表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/9

マグデブルク家

挿絵(By みてみん)

 帝都ケーニヒスシュタットから南に一三〇〇キロ。銀河帝国の経済的中枢たるブラウメンブルクはその高さをキロメートルで数えるべき超高層ビルが林立する巨大都市であり、夜になれば不夜城の如き光をあらゆる光源が放ち、昼夜を分かたず活動している。

 その様はまるで都市一つが巨大な有機生命体であるかのようであり、一億を超える昼夜間人口が一分一秒の間断なくこの巨大な街の歴史を刻み続けていた。

 その中にあっては高さ八〇〇メートルのホテル、シュヴァイクトゥルムですら中層ビルとして区分され、その高度六二三メートルに位置するカフェ・ブーフヴァルトから見える景色も日頃ブラウメンブルクに住まう者たちにとっては陳腐なものである。その窓際の一角でエルヴィンは躍動する夜景を背景にソファに腰を下ろしていた。

 「御嬢様はお元気でいらっしゃいます。エルヴィン様が無事にお戻りと聞いてお喜びでした」

 エルヴィンの目前に座る執事、ミヒャエル・ツィーグラーは六十歳を超え頭髪が全て白く染まった今でも鍛え上げられた肉体がシャツの下から浮き出るほどの筋肉を持ち、軍人か警察上がりであると容易に想像させる。細長い顔はエルヴィンが彼を知覚した二十年以上前からほとんど変わらず、加齢の衰えを感じさせない。

 「そうか」

 一瞬の安堵の喜色は、陰鬱さを覚える歯噛みに取って代わられる。

 「だがあの牢獄に囚われている限り、本当の意味でヴィルマが救われることはないんだ」

 その言葉は既に何百回聞いたか、男には思い出せない。一つ間違いないのは傍流とは言え皇孫に嫁入りするという銀河帝国の淑女にあって最大の栄誉が、この青年にとっては道端に吐き捨てられたガムほどの価値すら認めたくないということであろう。

 「あとおよそ三年でございますか」

 「そうだ。彼女を救うにはこの時間さえ惜しい。本当なら今からでも最前線で戦果を挙げ続けたいのに——いやこの時間が無駄だと言いたいわけじゃないんだ。だが……」

 放言でないのはこの長い白金色の髪の青年の口調が証明している。ミヒャエルは首を横に振った。

 「このミヒャエル、エルヴィン様が乳飲み子であった時より見てきております。言葉の綾などお気になさるな」

 気恥ずかしさを行動で埋め合わせようとするようにエルヴィンは視線を泳がせた。身を乗り出して手に持ったカップを皿に戻す。

 「例え戦果を挙げても、それが出世に直結するかは分からん。老人共は若すぎる俺のことを好ましくは思わない」

 「なるほど戦時とは言え二十代で将官というのは受け容れ難いでしょう。しかしそれを貴方様の才覚一つで打ち破っていけばよろしい」

 「あと三年、たった三年だ。それまでの間にやり切らなかったら全てが無駄になる。公爵に叙されても元帥に昇進しても簡単にはできないことを」

 カップの底に僅かに残ったコーヒーに映る自分の顔をエルヴィンは睨みつける。

 「でも必ずやる。そう約束したんだ」

 顔を持ち上げた青年の視界の中で小さく頷き、ミヒャエルは席を立った。

 「貴方様のご様子は御嬢様にお伝えしましょう。あまり長くお屋敷を離れていては怪しまれてしまいます」

 「分かってる。いつも感謝してる」

 ミヒャエルに応じてエルヴィンも立ち上がった。その肩まで届く摩天楼の無機質なネオンを吸い込んで冷たく光る白金の髪、柔らかな顔立ちに似合わぬ意志の強さを灯らせた瞳が男を見据える。

 「ご武運を」

 「ミヒャエルこそ、元気で」

 ミヒャエルが踵を返し、一人エルヴィンはその場に残された。振り向いてガラスの向こうで脈動する景色を望む。人の手が作り上げた光の粒たちが、彼の網膜に踊った。

 懐から一枚の手紙を取り出す。茶褐色の封筒が、妹のものと分かる蝋印で封をされている。

 微かに震える指先で封蝋をなぞる。割らないように剥がして手紙を開ける。その指が妹の頬に届くその日まで、エルヴィンは戦い続けることであろう。たとえそれがどれだけ苦難の道のりで、その道端にどれだけ多量の血が流れるとしても。

 “昨日、コンラート様がお見えになりました。いつも通り私を必ず皇后にし、なんでも叶えてやると、熱を込めていらっしゃいました”

 その一言が目に留まった。

 あぁ、お前も苦しんでいるのだな。皇后などというこの世の汚泥を一身に背負うような立場を求められて。

 必ず俺の手で救い出し、自由にさせてあげよう。お前が生きるべき世界はいくらでもある。この宇宙は銀河帝国という大国の版図でも全く及ばぬほど広いのだから。

挿絵(By みてみん)

 マグデブルク家。

 銀河帝国にあって随一の権勢を誇る貴族家である。形骸化した五選帝侯(Kurfürst)の一つマグデブルク公爵(Herzog)号を持つ、権威と血脈において銀河帝国髄一の大貴族家である。帝都ケーニヒスシュタットの近隣に一万平方キロメートルの荘園を下賜されたことは、そこが生み出す経済的利権以上にその所在地でマグデブルク家の権勢を象徴するものであった。

 帝国逓信省を半ば支配下に置き、ここ百年の間の逓信卿がマグデブルク家以外から出たことはない。現在の逓信卿、マグデブルク公爵ヴィルヘルムの下には三名の子供がいた。

 長男ヨーゼフ、次男エルヴィン、長女ヴィルヘルミナがそれであり、二八歳のヨーゼフは将来の逓信卿と目される。二五歳の次男エルヴィンは自ら離縁して家を離れ、現在はクロネッカーの姓を名乗って帝国海軍少将の地位にある。そして長女ヴィルヘルミナは二三歳、王家ブラウメン家傍流のジギスムント大公(Erzherzog)の長男コンラートとの婚約が取り決められていた。

 「ヴィルヘルミナ、コンラートとの間柄は遺漏ないか」

 ある晩の夕餉の席上、父ヴィルヘルムに問われた。ヴィルヘルミナは手にしたナイフとフォークを静かに置き、微笑して返した。

 「はい。一昨日もコンラート様がお見えになりました」

 「ならよい」

 父の返答は素っ気ない。

 「それよりも父上、イェーガーシュタットへの航路の認可はまだ出せないのですか」

 ヨーゼフが身を乗り出して問う。

 「航路局が審査に時間をかけているが。急かしているところだから待て」

 父と兄の話はヴィルヘルミナの耳には入らないし、彼女の機微に二人が意識を向けることもない。彼女が機械的にフォークを口と皿とを往復させ続ける絡繰(からくり)と化していても、それは彼らの視野において意識を傾けるべき大事ではなかった。

 部屋に戻り、窓を開ける。隙間から吹き込む冷たい空気。

 帝都ケーニヒスシュタット郊外のマグデブルク邸の周囲はブラウメンブルクのような不夜城ではない。夜に空を見上げればそこは宇宙と変わらぬ星の群れが広がっている。

 手に持った封、それは実兄からの手紙だった。昨日の夜ミヒャエルが届けてくれた。

 どんな宝石よりも価値のある紙。一枚とて無くしたことはない。

 彼女が愛する、世界で唯一彼女のために生きてくれる人。彼がヴィルヘルミナのために流す血の一滴が、全て彼女のために流されているのだ。それを思うとき、胸が躍る。道具としてしか価値を認められない私のために、兄はその人生のすべてを賭けて尽くしてくれるのだから。

 手紙を握り、空を見上げる。ずっといたら身体の芯から凍り付きそうな寒さなんか今は気にもならない。兄の愛情が、彼女の悦びを支えてくれる。

 昨日のことにも思える遥か遠い昔にここから兄と見上げた空は、今日も変わらず彼女の眼前に浮かんでいる。幾千幾万の星々の輝きは人間の時間に拘泥することはない。変わらぬ星空を見上げる彼女の身体はあの時よりどれだけ大きくなっただろうか。

 瑠璃色の空を弾き返すような紅の瞳。政略結婚の道具として使われる彼女に自己決定権など存在しない。その彼女の瞳の奥に宿る思念など、周囲の人間たちにとって関心の外にあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ