第一海軍高射師団
統一銀河暦五〇四年十月一日付でエルヴィンは第一海軍高射師団長に補職される。
司令部は帝都星ブラウメンの帝都ケーニヒスシュタット近郊に所在するフリードリヒスブルク海軍施設に置かれ、エルヴィンは毎日ブラウメンブルクに構えた居宅から出勤することができるようになった。
「艦隊とは違うな、この仕事は」
就任後一週間ほどしてエルヴィンは愚痴をこぼした。流石に師団首席副官アウグスタ・シューラー大尉の前でのみであるが。
麾下に艦船は一隻も持たない部隊である。帝都防空の要と言えば聞こえはいいが、現実に第一高射師団がその実力を問われるときは帝都侵攻の異常事態、実戦の機会に恵まれることもなく、その練度や士気はお世辞にも高いとは言えなかった。
だが表面的な感触以上に、エルヴィンにとっては切迫した感情が存在した。
皇帝不予。病臥を続ける皇帝ヴィルヘルム三世は今年中にも崩御するのではないか、と言う観測が立ち始めていた。
「そうなれば大公派が蹶起し、帝都を占領して皇太子と皇女を弑逆しかねない」
エルヴィンはアウグスタに語った。それは彼が侍従武官を通じて聞いた情報である。
「軍部内で相当な支持者がいるからね、大公は」
さほど情報通と言うわけでもない首席副官でも耳にするくらいである。敵国以上に憎み合う陸海軍同士が共に支持すると言うのだから、ジギスムント大公の人気と言うよりルートヴィヒ皇太子の不人気は相当なものであった。
「でも所詮対空砲と航空部隊しか戦力のないこの師団で、いったいどうやって皇宮を防御するの」
エルヴィンは瞬時には答えられなかった。首に手を当てながら一語づつ紡ぎだす。
「……帝都で艦隊戦を始めるほど大公も愚かじゃない。艦隊で封鎖して海兵隊か陸軍で包囲が穏当だ。つまり陸戦部隊が来る」
全長一キロを超える戦列艦で惑星ブラウメンの軌道封鎖に打って出て、撃墜でもされれば大気圏の摩擦で燃え尽きないまま数百メートル規模の破片が帝都に降り注ぐこととなる。廃墟の瓦礫の上の玉座に大公が腰を下ろすことを望んでもいない限り、そのような真似はできるとも思えなかった。
敵の陸上部隊への対抗策の検討を指示してエルヴィンはアウグスタを退出させ、一人窓辺に立つ。レースのカーテンを捲った向こう側には、無彩色の景色が広がっていた。
低く暗い雲から銀世界へとまき散らされる雪が積み重なり、銀河帝国の帝都を象徴するカラーパレットを作り上げる。ほぼ年中雪に閉ざされたこの海軍施設から、彼の出生の地までは直線距離で僅か三〇キロ程度だった。
ヴィルマがそこにいる。今のエルヴィンはその妹とかつてないほどに近接した場所で勤務していた。
宇宙に出れば数千、数万光年の彼方へ僅か数カ月で到達し、百万将兵を率いて戦ったと言うのに、この僅かに三〇キロの距離を超えて会いに行くことができない。最後に会ったおよそ七年前から、今なお再会は果たされていない。その権利を自ら捨てたのはあまりに衝動的であったか、と時々思う。
だがもし今もなおマグデブルクの名を名乗っていれば、常に彼はその家名の呪縛に両手両足を掴まれながら生きるほかなかっただろう。ブラウメンブルク高等法院で与えられたクロネッカーと言う姓を後生大事に抱えて生きていくつもりもないが、唾棄すべき苗字を早々に捨てたのはエルヴィンにとって一つのけじめだと思っていた。
それが正解だったか否か、今後もそうあるか否かは過去の延長線上の現在ではなく、現在の延長線上の未来に答えを求めるほかない。
自分の判断力の正しさをエルヴィンは信じていた。過去偉人と呼ばれた人物たちはいずれもそうだっただろう。だが彼とて自分の生き様に一度も疑問を持たなかったわけではない。それでも自分を信じさせて突き進むことしか人間にはできないと言うことは、疑いようもない事実であった。
「ねぇ、ロッテ」
ある昼下がりの花園で、皇女は語り掛ける。
「叔父様は私やお父様を支持してくれないんでしょ。お父様はどうすれば叔父様の不満を宥められると思う?」
丸テーブルの反対側に腰を下ろす侍従武官の黒髪が揺れた。
「大公殿下のお望みは皇太子殿下が相続を放棄されることです。皇太子殿下がこのままルートヴィヒ二世として即位されて、どのような手を打たれても大公殿下のご不興は収まらないでしょう」
「じゃあもしお父様が即位されても私が相続しないって言えばいいのかな」
「大公殿下はエリザヴェート様よりも皇太子殿下の方を敵視しておられます。エリザヴェート様が動かれても、それで事態は丸くは収まらないでしょう」
エリザヴェートは手に持ったカップから立ち上る湯気を細く丸い顎に当てながら、中空に目をやった。
「私は別に権力なんてほしくない。でもこのブラウメンで人が死ぬなんてことにはなってほしくない」
「クロネッカー中将が帝都の近隣の部隊を率いています。何かあれば彼が助けに来てくれるでしょう」
その声色は不自然なほど平坦だった。
「そうかな」
彼女にしては難しげな表情になって、エリザヴェートはシャルロッテに視線を戻した。
「私ね、もし叔父様が本当に皇帝としての権力が欲しいのなら、お父様はあげちゃえばいいのにって思うんだ」
無邪気とは流石に言い難い口調で皇女が述べた言葉は、若き侍従武官の少佐にとって決して驚くに値する新たな発見ではない。
「しかし、皇太子殿下が大公殿下に権力を譲り渡すとは思えません」
「そうだよね。でもそのせいでここが戦場になったら嫌だな」
皇女はカップを置き、立ち上がる。
「別に政治がどうなっても構わない。私はこれ以上余計に人が死んじゃうようなことになってほしくないだけ」
シャルロッテは頷いた。
「ではエリザヴェート様、一つお願いがございます」
東屋から石畳に踏み出したところで振り向き、皇女は先を促すように首を傾げた。
「私を彼の司令部に置いてはいただけませんか」
「ロッテがエルのところにってこと?」
「はい。もし緊急の事態となったときに私が彼のところにいた方がよりエリザヴェート様のお力になれます」
「そうなの」
後ろの草むらに一歩踏み込みながらエリザヴェートは雲の隙間から差し込む陽光に目を向けた。
「ロッテはそれが私のためになるって思ってくれるんでしょ」
「はい」
「ならいいよ」
けらけらと笑って皇女は淡い光に満たされた温室を見回した。
「でも寂しくなっちゃうな。ちゃんとエルと一緒に私に会いに来てね」
「もちろんです、エリザヴェート様」
微笑と共に侍従武官は首肯した。
シャルロッテの視界の中でエリザヴェートは春先の草原に咲き誇る花のようだった。彼女は銀河帝国の政界の中枢で穢れさせていい人ではない。
この人のためなら、何でもできると思った。
エリザヴェートが初めて、彼女の意味を認めてくれた人なのだから。




