第三章:幽霊の寂しさ(ゴースト・ログアウト)
楽しい時間は、いつもあっという間に過ぎ去る。
システム上の時計が、午前四時を回ったことを告げていた。
「あ……もうこんな時間。明日も仕事だから、そろそろ行かなきゃ」
コハクの声に、明らかな名残惜しさが混じる。
「うん、そうだね。僕も明日……いや、もう今日か。バグ修正の山が待ってる」
「ふふ、無理しないでね。ハルトはいつも頑張りすぎちゃうから」
コハクが立ち上がり、僕に向かって手を振った。
「じゃあね、ハルト。また明日、いつもの時間に」
「またね、コハク。おやすみ」
次の瞬間、目の前にいたコハクの姿が、光の粒子となってフッと消えた。
彼女がログアウトしたのだ。
彼女のいた場所には、誰もいない。ただ、人工的な波の音だけが、虚しく響き続けている。
「……寂しいな」
僕はぽつりと呟き、メニュー画面を開いてログアウトボタンを押した。
視界が真っ暗になり、次の瞬間、僕は自分の薄暗い部屋へと引き戻された。
ヘッドマウントディスプレイを外すと、室内の冷えた空気が肌にまとわりつく。じっとりと汗をかいた額を拭いながら、僕は静まり返った部屋を見渡した。
机の上の冷めきった缶コーヒー。散らかった書類。壁の薄いアパート。
ここには、僕の肉体がある。確かな質量と、体温がある。
それなのに、どうしてこんなに「空っぽ」なのだろう。
会えなくて、寂しくて、胸が引き裂かれそうになる。
さっきまで画面の向こうにいたコハクの笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
ただの電子の繋がりだと、システムが弾き出したデータに過ぎないと、誰が割り切れるだろうか。
僕はベッドに横たわり、天井を見つめた。
手が届かない。触れられない。現実の彼女がどこにいるのかも、どんな顔をしているのかも知らない。
この募っていく想いを、彼女に伝えていいのだろうか。
「君が好きだ」と言ってしまえば、この心地よくて壊れやすい仮想の楽園は、一瞬で崩壊してしまうのではないだろうか。
『壊れてしまうのが怖い』
僕は自分の本当の気持ちを、心の一番深い暗闇に隠し通すことを決めた。冗談のフリをして、ただの「フレンド」として振る舞うこと。それが、彼女を失わないための唯一のコード(規則)だと信じていた。




