表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/45

39 スイッチ

冬十郎視点です


 二十数名の里の者と先代、通りかかりらしい人間の男女も警察官も、一時的に鬼童の息のかかった病院に収容してもらった。全員、外傷も無く呼吸も安定しているのに、叩いてもゆすっても一向に目を覚ます気配がないのだ。

 七瀬が先代に付き添って病院へ行きたいというので、里の者達の世話のため数人の社員を同行させた。

 あのホテルであった二体の死体の騒動についても、結局こちらで後始末をしなくてはならなかった。ある程度、電話で根回しを済ませてから三輪山に残りの社員を預けて後処理のために現場へ行かせることにした。


「しかし恐ろしいお姫さんだな。鬼の頭領が戦支度までしてきたというのに、たった一人で敵を撃退しちまうとは……」


 運転席には葵、助手席には座席の間からこちらを振り返っている恭介がいる。

 私は後部座席に姫を横たえ、膝枕するように頭を支えている。姫は汚れたバスローブ一枚だったで、私のコートを体の上にかけていた。


「鬼童には感謝する。後で請求書を送ってくれ」

「使わなかった武器はどうする? もう必要はないだろ?」

「だが、いつまた何があるか……」

「維持するだけでも面倒だぞ。必要になればすぐにまた用意してやるさ」

「そうだな……」


 その時、姫が膝の上で身動ぎした。


「姫、起きたのか」

「……冬十郎様……?」


 姫が目を開き、ぼんやりとした様子で視線を揺らした。


「どうした。まだ寝ていて良いぞ」

「んー……」


 眠そうに目をこすると、姫はよろよろと身を起こし、よじ登る様に私の肩に手をかけてくる。

反射的にその背中を支えると、コートが落ちるのも気にせず、バスローブ姿で胸にしがみついてきた。


「くっついて寝る……」

「そうか」


 幼い子供のような仕草に、笑みが漏れる。

 何も怖くなかったなどと強がりを言っても、やはり相当不安だったのだろう。

 揺れる車の中では不安定なので細い腰と背中に手を回して支えると、恭介が呆れたような顔をしてこっちを見ている。

 視線は気にしないようにして華奢な背中や髪を撫でてやると、姫の体から次第に力が抜けていき、また眠りについたのが分かった。

 その様子をバックミラー越しに見ていたらしい葵が、ぼそりと口を開いた。


「冬十郎様は、まだ姫様と契ってはいないんだよな」

「そうなのか?」


 葵の直接的な質問に、恭介が大きな声で驚く。


「大きな声を出すな」

「いやだが……」


 興味津々という恭介に対して、さらに葵が言葉をぶつける。


「姫様は痛いことはされていないと言っていた」

「そうなのか?」


 恭介は座席の間から身を乗り出すようにして同じ質問をしてくる。

 私は溜息をついた。


「最初に会ったとき……姫は人間の男にレイプされかかっていた。あの時の、破れたドレスで震えていた姿が、ひどく儚げで……」


 あまりにもかわいそうで。


「姫は、心も体もまだ幼さが残っている。怖い出来事を思い出させるような真似はしたくないだろうが」


 説明しながら、声に怒りがこもってしまった。

 いつもの調子でからかわれるかと思ったが、恭介は真面目にうなずいた。


「なるほど。冬十郎らしいな」

「でもちょっと疑問なんだけどさ、冬十郎様がお優しいってのは知ってるけど、いつもあんな色気のある熱っぽい目で見つめられて、そんな裸同然の格好でくっつかれて、よく耐えられるなって」

「は?」

「だから、うっかり下半身が反応しちまうことだってあるんじゃ……下世話な話だけどさ」


 おかしな質問をされて、私はバックミラー越しにしげしげと葵の顔を見た。


「葵は蛇の一族じゃないのか」

「一族だけど……それがどうかしたか?」

「一族なら肉体のコントロールが出来るだろう」

「え?」

「蛇は心の生き物なのだから」

「心の? ええと? それって、幽霊みたいに実態が無いって言う意味か?」

「いや違う」


 私は首を振った。


「常に心が体より優先するという意味だ。蛇はいつでも心が肉体を凌駕できる。人間と違って、我らの生き死にを決めるのは肉体ではなく心だ。生きたいと思い続ける限り生き、死にたいと思えば死ぬ。生き物として一番強い欲である『生存欲』を心がコントロールできるのだから、たかが性欲などスイッチを切るように消すことが可能だろう」

「性欲のスイッチを切る? いやまさかロボットじゃねぇんだから……」


 葵は、まるで人間のような反応を返してきた。


「葵は里で生まれ育った者ではないのか?」

「あ、ああ……。俺は貧しい長屋の生まれだよ。母親は煮売り屋をしてた普通の人間だった」

「煮売り屋の葵……? どこかで……」

「うん、前に江戸で会ったことあるよ。俺は冬十郎様……あの頃はふゆ様って呼ばれていたけど、ふゆ様にすごく世話になった。感謝してるよ」

「ああ、やはりあの時の……」


 よわい五十を過ぎても見た目が異常に若く、周囲から怪しまれている男を世話して、里へ預けたことがある。亡くなった母親は煮売り屋をしていたただの人間で、父親には会ったことも無い、おそらく子が生まれたことすら知らないと……確かそんなことを言っていた。自分に流れる血について何も知らないまま人に交じって生きて来たなら、相当つらい目にもあっているのだろうが、葵はあまり多くを語らなかった。


「一族の里に行って、やっと自分が何者かを教えてもらった。仲間がいっぱいいてホッとしたけど、長くいるとあそこは退屈でさ……。結局、江戸が東京って呼ばれるようになった頃に人間の町に戻って、この前の戦争までは人間に交じって暮らしていたんだ」

「そうか。人として生まれ育ったのなら、欲のスイッチを切る感覚というものが分からなくても仕方がない。だが、葵はこの前の戦争後に里で何十年か過ごしたのだろう?」

「ああ、里はいつ行っても同じだから安心するよ。あのひどい戦争の後には、退屈なくらいの長閑のどかさにだいぶ救われた」


 蛇の一族は穏やかで平和的な種族だ。蛇しかいない里はほとんど争いごとも無く、自給自足で季節を愛でながらゆっくり時が流れていく。

 私は変化を求めて里を出たのだが、あそこには変わらないからこその価値もあるのだろう。


「里にいる間、完全にスイッチを切っている男を見たはずだが」

「スイッチを切っている男?」


 横から恭介が興味深そうに聞いてくる。


「葵、里にいる間、先代が何か食べるのを見たことがあるか? 女と睦まじくしているところは? 一度でも先代が眠るのを見たことがあるか?」

「えっと……」


 と、葵は少しの間考え込んだ。


「え……? あれ? う、嘘だろ……?」

「無いのか?」


 恭介の問いに、葵が「ああ無い」と小さく返事をした。


「へぇ、そりゃあ妖怪じみた御仁だな」


 恭介が嘆息する。


「まぁ、先代は極端な例だがな。私が物心ついた頃から、里であの方が食事をするところも、眠るところも見たことが無かった。触れると肌がひんやりとしていて、本物の蛇のようだと思ったことがある。つまり、たとえ食べなくても寝なくても我ら一族は死なないということだ。死のうと思わない限り」

「まじかぁ、理解が追いつかねぇ」

「それには同意だ」


 大げさに騒ぐ葵に、恭介が肩をすくめる。


「じゃあ、冬十郎様は姫様がどんなに煽るようなことをしても欲情しないってことか?」

「それは違う」


 私は葵の勘違いに苦笑して首を振った。


「愛しい人が体を寄せてくるのだから、当然、いつも欲情はする。触れたいし、つながりたいと思っている。だが、姫を怖がらせたくないという気持ちがそれを上回っているのだ。ゆえに、スイッチを切るように欲を断てる」


 私はくっついて眠る姫の耳にそっと唇を押し付けた。

 いつも、どこまで触れていいのかと考えている。怖がられたり避けられたりするようになるのは耐えられない。姫のためというよりも、自分が嫌われないために、先に踏み込めないだけとも言えた。

 今は、この腕の中の重みと体温を感じられるだけで、十分に幸福だ。無防備に信頼されている今の立場を壊したくなかった。


「欲のスイッチとはねぇ。蛇と鬼は結構長い付き合いなのに、知らないことも多いようだな」

「わざわざ話題にする話でもなかろう」

「いやいやかなり興味深い話だ。……って、ふむ、ちょっと待てよ。ってぇことは、眠りのスイッチを切っている男を、そのお姫さんはむりやり眠らせたということか?」

「ああ……そういうことになる」

「それってちょっと、いや、ちょっとじゃないな。蛇にとってはかなりまずいことじゃないのか」

「まずいこと?」


 葵が、首を傾げて恭介を見た。


「前を見て運転しろ」

「あ、ああ」


 恭介は振り返って、姫を見つめた。

 恭介の言いたいことは、私にも分かる。


「なぁ、何がどうマズイって言うんだよ」

「蛇は死にたいと思ったら、あっさり死ぬんだろう? その女は眠るつもりのない蛇を眠らせたんだ。もしかしたら、死ぬつもりのない蛇を死なせることも、簡単にできるのかもしれないじゃないか」

「はぁ?」


 葵は突然、急ブレーキで車を止めた。

 後ろの車がクラクションを鳴らして、追い越していく。


「いや、姫様は眠らせただけだよ。まさか、殺したりなんて……」


 葵が心配そうに姫に視線を寄越した。

 心の生き物である蛇にとって、心を操るような姫の力は相性最悪だ。

 このままでは、姫は蛇にとっては天敵と見なされ、鬼童にとっては国のバランスを崩す脅威と見なされる可能性があるということに、葵はやっと気付いたようだった。





読んでくださってありがとうございます。

冬十郎の鉄壁の自制心を分かりやすく解説してみました。

次回「犠牲ではない」

ちょっとでも気に入っていただけたら、感想・評価・ブクマをお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ