屈辱
統一銀河暦五〇四年八月十七日、エルヴィン・フォン・クロネッカーは帝都に帰還する。
出立した時は手元に一四〇〇隻の重戦列艦を率いての出撃だったというのに、今は指揮すべき一兵も持たず、ただアウグスタ・シューラー大尉一人のみを帯同して人事の交付を受けるために海軍省に向かわなければならなかった。
「一体どこの誰がこんな人事をしたというんだ」
エルヴィンは車窓から顔を背けた。
「俺が功績を立てるのが余程都合が悪いらしい。なら一体何がしたくて俺を師団長に推挙したんだ」
「失敗してくれるのを期待していたんじゃない」
アウグスタは飄々とした態度で返した。
「なら今から会う奴に一発殴ってやればいいのか」
「左遷じゃ済まされなくなるよ」
データパッドから顔を上げずに女大尉は答える。エルヴィンであれば冗談抜きにやりかねない。
いったいどのような組織の力学が働いてエルヴィンの立場を振り回したのか。アウグスタにも到底想像もつかなかった。ホリトに問うても、返答は要領を得ないものだったから彼も預かり知らぬところで事態が進展したのだろう。
「妹のこと、一歩遠ざかったと思ってる?」
三秒間の沈黙の後、突然鋭利な刃物のような口調で赤毛の女大尉は問うた。もし彼女以外の人間が軽々しく知った口で同じことを問うたら、肩まで届く薄いブロンド色の髪の青年は拳どころか銃弾を撃ち込んでいただろう。
「——あとたった三年しかない。ここで足踏みしているわけにはいかないのに」
独り言のように飛び出した返答は、アウグスタ以外のほとんどの人間が聞くことができない本音であった。その確信がアウグスタの胸を高鳴らせる。だが同時に、彼の胸中には彼女以上に大切な人間が存在しているのだと実感もさせられる。
「まぁあんたにはこれでも遅いくらいだよね」
気持ちの平衡点を探るように、アウグスタはエルヴィンを肯定も否定もしない。
「これで前線に出られなくなったら出世の機会もなくなる。一度傍流にはみ出せば終わりだ。権力者が俺を遠ざけようとしているのだから」
「最低限下手に出ておかないと本当に二度と引き立てられないよ」
「こんな目に遭わせた奴らに媚びていられるか!」
その怒声はもし防音対策が施された公用車の後部座席でなかったら間違いなくアウグスタ以外の人間の耳に入っただろう。
「だからそういう性格が敵を作るんだよ」
「敵を作る努力をしたつもりはない!」
エルヴィンの激情の奔流を浴びるのは一度や二度の話ではない。今回もアウグスタは淡々と相手をし続ける。
「その気はなくても嫉妬も反感も買う。二五歳の中将なんて、認めたい人がいるわけないでしょ」
「俺なら有能なら新兵でも将軍にしてやる。家柄や政治力だけで出世した奴らに反感を買う理由なんか、何一つないだろ!」
「そういうあんただってマグデブルク家の生まれでしょうに。名を変えても知ってる人は知っている」
素っ気なく言い返されてエルヴィンの放言は不完全燃焼で封じ込められた。
「政財界に顔が広く将来の皇后すら出すことになる家。その血筋の者が軍内部で強力すぎる権力を握れば……」
エルヴィンは言い返さず、拳で窓を叩きつけた。歯の隙間から軋むような呻きが漏れた。
エルヴィン自身が自分の立場を認識しなければ今後の出世はない。エルヴィンがこのまま追いやられれば、自分もまた彼と共に沈むことになる。
「自分が思っているより危険視されてるってこと、分かっておいた方がいい。嫉妬でも軽蔑でもない。あんたのその若さ、才能、出自が脅威なんだ」
「せめて俺がマグデブルク家の人間じゃなかったら……」
長い髪をくしゃくしゃに掻きまわし、エルヴィンは声を押し出す。
その一言を聞くたび、アウグスタの心の深奥に暗い滞留物が生成される。エルヴィンの精神領域にアウグスタの思いの立脚点を慮るほどの精神的な余白は存在しない。アウグスタが持たないもの、持てなかったものをすべて手にしながら、それを否定するようなことを平然と言う。
そんな人間を、アウグスタは憎むほかない。
「出自は変えられない。人の視線を変えることもできない。そんなことを悔いることに意味なんかないよ」
エルヴィンは何も言い返さなかった。
「分かってるよ」
アウグスタはそれ以上諭さず、足を組みなおした。
「エルヴィン・フォン・クロネッカー戦時中将」
海軍卿の物言いはエルヴィンにとっては不愉快極まりない。中将の位が臨時階級であることはエルヴィン自身よく理解しているが、わざわざここでそれを強調する必要もないだろう。
「貴官に与えられた任務の終了と共に、第五高射師団長に任ずる。異議はあるかね」
目前で鐘に打たれたようにエルヴィンの表情がひきつった。
高射師団と言う、惑星だか星系だかの防空だけが任務で指揮する一隻の艦艇も持たない地上部隊と言う組織の長は、エルヴィンの中では最下層の地位に等しい。だいたい防空部隊で一体何の戦果が挙げられるというのか。異議も何も、軍功を挙げた最前線から突然解任され前線から遠い惑星への左遷など到底受け入れられるものではなかった。
エルヴィンは激発を押し殺して口を開いた。
「小官は最前線にて数において勝る連邦軍を打破する戦果を挙げました。にもかかわらず更迭し、あまつさえ艦隊から外すご判断をされた理由をお伺いしたい」
アルニムの眉間に皺が刻まれた。
「高度な人事判断だ」
「そのようなお言葉では納得できません」
若すぎる中将を前に、海軍卿の眉間の皺が深くなった。
「貴官はアルミターゲの撤退支援において一旅団長として許容される範囲を超えて周辺星域の友軍を強引に麾下に編入し、師団規模の戦力を上級司令部の許可なく勝手に指揮した。またオルレアーンスでは貴重な戦列竜騎兵旅団一個を見捨てて全滅させ、損傷して落伍した艦艇を自沈させる決断によって自沈だけで多数の艦船を喪失している」
まるで検察官が被告を問い詰めるかのような口調で畳みかける海軍卿は淡々としていた。アルミターゲとオルレアーンス、どちらも帝国軍の絶対的な不利をエルヴィン一人の采配で逆転させた海戦だというのに、彼を評価しない海軍卿の器量を、到底エルヴィンは許容できないし理解できない。
「海軍省としてはかような独断専行と浅慮を続ける貴官を、最前線の師団長として配置しておくことに危機感を抱いた。そう聞けば満足か」
「しかし結果として勝利しました。そこは評価いただけないのですか」
「勝利?」
海軍卿は首を傾げた。
「外洋艦隊は戦略的に敗退し、敵の追撃を足止めしたのみ。オルレアーンスとて一時的に敵を追い払ったに過ぎん。貴官一人がそれを勝利と喧伝するつもりか。帝国海軍が貴官一人の私物のつもりでも?」
下手に出ればこの言い種か。全身の血管は瞬時に沸騰し、自ら一歩前に進み出て鉱物的な声を叩きつけた。
「ではアルミターゲにおいて小官が強引にでも近隣友軍を糾合せず損傷艦の収容と撤退に手間取った外洋艦隊を見捨てれば、またオルレアーンスにおいては倍する連邦軍を相手に真正面から相対して陸軍の数百万将兵を宇宙の塵芥にせしめれば閣下はご満足ということでありますか」
「貴官のそのような態度が軍の秩序を蝕み、帝国海軍の名誉に泥を塗っていると気づかんのか」
このような低次元の罵倒を浴びせられるとは想像もしておらず、エルヴィンの青年というより少女に近い顔は怒気と屈辱とで紅潮している。
「秩序?名誉?」
打算も吹き飛んでエルヴィンは掴みかからんばかりの勢いで海軍卿に迫った。
「功績に報いるどころか、そのような物言いをなさるとは、それこそ帝国海軍の名折れではありませんか!」
「上官に対して何を言うか、痴れ者が!」
海軍卿がとどめの一言を発した時にはすでにエルヴィンは危険なほど喋りすぎていた。
「貴官がどれだけ反発しようとも処遇が変わることはない。皇帝陛下がいかに貴官を気にかけ、マグデブルク家の血族であると言っても、軍には軍の秩序がある」
エルヴィンは歯噛みしたが今更どうしようもない。彼の表情の支配権を怒気が恥辱に譲渡する。自ら軍組織から放逐されるべき外様であることをその態度において示してしまったエルヴィンは、ただ大人しく辞令を受け取って引き下がるしかなかった。




