悔悟
安易に激発した自分が恥ずかしかった。実力の不足ではなく、軽率さのために敗れた。
もっとも、あの場で何を言っても人事は覆らなかった――そう考えることで、どうにか自分を納得させるしかなかった。
「で、左遷先でどう立ち回っていくつもり」
女が問う。己の無力を彼女に告げる恥が、瞬時にエルヴィンの言語野を突き上げた。
「知るか!」
お茶を濁す、と言うにはあまりに乱暴であったが、今日は胸中を満たす感情の大きさで正常な判断を下せる気がしなかった。
「そう」
アウグスタは瞬時に表情を硬化させた。その顔を見てエルヴィンの胸中の締め付けはますます強まったが、今は何も言ってほしくなかった。ただ受け止めてほしかった。
それを言い出せない自尊心が、沈黙と言う形で二人の間にわだかまった。
何も話さないままにエルヴィンは駅で車を降り、一三〇〇キロ南のブラウメンブルクへと向かう。生家も所在するこの街からは少しでも離れていたかった。
一三〇〇キロの距離も都市間Uバーンを用いれば一時間で到着する。チューブ状の地下路線を電磁力を用いて移動し、航空輸送よりは安価に、軌条線車両よりは速く目的地へと移動できるのだった。
地表からの高さ八千メートルの低価格アパルトメントにエルヴィンは住まう。戦時階級は給与に紐づかず、職位に対する手当があるくらいでエルヴィンの給与水準は正規の階級である少佐のままであった。最上層階に住むことができるはずも無く、中低層の一室である。
何か月ぶりの帰宅か思い出すこともできなかった。ポストには家を空けている間に投函された書類に交じって茶色の封筒が入っていた。その蝋印を目にしてエルヴィンは、ひったくるように封筒を手に取った。
ミヒャエルが顔も合わせずに手紙を届けてきたことはこれまでに一度もない。それほどの切迫した何かだというのか。部屋まで戻る時間すら勿体なくて、エルヴィンはせわしくその場で封筒から手紙を取り出した。
“大公派は、クーデターを選択肢に入れているようです”
日頃の妹からの手紙では到底目にすることのない“クーデター”の文字が目に留まり、エルヴィンの意識はその文字列に吸い寄せられた。
“ヨーゼフは帝都の陸軍の大半は大公を支持していると言っていました。もし皇太子殿下が継承権放棄をしなければ、彼らは武力で権力奪取を挑むかもしれないと”
エレベーターの中で一人、エルヴィンは壁に寄り掛かった。
もしジギスムント大公がクーデターを起こし自ら帝位に就けば、エルヴィンはマグデブルク家どころか帝国全てを敵に回すことになるのか。
エルヴィンにとって妹を救う最短の道はマグデブルク家とジギスムント大公家の長男コンラートの縁談を破談に導くことである。そのためにマグデブルク家を打破するための力を求めて軍人となったエルヴィンの目的達成手段は、ジギスムントが皇帝になるという賭けに娘を差し出した家の身の程知らずの野望を阻止することで婚姻の意味自体を失わせることへと変質していた。
「エルの妹って私の従弟と結婚しようとしてるんでしょ。義理の家族になるね」
一昨年、シェーンバウム離宮の水の間で開かれた祝宴の場でエリザヴェートはエルヴィンに語った。
「そうなれば喜ばしいですがもう私は実家と縁を切っていますから」
言い方が冷淡すぎたかな、とエルヴィンが後悔するより早く皇女は再び口を開く。
「皇后すら輩出することになるかもしれないお家なのに」
「エリザヴェート様」
硬い表情になって侍従武官の中尉が制止する。
「しかし皇女殿下が将来の女帝陛下になられます。マグデブルク家から皇后など……」
四歳年下の皇女の聡明な物言いに感心しながら、エルヴィンはそれでも社交辞令じみた反論をした。
「でも、それを目指すから婚姻を結んだのではなくて?マグデブルク家みたいな高貴なお家のご令嬢と、わざわざコンラートが縁を結ぶ意味はないと思うけど」
このとき初めてエルヴィンは悟った。皇太子への皇位継承が成されればマグデブルク家にとってジギスムント大公の令息との婚姻の必要性自体が消失する。であればエルヴィンは玉座を簒奪すべく蠢動するジギスムント大公の一派の野望を阻止すればいいのだ。
銀河帝国の政治史におけるターニングポイントとなる“水の間の変”、爆弾が炸裂する僅か二十分前の会話であった……
「畜生!」
エルヴィンはエレベーターの壁を殴りつけた。
彼自身がより大きな権力を持ち、妹を救う手立てを得る最良の機会であった。海軍中将に昇進し、百万将兵を従えて巨大な艦隊を動かす。そして数に勝る連邦軍の艦隊に軍事的勝利を収めた。
だと言うのに、顔も合わせたこともない奴らが裏で引いた糸に足をすくわれ、勝ったのに左遷されようとしている。イェーガーシュタットの地上部隊など、いったいどうやって戦果を挙げられるというのか。ヴィルマがどんどん遠ざかっていく。
手が震える。視界から彩りが消えてゆく。廊下に響く自分の足音が鼓膜にこびりつき、焦燥と悔悟と憤怒がエルヴィンの心臓を早鐘のように打ち、締め上げた。
どうすればいい。何を間違えた。誰が敵なんだ。このままじゃ……
「酷い顔してる」
三五階の自分の部屋の前で、一人の女が立っていた。
よく梳かれた髪は黒曜石で染めたように漆黒で、高貴さをうかがわせるヴァイオレットの瞳と言い、コートの下から顔を覗かせる白色の軍服と言い、この階層で待っているべき人物には感じられない。
「ロッテ」
エルヴィンは女の名前を呼んだ。歩み寄る歩調は数瞬前が嘘のように素早い。
「どうしてここに」
侍従武官は無機質的な素早さでエルヴィンに向き直った。
「用があるのは私ではありません。エリザヴェート様です」
酸化したワインの舌触りのような感触をエルヴィンの神経は覚えた。横を通り過ぎて部屋のドアへと向かう足取りが思わず硬くなる。
「殿下が」
足を止めてエルヴィンは問い返した。
「離宮でお話が」
「いつ」
「今から」
エルヴィンは嘆息した。帰って来たばかりなのに。
「またケーニヒスシュタットまで戻れと」
「私だってここまで来たのです。それくらいは我慢して」
エルヴィンは鼻先を摘まんで、離した。次の言葉までの時間を稼ぐように。
「——分かった」
一度開けかけた扉を閉め、歩き出したシャルロッテの後に続いてエレベーターへと向かった。




