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水面下

 二日前。

 「ご無沙汰しております、閣下」

 にこやかな表情で第十七装甲旅団副官アウグスタ・シューラー大尉は軍帽を脇に抱えて入室した。

 後ろで纏めた赤毛は燃えるように輝き、対照的な群青の瞳は大きく、彼女の強さを外見で物語っている。今年二五歳、エルヴィン・フォン・クロネッカーの副官にして海軍兵学校の同期生でもあった。

 海軍参謀本部の一室。カール・アドルフ・ツー・ホリト少将の執務室は職務上必要最低限の調度のみが配され、窓から差し込む光が石と木で形作られた室内に色を添えている。

 「出向くこともできずすまない、私も忙しくて」

 「構いません。こちらからのお願いですから」

 三九歳の参謀本部作戦課長は執務机を挟んだ一脚の椅子を示した。

 「二五歳で大尉とは。やはり早いな」

 「恐縮です」

 「お前たちの代ではお前が出世の二番手だと」

 「閣下の教えの賜物です」

 世辞を黙って受け流し、ホリトは兵学校時代の教え子が席に着くのを待って口を開いた。

 「それで、何用だ」

 「私の上官に宛がう任務がないかと思いまして」

 ホリトの片方の口元が吊り上がった。

 「営業活動か?」

 「アーミテイジの戦いで三倍する敵艦隊を相手に時間を稼ぎ切った手腕は、目下の戦局の挽回に貢献できると思いますけど」

 膝の上に置いた軍帽のつばを指先で玩びながら言う。

 「だが彼はまだ二五歳だ」

 「今は戦時です。有為な人材は活用すべきではないですか」

 「だが……」

 ホリトの視線は反論の言葉を探すように室内をさ迷っている。

 「私のお願い、聞いてはくれないですか」

 「……オーリンズ星系で第七師団が苦戦している。昨日の海戦で師団長が戦死した」

 「ではそこに彼を送ってください」

 作戦課長は数秒の間答えず万年筆の尻で黒樫の机を叩いていた。

 「奴にそれほど可能性があるというのか」

 「この一年強、私は彼の采配を見続けています」

 「あの戦いでの彼の評価は芳しいものではない。一旅団長に過ぎない地位で勝手に部隊を糾合しては統率が乱れる」

 「ですが成果を挙げています」

 ホリトは首を横に振った。

 「参謀本部や海軍省が評価するかは別問題だ。クロネッカーの元にいて、貴官が共倒れにならないかを心配している」

 何の意味も持たない笑みが、アウグスタの端麗な顔に浮かんだ。

 「彼が私を手放さないでしょう。オーリンズの件、お考えいただけますか」

 「奴にいつから乗り換えたんだ」

 赤毛の大尉の微笑が蠟燭の炎のように消えた。

 「閣下には関係のないことです」

 貧困層の平民階級に生まれたアウグスタが誰も彼女を否定できない、認めないわけにはいかない光であるために、利用できるものは何でも使った。それがたとえ自分自身であっても。

 そこまでしても彼女はエルヴィン——比類なきあの陽光に届かなかった。

 「——悪かった」

 ホリトは唇を結んだ。歴戦の雄と謳われる彼も、この時彼よりも一五歳近く年少の一大尉を相手に退くほかなかった。


 「中将に昇進」

 波立った声と共にエルヴィンは席から腰を浮かした。

 帝都から最も近い軍港にして帝国海軍最大の根拠地、ブラウメンの第一衛星スコルのフェンサリ海軍基地。第十七装甲旅団旗艦ケーニヒの司令官公室でエルヴィンは艦隊運用戦術の立案に没頭していたところだった。

 「今まで通り戦時階級だけども」

 旅団副官アウグスタ・シューラー大尉は手に持った一枚の紙を彼女が仕える上官の机に置いた。海軍省人事局からの内示が記されている。

 手を伸ばして紙を取り、書かれた内容を流し見した真紅の瞳が再び副官を見据えた時、その目はいつもよりも大きく開かれていた。

 「俺を中将にするほど追い詰められているのか」

 「上層部で色々あったんでしょ。功績を認められてか、名誉の二階級特進(・・)の前渡しか、どっちだろうね」

 アウグスタでなければ感知し得ないほど薄く不信感と喜色とが塗り重なった顔色で、白金色の髪の青年は再び席に腰を下ろした。

 「恨まれるよ、ただでさえ嫉妬される立場なのに」

 そう言われてエルヴィンは不意に口元を歪めた。

 「知りもしないのに何とでも言う」

 「そのうち刺されないといいね」

 上官以上に淡々とした鋭角的な振る舞いで赤毛の女士官はエルヴィンの感情に冷や水を流しかけ続け、少女のような青年は塊のような息を吐いて席を立った。

 「中将昇進ということは師団長級。どこかの戦線の火消しに投入されるということか」

 「多分ね。次行く先でも私が副官として支えてあげようか」

 「それか敢えて顕彰してから仕組んだ罠に誘い込んで凋落させる狙いか」

 アウグスタの放言を聞き流してうそぶくエルヴィンに興味なさそうにアウグスタはデータパッドを操作して、エルヴィンに画面を見せた。

 「オーリンズ星系で第七師団が苦戦してる。相対する連邦軍は概算で倍くらいは展開している。多分ここだろうね」

 唇を結んでエルヴィンは画面を覗き込んだ。

 「補給能力の限界を超えて大軍を送り込んだせいで進む事も退く事もできなくなったか」

 「今の帝国軍にこれ以上第七師団に送る兵力は残っていない。それで目下の戦力で解決を図るしかないんだね」

 「それで俺に第七師団を任せるということか。厄介だな」

 「と言っても辞退はできないでしょ」

 かたちのよい唇を噛んだエルヴィンをアウグスタがたしなめる。

 「ひとまずは現地の集められるだけの情報を」

 頷いてアウグスタは踵を返した。

 自分の席に腰を下ろし、エルヴィンは息を吹く。

 どこであっても勝たねば意味がない。一度でも躓けばあまりに若くして築き上げた砂上の楼閣そのものの地位は脆くも崩れ落ちることになる。綱渡りのようなリスクを甘受してでも、茨の道をひた走るほかなかった。


 参謀総長ホルツバウアー上級大将は不機嫌だった。

 本来彼の専任領分であるはずの作戦計画に海軍省が横入りしてきたことである。

 オーリンズ星系の戦いで戦死した第七師団長イェリネク中将の後釜にはホルツバウアー子飼いのエッカート中将を打診していたが、海軍卿アルニム上級大将がエルヴィン・フォン・クロネッカー少将を後任の人事に差し込んできた。

 参謀総長に就任してからの三年、参謀本部を切り盛りして自分の一派を形成してきたホルツバウアーにとって、海軍省が作戦人事に口出しして来ることなど前例がない。戦時においては実戦部隊における軍令部門の人事権の優越は不文律の規定であった。

 エルヴィン・フォン・クロネッカーが失敗する分にはホルツバウアーは構わない。帝国海軍将校人事の特異点(シンギュラリティ)のような男の地位が失墜することに彼が痛痒を覚える筈がなかったが、もし成功すれば彼を推薦したアルニムが恩を売り自派閥の勢力に取り込みかねない。

 アルニムと彼の庇護を受ける門閥貴族官僚将校たちの勢力は下級貴族や平民階級出身者を中心に前線勤務の将校が多く皇帝の次男たるジギスムント大公の覚えがめでたいホルツバウアーに比して目立たぬ派閥である。だが帝国にあっては大公マティアス・ツー・ブラウメン、第二師団長エーベルハルト中将、参謀本部作戦課長ホリト少将ら優秀な将帥がアルニムの子飼いとなっていた。

 ホルツバウアーにとってはエルヴィンよりもエッカート中将の方が実戦経験も豊富で閲歴も申し分なく、何よりホルツバウアーの手駒でありクロネッカーのような派閥論理の埒外の男より遥かに適任に思える。

 それを主張すべくホルツバウアーが赴いたのは皇宮ルイーゼ宮だった。海軍省がその人事権で参謀本部を圧する以上、それより上位の存在——絶対君主の権威を仰ぐほかない。

 「以上の点より、小官といたしましては改めて、エッカート中将を第七師団長として推薦したく存じます」

 謁見に用いられる水晶の間で長々と話し終えた参謀総長はそう結んだ。

 「ふむ……」

 皇帝ヴィルヘルム三世は水晶の間には不釣り合いな可動式のベッドの上に横たえた身を起き上がらせて佇立する参謀総長を見つめた。

 「卿はそう言うが、参謀本部の考えた見立てでこの一年我が軍が勝利したことがあったか。エッカートが作戦課長として立てた作戦計画で、我が軍はどれだけの損失を出したか」

 病状思わしくない皇帝の言は意外なほどに鋭利だった。内心で戦慄したホルツバウアーだが、今更引き下がることもできず反論する。

 「しかしながら陛下、クロネッカーには高等用兵の経験が不足しております。今まで大規模海戦の指揮を執ったことは一度しかなく——」

 「その一度が卿らの立てた作戦で大敗した我が軍主力の退却支援であろう」

 にべもなく痛い所を突かれ、ホルツバウアーは言葉に窮した。

 「クロネッカーは確かに二五歳と経験において諸将に劣る点があるかもしれぬが、短き軍歴にして並の者が成し得ぬ軍功を挙げておる。エリザヴェートも彼に命を救われた。それは卿も知っているであろう」

 言葉の間に不健康な咳を挟みながら皇帝は言い切った。

 「は……」

 「余を用いて我意が叶うと思わぬほうがいいぞ、参謀総長」

 病身の皇帝の声は烈しくも力強くもなかったが刃物のようにホルツバウアーを抉った。抉られているのは単に彼の心情のみならず、彼の権威であった。帷幄奏上でも海軍卿の策動を阻止できぬとなれば、もはやホルツバウアーにできることは何もない。

 引き下がったホルツバウアーは、次なる一手を考える他なかった。

 皇帝の温情も歓心も、戦場での敗退を覆すことはできはしない。ホルツバウアーの慧眼を示し海軍卿と皇帝の不敏を暴くために、参謀総長という職位を用いてできることはないだろうか。

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