帝国海軍参謀本部
統一銀河暦五〇四年五月二七日、帝都ケーニヒスシュタットの帝国海軍参謀本部庁舎。
窓から朝日が差し込んでいる。光の中に舞う埃が浮遊する室内に足を踏み入れた時、動員課長クリストフ・フォン・フェルステマン少将は窓枠で反射した光に思わず目を細めた。
既に先客たちが黒樫の長机を囲んで腰を下ろしている。いずれも黒色の銀河帝国海軍将校正装に身を包み、肩には参謀飾緒として知られる金色のモールを垂らしていた。
フェルステマンと同じく少将の階級を示す金線が袖に入った将校が彼を見上げて片手を挙げた。均整の取れた引き締まった体躯に右目を覆う黒い眼帯、左目側を額から顎まで走る傷痕と、軍人というよりもマフィアを彷彿とさせる風貌の将校である。前線で戦い続けてきた歴戦の男ということは疑いなく、前線に出ずにブラウメン勤務で出世する大半の貴族将校たちとは一線を画する存在だった。
「遅いぞ」
フェルステマンは手にしたファイルを机に置き、同僚の真正面の席に腰を下ろした。
「こんな朝早くから会議とは」
「聞いていないのか」
同僚は怪訝そうな表情をした。
「オーリンズⅢの件だ。輸送船団が全滅した」
「陸軍が怒り心頭だな」
感情の波風を感じさせずフェルステマンは応じた。
それに対して同僚が何か言いかけたところで入口の方に目を向け、反射的に立ち上がった。
「参謀総長、入られます!」
フェルステマンに限らず長机を囲んで話していた将校たちが一斉に立ち上がり、直立不動の態勢を取る。
副官を伴い入室してきたのは禿げ上がった頭に対する立派すぎる髭が対照的な男だった。眼鏡の下の切れ長の目で居並ぶ高級将校らを一瞥しながら男は部屋の奥の席へと向かい、右手で全員に着座を促した。
「状況は」
席に腰を下ろすより早く参謀総長ペーター・フォン・ホルツバウアー上級大将は問い、即座にフェルステマンの向かいの眼帯の男、作戦課長カール・アドルフ・ツー・ホリト少将が口を開く。
「一昨日、オーリンズⅢに向かわせた陸軍第五三軍と補給物資を載せた輸送艦隊が壊滅しました。旗艦が被弾し、イェリネク中将は戦死の模様です。損害は輸送艦八五〇、戦列艦七二四、通報艦一一三」
参謀総長は片眉を吊り上げた。
「大損害だな」
「オーリンズを帝国海軍の墓場にするつもりか!」
戦務参謀次長ハインリヒ・フォン・アスペルマイヤー大将が声を張り上げた。
「オーリンズⅢの制宙権は連邦軍の手にあります。輸送船も辿り着けないとなれば現地軍三百万を撤退させることすら覚束きません」
「そのようなことは分かっている。求めているのは現状の打開策だ」
作戦部長ヨーゼフ・フォン・レーヴェンベルク中将はホリト少将に言い返し、さらに続けた。
「貴官のことだ、既に打開案は考えているのだろう、作戦課長」
「はい。イェリネク中将の後任にクロネッカー少将を」
その一言に一座の注目が一斉にホリト少将へと集まった。そのほとんどが驚愕ないしは疑念の視線である。
「クロネッカーだと」
「マグデブルク家の縁者であればこそ優遇されたような男ではないか」
「陛下の下で運にだけは恵まれた者に何を……」
方々から文句が噴出する。
「そのクロネッカーです。彼はアーミテイジで外洋艦隊を救った。その手腕に期待してよいのでは」
ホリトは生き残っている左目を素早く動かし、一座の一人一人に視線を向けながら話した。
「しかしこの苦境に彼のような経験の浅い男を……」
「直近の戦役で外洋艦隊主力は大きな被害を受けましたし、無事な艦も整備が必要です。稼働艦艇を全て結集させても、連邦軍に対し劣勢の今オーリンズ戦線に大軍を動員するのは不可能です。しかし早急に事態を改善しなければ彼の地の我が陸軍は全滅します。イェリネク提督に解決できなかったのなら、あのクロネッカーを使うしかないのでは」
「それは博打だ」
戦務参謀次長が首を横に振る。他の一座の面々もまた反対するかのように口元を曲げていた。“クロネッカー”という人物名に対して一同が抱く印象が容易に察せられる。
「編成課長。直ちに第七師団に増援可能な艦艇はどれくらいだ」
滞留から固着へと移行しつつあった室内の空気感を払うように参謀総長が問い、編成課長マルテ・フォン・フェルケルザム少将が急いで手元のデータパッドを操作し、白髭に覆われた顔を上げた。
「外洋艦隊の兵力不足を補うために本国艦隊より相当数の師団を供出しましたため一個旅団程度が限界です。しかしこれだけでは到底連邦軍艦隊には……」
「送れるだけの艦艇を直ちに前線部隊に増強しろ。イェリネクの後任は私が考えておく」
それだけを副官に命じ、ホルツバウアーは素早く席を立った。すぐに机を囲む全ての将校が起立し、参謀総長を送り出す。
扉が閉まり、室内の将校らが頭頂部から伸びる糸が切れたように一斉に動き始めると会議で一度も発言しなかったフェルステマンは速足で机を回り、ホリトに声をかけた。
「本気か、クロネッカーを使うって」
「貴様も奴の実績は知っているはずだ」
「だが見ただろ。誰も貴様に賛成はしなかった」
ホリトは構わず手に持った書類を黒樫の机に叩きつけて揃えた。
「出世を焦るのは分かるが、邪道のような提案をしても受け入れられんぞ」
ホリトは何も言い返さずにテーブルを離れる。その背中を無言でフェルステマンは追っていた。
銀河帝国海軍卿コルネリアス・ツー・アルニム上級大将は退庁間際になって秘書官から急な客の来訪を告げられた。
「ホリト、一体どうした」
迎えに行かせた秘書官に連れられて分厚い扉から入ってきた将校の姿を見て、アルニムは席を立ってホリトを迎え入れた。
「突然お騒がせし申し訳ございません」
開口一番に詫びを入れ、軍帽を取ったホリトは腰を低くして海軍卿に近づいた。
「至急にお耳に入れたい案件がございまして」
「よかろう。座れ」
堂々たる体躯と鼻の下のカイゼル髭が印象的な海軍卿はホリトに席を勧め、自分は執務机へと戻った。
「本日の未明にオーリンズⅢに向かった我が軍の輸送船団が壊滅。イェリネク提督は戦死。陸軍の一個軍を積載した輸送船団と多数の艦艇が失われました」
「それは聞いた。陸軍省からも抗議があった」
「はい、しかしながら参謀本部は抜本的な解決策を講じておりません」
左目で狙撃するかのようにホリトは海軍卿を見据えた。ホリトの直接的な物言いに海軍卿は微かに身をよじらせる。
「どういうことだ。抜本的な解決策だと」
「オーリンズⅢを封鎖する連邦軍艦隊は我が艦隊より優勢なれば、若干の増援を送り込んだところで事態は解決しません。しかし先の戦役で少なからぬ損失を被った我が軍の主力をオーリンズ方面に投入することもできません」
アルニムは不快げに顎髭を揉んだ。
「それは分かっている。だが目下の状況では他に手はないのではないか」
「参謀本部はエッカート中将を推しました。以下は候補者です」
ホリトがアルニムの執務机の上に差し出した一片のメモには、走り書きで数人の名前が記されている。
「エッカート、マインホフ、ブルック……クロネッカー」
紙片の上を辿る海軍卿の肉厚な指の動きが、一つの名前の上で止まった。
「エルヴィン・フォン・クロネッカーです。名前は閣下もご存じでしょう」
そう言われてアルニムの目が細くなった。
「クロネッカーだと。あの“狂犬”と言われる男か」
「その“狂犬”です、閣下」
アルニムは明らかに半ダースほどの苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
「これだけか。他にも適任者はいるのではないか」
そう言われてホリトは立ち上がり、絨毯に軍靴の音を吸わせた無音の歩調で海軍卿の執務机へと歩み寄った。
「直ちに派遣できる者は帝都にこのくらいしかおりません。時流に任せればエッカートやブルック辺りに落ち着くでしょうが、共に凡庸な参謀総長の腰巾着。しかし彼らを任じ成功すれば彼らの権威が増し、失敗した責任は人事の失敗として閣下に及びかねません」
アルニムは言い淀んだ。万年筆を指でいじりながら難しい顔をしている。
「クロネッカーは少将ながらどの派閥の色もついておりません。最も扱いやすく、そして特効薬となりうる人物かと」
「しかしな、クロネッカーほどの若手を使うなど博打のようなものではないか。それに仮にもマグデブルク家の人間だぞ」
「勝っても一度のこと、閣下のお力でいかようにも制御できましょう。もししくじれば小官の責として喧伝していただいて結構でございます」
「それは困る。貴官には参謀本部を掌握してもらわねば」
それにホリトは言い返さず、ただ真正面から力強く海軍卿を見据えていた。そこに妥協を許す意など毛頭込められてはいない。
数秒して海軍卿は椅子の背に身体を預けてホリトを見上げた。
「分かった。クロネッカーを推薦すればいいんだな」
納得はしていないが自分の愛弟子がそこまでいうのであれば仕方ない、ホリトの献策には相応の理由があるのだからそこに任せてやろう。この時アルニムは我意を抑えてホリトの献策を受け入れた。
「ご高配、感謝申し上げます」
ホリトは頭を下げた。
「ただしクロネッカーには何としても事態を回復させろ。貴官が責を負うと言っても、奴がしくじれば当然その責は私にも降りかかるのだからな」
「肝に銘じております。閣下の名声に泥を塗るような真似は決していたしません」
ホリトは再び腰を折り、深々と首を垂れた。




