序幕
はじめまして。
普段はアルテミス名義にてゲーム実況者として動画投稿活動をしている、智月杏瑠と申します。
この度ラノベ風のタイトルでもって硬派SFを描いてみる試みを始めてみました。どうかお楽しみいただければ幸いです。
小説以外のことを宣伝するのは恐縮ながら、以下チャンネルで朗読動画を投稿予定です。
https://www.youtube.com/@FRM_ZR
キャラクターや景色をAIイラストでビジュアライズ化したので、そちらも併せてお楽しみに。
統一銀河暦五〇四年四月十一日。
薙ぐような閃光がスクリーンを超えて艦橋の中を青白く染め上げた。
「“エーベルト”被弾!」
「“ドルトムントⅡ”轟沈!」
友軍の艦艇の被弾と撃沈を知らせる報告が反響し、艦橋中央の戦術テーブルの表示は損傷間の存在を知らせる赤い光点に埋め尽くされていく。
「損耗率、一割を超えました」
沈痛さと焦慮が混合した声で旅団参謀が声を上げる。
その声にアウグスタ・シューラー海軍大尉は視線を司令官へと向けた。赤毛の女大尉の視線の中で、帝国海軍少将の階級を示す金線に覆われた軍服を着こむ、白金色の髪の青年が爆光と輻輳する荷電粒子ビームの火箭が彩る狂乱を前に佇立している。
「犠牲が拡大しているよ」
歩み寄ってアウグスタは告げた。事実を伝達する以上に、彼の思慮を問いたかった。
「だからどうした」
返答は常軌を逸していたが、さすがに彼女の耳にしか入らない程度に抑えられていた。
「これだけの数的差をひっくり返すのに、数百隻の犠牲に拘泥してどうする」
軍人らしい雄々しさとは無縁な線の細い体型から出た言葉もまた野太いものではなかったが、言葉の鋭さは歴戦の大将軍でも軽々しく口にはできないほどであろう。ここは海軍幼年兵学校の演習スクリーンではなく、ガス惑星アーミテイジⅥの至近で繰り広げられる宇宙戦の最前線である。
「恨まれるよ、そんなことを言ってたら」
「そんな些事に躓いている場合じゃない。時間がないんだ。ここで勝てないと……」
その言葉の意味が分かるから、アウグスタは強く出ることができない。何のために彼が戦っているのか。それを咎めることなど本人以外の誰にもできなかった。
「敵艦隊後方に発砲炎確認!迂回部隊と思われます」
その声に青年の紅い瞳が見開かれた。恒星のような煌めきは他者の反意すら圧する。
「全艦全速!右翼を広げて敵艦隊を惑星に追い込め!」
その言葉を聞いた参謀たちの視線は瞬時に赤毛の旅団副官一人に注がれた。
「三七群は右に延翼、三五四群は更に最右翼に展開して延伸。十七旅団は正面から敵を圧迫。惑星を迂回してきた六七群、一四五群と共に敵を挟撃、惑星も用いて敵を包囲します」
具体化された命令を受けて参謀たちは動き出した。命令、復唱、報告が応酬し、艦隊が動き始める。
死を司る光の乱舞の中、司令官はスクリーンに見入ったままその遥か向こうを望んでいる。その紅い双眸に何が映っているのか、余人には到底想像もつかなかった。
彼を見る人々の意識の中でただ勝利だけが彼、エルヴィン・フォン・クロネッカーを象徴している。
鼻先を刺すような冷たさが窓の外にあった。
視界の下半分を埋め尽くす庭園は一面が白銀の絨毯に覆われ、控えめな灯は地表から満天に散りばめられた光点の海を見上げるには十分な暗さだった。
全館空調の暖房設備のキャパシティを超えて流れ込む夜の空気に、空間の温度は瞬く間に下がっていく。だがそのようなことは少年にとっては関心の外側にあった。
「寒いね、ヴィルマ」
傍らの少女と自分自身と、双方に向かって語り掛けるような口ぶりで、少年は白い吐息を大気に投げ放つ。
「やっぱり出ていくの、兄様」
少女の言葉は問いかけでなく、定まった運命を前にした確認であった。例え彼女が反対したところで、この少年の心の翼に鎖をかけ直すことなどできないと彼女は知っている。
「ずっと言ってただろ」
振り向いた少年の、幼さを多分に残した少女のように美麗な顔つきの中で、絹糸を溶かして染め上げたような薄い金色の髪と柘榴石を埋め込んだような真紅の瞳が、その年に不釣り合いなほどに強く、焼くような光を放っている。少女がそれに抗って、彼女の小さな手の中にいてくれると想うのが身勝手な傲慢にしか思えないほどに。
「僕はあの空の向こうに行きたい。行かなきゃいけないんだ」
少年はその細くしなやかな腕を伸ばし、上を指した。
「あの雲の向こう、蒼い空のそのまた向こう。無限だって言われる世界に」
十歳になったばかりの子供の言葉とはとても思えない。荒唐無稽だと他人が鼻で笑うほどに遠大な願いをその胸に、少年は人間がその五体では決して辿りつけない地平に向かって歩み出そうとしている。
「でも私は一緒には行けない」
語数に数千、数万倍する思いを声帯の奥に押し込んで、少女は言った。彼女と少年とを隔てるのはその視野でなく、立場の違いだった。
再び振り向いた少年は、その白い手で少女の手を握る。
「おまえを救うためにはこうするしかないんだ。おまえを絶対あいつなんかの道具にはさせない」
本人の意志とは無関係に、断ることができる筈がないほどにその紅い瞳に込められた光は強く、熱かった。それに気圧されたか否か、少女は思わず頷いていた。声を出そうとしたが、言葉が見つからなかった。
「絶対にお前を救う。約束だ」
そう言って少年は瞳を煌めかせ、窓の外に目を向けた。蒼い空のその向こうに広がる悠久の世界。人類が漕ぎ出して数世紀が経ち、今や生活の一部となったその場所は、しかし人間の身体一つで決して手の届く場所ではない。
その世界を征かんとするならば、人間が持つ道具を用いなければならなかった。その道具と自由とを手に入れたくて、少年は未知の世界に自ら一歩を踏み出そうとしている。
温室のガラスの天井の遥か上で、星が瞬いている。
「ねぇ、シャルロッテ」
東屋の下で空を見上げていた少女が口を開いた。
「殿下」
「叔父様は本当に皇帝になりたいってお考えなのかなぁ」
純白の制服に着られている女士官は、慎重さを己に課すように首を傾げた。
「確かに、時にそう仰っておられます」
「もしいつか私が女帝になったら、叔父様は嫌がるんでしょ」
女士官は即答できず、肩にかかった黒い髪を弄った。
「私、それなら爺様やお父様の地位はほしくない」
言葉の意味するところは明白で、ヴァイオレットの瞳が見開かれた。
「殿下!そのようなことを仰っては——」
「わかってるって」
けらけらと無邪気に皇女は笑う。
「シャルロッテだけ。私とあなただけの秘密ね」
「殿下……」
「あなたにだけは私の思いを知っててほしいの。やっぱり怖いよ、この世界って」
小さな燭台の上の光が、皇女の透き通った青い瞳に反射して、星の光のように煌めいた。
「皇女らしくしなさい、いずれ皇帝になるのだからってみんな言う。でもシャルロッテの前だけは私は自由でいられるもの」
困惑と喜色に等分された表情で、若い中尉は石の床に膝をついた。
「誰が殿下に何を強いようと、私の前では何とでも仰ってください。私は必ず殿下のお味方です」
「シャルロッテはいい人!」
つぼみが花開くような表情で立ち上がり、皇女は四歳年上の女の手を握る。
「あなたは大事な人。信じてる」
その言葉に急いで返すべき言葉を探し出しながら、侍従武官はおもむろに皇女の顔を見上げた。
「非力ながら、お支えいたします」
「シャルロッテが来てくれてよかった!」
ぱっと手を放し、少女は星の光が散りばめられた人工の草原へ駆け出した。その背を追うように二一歳になったばかりの侍従武官も立ち上がり、東屋から踏み出す。
「私のお話だけは聞いてくれると、御進講の役まで仰せつかってしまいました」
「シャルロッテは教え上手だもの。皆堅苦しくてやってらんないわ」
否定も肯定もできず、若い侍従武官ははにかむ外なかった。
皇女は顔を上げた。
「宇宙って広いのに。私の生きてる場所ってほんと狭い世界」
「いつか参りましょう、あの場所にも」
「こんな広い世界なんだから、私も好きにできたらいいのにね」
二人が見上げる狭いガラス窓の先で、無限の世界はその光を湛えている。
人間が自らの都合で引いた暦法が記す時間の流れなど砂粒一つに及ばない無限をその手に抱え、宇宙はその終わりなき領域を横たえている。
漆黒のキャンバスに宝石箱を引っくり返したかのような世界の中で瞬く無数の光の数を数え上げるのに“天文学的単位”という言葉を用いるように、一人の人間にとってこの宇宙という空間はあまりに広大だった。
惑星アーミテイジⅥ。水素とヘリウムとを主成分とし、十七万キロの直径を持つガス惑星という、天体学の教書に並ぶ諸元上はなんの変哲もない惑星である。
遠目には縞模様に見えるその惑星の半分は恒星の光を受けず、まるで半球であるかのように見える。人智など到底及ばぬその偉容を誇る惑星の影に、無数の人工物の群れが佇立していた。
巨大な塔を横倒しにしたような格好の宇宙船が無数に並び、その数は優に千を超えている。最大のものはこの銀河において覇を唱える銀河帝国の主力艦ザクセン級戦列艦らを従えたカイザー級嚮導戦列艦ケーニヒであった。
無数の艦艇に囲まれて漆黒の虚空に佇立する銀色の艦体は全長一一〇〇メートルを超え、艦を縦に貫く加速砲身から発射される二八門の中性粒子砲を備えた宇宙戦艦である。
一人の青年がケーニヒの艦体から露出した艦橋の窓から、半球状のガス惑星を眺めている。まるで紅玉石を嵌めこんだかのような瞳は恒星の光を反射して煌めいていた。
「旅団長」
後ろからの声に青年は視覚的な耽溺を打ち切った。
「第一四五戦列艦戦闘群が合流しました」
踵を返し、自分より年長の参謀に向き直る。
「どれくらいだ」
「はぁ……」
青年は絹糸を束ねて梳いたような白金色の髪をかき上げた。
「何隻だ、と聞いている」
参謀は憮然として急いでデータパッドを操作し、顔を再び上げた。
「六四三隻であります」
「分かった」
平然として青年は会話を打ち切った。そのどこかの御令嬢のような顔の中で鋭い光を放つ真紅の瞳の深奥で一体何の感情が蠢いているのか、参謀には全く判別がつかない。
その顔立ちは単に美麗であるだけに留まらず、一度直視すれば目を離せないような、神の天賦の不平等を想起させるような光に彩られていた。
参謀と旅団長との間で数秒の沈黙があった。ぎこちない気まずさが言語化される前に艦橋内に響き渡った声は参謀にとって幸運だっただろうか。
「通報艦アウゲルミルより入電!」
吹き抜けの上下階を備えた二重構造の艦橋の内部に通信士の報告の声が響き渡り、艦橋のざわめきが瞬時に凍り付いた。その静寂を突き切るように通信士は叫ぶ。
「セクターH25に熱源多数探知!敵艦隊、規模八千隻以上と推定!」
銀河帝国海軍第十七装甲旅団長エルヴィン・フォン・クロネッカー少将は、参謀の視界の中で何の感情の揺らぎも見せなかった。離れたところに立っていた赤毛の女がつかつかと歩み寄ってくる。
「敵襲だよ、旅団長閣下」
「分かっている」
単純計算で手持ちの兵力の三倍の敵の接近の報告を受けても青年は庭先に虫の一匹が迷い込んだ程度の態度である。
艦橋の中央に鎮座する戦術テーブルが音を立て、立体映像上に八千隻分の敵艦隊の存在を主張する光点を現出させた。
振り向いたときにやや長い髪が自然になびく。エルヴィンは艦橋内の人間全員に聞こえるようにトーンを上げて命令を押し出した。
「状況Cを発令!」
赤毛の女が敬礼するために持ち上げた腕を覆う、黒い開襟のジャケットの袖を囲う金線の太さと数が帝国海軍の大尉の階級にあることを示している。二五歳という年齢にしては若いが戦時中と思えば不思議なことではない。だが彼女の同期生が少将という事実は尋常ではなかった。
赤毛の大尉は後ろに居並ぶ参謀たちに声をかける。
「事前の計画に従い艦隊を展開。混成部隊のため、指示は明瞭かつ具体的にお願いします」
大尉が命令を補足して伝達すると、艦橋は即時に喧騒に包まれた。不平不満も不信感も、命令の前に抗命は許されない。六名の旅団参謀将校が、通信士が、艦長ミュラー少佐ら旗艦の指揮官たちが、それぞれの職責に従って有機的に動き出す。
艦橋内に警報音が響き渡った。騒々しい空間の中で、エルヴィンは参謀たちに背を向け、窓の外から目を離そうとしなかった。
微かな振動と共に艦橋が装甲隔壁の内部に収容されるべく下降を始める。無数の星が散りばめられた悠久の空も、帯状のガス惑星も、恒星の光も全てが肉眼で直視し得る世界から消え去っていく。刹那の沈黙の後で艦橋の前面を覆う天球状のスクリーンが灯り、光点の一粒としてすら認識できない遠く彼方の敵艦の情報を伝えて来た。
「状況C発令。対艦戦闘配置」
「両舷増速、針路二五七」
「三七戦闘群は右翼に展開、横陣に移行。送れ」
「混成部隊のため連携が難しい。旗艦からの発光信号に留意せよ」
事前に策定した作戦計画に従って、各部隊が動き出す。大小二九七〇隻に及ぶ宇宙艦隊と、それに乗り込む数十万人を超す将兵の命運は、ひとえに二五歳の薄いブロンド色の髪の青年の舌鋒に乗せられていた。
だがその莫大な生命の行く末をその肉付きの薄い背に負う司令官とは思えないほどに青年は平然として自らに課せられた役割を受容している。まるで戦うために世に生を受けたかのように泰然と、あるいは超然としてエルヴィンはスクリーンのその先を見つめていた。




