

 逓信卿は鼻を鳴らして席を立った。

 「だがそれほど気になるというのなら——奴の栄誉なり名誉なりを失墜させればよかろう。奴の拠って立つ処を自ら掘り崩してしまえば、奴もいたずらに武勇を誇ってはいられまい」

 それくらいの理屈はホルツバウアーには百も承知だが、問題は彼が国賊の汚名を被ることなく敵をしてエルヴィンに対し勝利を収めさせる方法である。できればそのような不名誉な仕事を押し付けられる存在はいないだろうか。遠回しにそれを問うと、逓信卿は数瞬答えを求めてホルツバウアーの視界の中を歩き回った。

 「奴の部下に、もし上官の指示が誤っていると思えば独自に行動していいと伝えればどうか。その責は参謀本部で負うと」

 「しかしそれでは結局我々の責任となりましょう」

 「ならば他の方法を自分で考えることだ」

 ホルツバウアーの眼鏡の奥の瞳が険しさの度を増した。彼は元々武人であり、策謀や詐術を弄する人間ではない。そのような策を実行するのはマグデブルク家の人間の方がよほど適しているだろう。

 だが差し当たりホルツバウアーの権限内で対処するほかなさそうであった。帝国海軍は須らく彼の支配下に収まっているべきであり、彼の構想に十分な兵力が用意され、彼の意に従う将兵が揃っているべきで、それを強力に支持する人間が、至高の玉座に就いている必要があった。


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