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やがて辺りがほぼ暗闇になり、いつの間にか自分の体だけ白くぼんやり浮かび上がる。隣を走っていた木村は気づくとどこかに消えてしまっていた。
闇になり影は見えなくなっても確かにその存在を感じた。立ち止まることは出来なかった。息を切らしながら、走り続けた。やがて、先の方がぼんやり白く光る。
近づくと、白い雑木林が広がっている。
その中に逃げ込もうとしたが、地に隔たりがあり銀の川が間を流れている。川の中には大きい瞳が魚のようにひしめき合っていた。
思わず立ち尽くした。しかし、背後からも闇の気配が迫ってくるのを感じる。
追いつかれるか川に入るか、判断に躊躇していると川の中にぽかんと空いた穴を見つけた。目はそこに吸い込まれて落ちていく。杉浦は何故かそれに飛び込んだ。その中は完全なる闇だった。
自らの姿も見えなくなり形を失う不安がつのり始めると、ふと情景が浮かびあがる。
小さい体の丸まった背中。何かを腕に抱えて、それを弄っている。カチカチとガラスのようなものが擦れる音がする。
杉浦は後ずさりした。表現のしようがないおぞましい感覚が胸をざわつかせた。しかし、離れようとしても不思議なことにその背中は近づいてくる。いや、自分のほうが寄って行ってしまうのだ。後ずさりするほどに。
乾いたリズムを刻んでいた音が止まる。少年は持っていたものを脇に置く。プリズムの結晶体が虹色に淡く輝いている。杉浦は絶えられなくなり炎の球をその背中に投げこんだ。
そこで闇が急に溶け、炎を掴んだ影が、ふわりとそれを浮かべて自らの姿を照らした。それは人差し指を唇の前に立てて、逆の手は掌を見せて上げている。どことなく見覚えがある顔だった。
炎は青い小さな光になり次第に宙に浮かぶ文字を描き出した。。
(木村さん、相川さん)
「相川か」と木村の声がした。気づけば木村は相川のすぐ左隣にいた。
木村の言葉に文字が、「静かに」と変わり二人は黙る。
大分ステージから離れてしまいました。ここは危険です。元の場所に戻りましょう。私についてきてください
相川は暗いビルを出て道路を歩いて行った。杉浦も、続いて木村も大人しくそれについて行った。やはり遠い角に人影があったが、相川は構わずそちらに進んでいく。
「そっちには何かいる。つけられてるんだ、俺たちは」と木村が相川の肩に手をかけ耳元で小さく伝えた。相川は頷き
(分かっています。木村さん、もう決して声を出さないでください)と青い文字を宙に浮かべた。木村は目を大きくして説明が欲しそうに相川を見たが、言われたことに大人しく従った。
また歩きだす。遠くの人影が近くなってくる。しかし、もう少しで姿かたちをはっきり捉えられそうという所まで近づくと、その後は、いつまでも曖昧な影のまま一定の距離を保ち続けた。しばらく歩くとやがてそれは消えた。
それでも相川は黙って歩き続けた。振り返ることもしない。背後から視線を感じるような気がしたが杉浦も振り返らなかった。ただ、黙々とその背中に続いた。
少しづつ廃ビルの群れは少なくなっていき視界が開けた。ひび割れたコンクリートの道を歩いた。隙間から伸びる長い雑草がなびいている。気持ちの良い風が吹きはじめ淀んだものが流されていくように緊張が少し安らでいく。すぐ先には丘を上がる長い昇り階段があった。相川はそこを上りながら「もう大丈夫です」と口を開いた。
しばらく無言だったのですぐには声が出ないのか、木村は少し間を取って「何だったんだ」と聞いた。
「各世界にはステージとは別にストーリーがあるのです。ストーリーは複雑に入り組んでいて、先ほどはそのストーリーの入り口に踏み込みかけてしまっていたのです」
「よく分からないな」
「えぇ、しかし、まぁともかく戻ってきました」
階段を登りきると、目の前には街が広がった。
ビルというビルは崩れ、建物は灰になり、白い煙が天井に上っていた。
「街が、ぐちゃぐちゃだな」
「今回は一人だけ桁違いのレベルがいますね。普通はこうはならないですよ」
白い濃霧の中を小さい虫が飛んでいるな、と杉浦は思ったが、それは大きな縮尺の誤解だった。それははるか遠く街の頭上を飛んでいる竜だった。
「竜がいるよ。あんなのありか」
呆然と木村が言う。
「凄いですね。この抽象度の低い階層であんなイメージを作れる人は中々いないですよ」
そこでけたたましい音が聞こえて、ステージが溶けていった、
暗い空間の中に青白い文字が浮かぶ。
バトル終了
ゲームを終了しますか?
文字は消えて視界が黒に戻る。青くぼんやりとした光が広がる。やがて薄く透けて天井を映し出す。
杉浦が殻から出ると少しと遅れて、相川、木村が起き上がった。視界がまだぼやけて少し眩暈がした。
「いや、中々、凄いゲームですね」と杉浦が言った。
「初プレイで全員生き残りましたね」と相川。
「逃げ切るだけでやっとだった。危なかった」と杉浦。
木村は眉のあたりをつまんで、顔をしかめ目を閉じている。それを見て「大丈夫ですか、木村さん」と杉浦は聞いた。
「あぁ、大丈夫」
「木村さん、凄かったですよ」
「そうですね、二人とも初心者のプレイじゃなかったです」
木村は無理に口角を持ち上げたような、硬い笑みを作って「実は、お前は相当やってるだろう相川」と言う。相川は悪戯に微笑むが答えなかった。
「今の若いのは、あんなのを毎日何時間も出来るのか?」
「そうですね」
「頭が狂っちまうよ、俺は」と木村はしんどそうに笑った。
少しすると、木村は「それじゃあ」とゆっくりと腰を上げて、そそくさと部屋を出ていった。
「木村さんのああいうしおらしい姿も珍しいですね」と、相川が言った。
「よほど疲れたんだろう。VR慣れのない人には堪えるさ」
「このゲームどうですか?」
唐突に聞かれて、杉浦は少し考え言葉を選んだ。
「完成度はかなり高いよね。ゲームシステムも斬新だし、かなり人気になりそうな気がする」
「今、凄い勢いでユーザーが増えています。多分、そろそろランク入りしますよ」
「そうか。ただ少し前の基準であれば審査に通っていないな。戦闘空間がリアルに寄り過ぎている」
「実際にこれの前身であるゲームは規制されて配信停止になっています。四像燥というゲームで、11年前から、2年間だけ流通していた時期があったようですが、その時も、ビジュアルのクオリティは高く一部では評判だったようです」
「11年前だと俺が入る前だな。最近だとゲームが配信停止まで行くことはないが、当時は確かにあったね」
「今回、リメイクされ配信されたのは、規制緩和で基準がクリアされたからでしょうね。イメージクリエイトというシステムも追加してゲーム性も格段に上がっています」
「そうか」
そこで会話が途切れて、二人はいい加減に自部署に戻った。
部屋にはホログラムのパーテーションで区切られた黒い立方体が連なっている。杉浦も自分の席に着くと、パーテーションを展開した。内側からは透けて外が見えるが、外からはパーテーションの中の様子は見えない。音も内と中では遮られる。
静かすぎて耳鳴りがするので、小さくBGMをつける。鍾乳洞の中の環境音を拾ったものだ。深層の方で広がる川の流れと水の滴る音。最近はこれが好きだった。
「TO相川」と言うとメッセージが開く。
「さっき話していた、巣造像の前のゲームの情報、まとめといてもらえますか。時間がある時に確認したいので。事件例と規制に至る経緯を特に細かく」
すぐに「了解しました」と相川から返事がきた。
書類に手を付ける。杉浦のほとんどの業務が調査と書類作成だ。といっても、今の時代だとネットに転がっている情報をまとめるくらい。ゲームの調査をする上で実体世界で得られる情報はほとんどない。あとは、システムから注意喚起が来た時に、念のためそのVR現場を確認し検証する。問題があればユーザーに注意を促し、IDを抑えることもある。これも最近はめっきり少なくなったが。
定時の5時になると一斉に人が帰った。部屋を埋め尽くす黒い箱が消えていく。杉浦は食堂に行く。食堂を利用する人間は少なく、いつもがらんどうとしている。ジャズが流れていてオレンジの照明が肌色の円卓に落ちる。
机から出てきたサンドイッチを食べていると、「お、珍しいな」と入ってきた平松が向かいに座る。
「お疲れ様です」
「おい、聞いてくれよ。杉浦」
「どうしました?」
「若林も辞めるとな。こんなパワハラがまかり通る場所に居られませんってよ」
「木村さん、また何かしたんですか?」
「いや、あれからは何もなかったようだけど若林の中ではくすぶってたんだろうよ。仕事の区切りがつきそうだから辞めるって言ってきたよ」
「そうですか」
「木村を残してると、どんどん他の人間も辞めそうだな」
さすがに返事をしかねる杉浦。
「悪い奴じゃないんだけどな。時代に合ってないよ」
警部はやたらと時代という言葉を持ち出す。時代に責任を擦り付けて、それで小さく若い人間も年寄りも刺しているような気がする。天井で回るプロペラの影がチラチラと警部の顔を横切る。
「お前も、やたら木村に絡まれているようだけど大丈夫か?」
「えぇ。よくしてもらってますよ」
「そうか、ならいいよ。木村もお前みたいなやつは気にいるんだろう」
彼は気に入る、入らないで、人と交わる人間でもなさそうだが、と杉浦は思う。
隣の机で平松がパネルをタッチすると、かつ丼が机の中から浮き上がってきた。杉浦は最後のパンを食いきって「それでは」と仕事に戻った。
部署に戻ると、黒箱は一切消えていた。相川が一人残りパーテーションを解いて作業していた。杉浦もパーテーションをつけずに机に座った。
「相川、さっきのもうまとまってたりする?」
「えぇ」
「ありがとう、相変わらず早いね」
「いえ」
ネット上の情報は膨大なのでデータの取捨選択が出来ていないと、ただただ情報の渦の中で迷うことになる。相川はその情報抽出の筋が良く杉浦がほしいものを的確に集めてくれる。年代が下がるほど自立して仕事をする能力は低いが情報処理の能力は高い傾向がある。相川が補佐についてくれたおかげで仕事が楽だった。
そのデータをあらかた確認し、他の軽い処理も済ませると「今日はもう帰って大丈夫だよ。俺も、もう帰る」と杉浦は相川に伝えた。
「分かりました」
相川は立ち上がり、椅子に引っ掛けていたスーツを羽織る。
「杉浦さんは遅くまで残って、真面目ですね」
「家に帰りたくないから、暇つぶしをしてるだけだよ」
「そうなんですか」
「そうだよ」
「どうして?」
「お前も結婚したら分かるよ」
「へぇ、そうですか」
相川はへらへら笑いながら、椅子をしまった。
地下駐車場で二人は別れた。
杉浦は車に乗り込んで、地下洞に降りた。ハンドルとアクセルがロックされ、車は地下平面を滑っていく。青い2本のラインがほとんど直線にこれから車輪が進む先へ伸びている。その脇を、時折、薬の広告が流れる。
時速240キロで車は滑る。防音機能を消すと風を切り裂く音が囂々と呻る。杉浦は呆然とその中でただ前を眺める。やがて車は減速して止まる。エレベータが上がり、マンションの駐車場につくとロックは解除されて外に出る。そのままエレベータを乗りついで24階の自宅に着く。
AI育児ロボットのウサギがお帰りなさいと迎える。それ以外は静まり帰っている。
少しぼうっと椅子に座って、窓の外の向かいのビルの壁をまじまじと眺める。思い出したように服を脱ぎ、風呂に入ってすぐに出る。
娘の部屋を覗く。娘はカプセルの中で安らかに眠っている。カプセルの周りには人形が散乱している。杉浦が「片付け」というと、それらは自立しておもちゃ箱に帰っていった。
寝室を覗く、妻もカプセルで寝ている。それを確認すると扉を閉じて書斎に入った。ソファーに腰かける。呆然としていたが、いつも寝むる時間になっても何故か一向に眠気が起きなかった。首の後ろが重く、前頭葉のほうは熱く、体が少し興奮しているようで胸やけがする。
目を閉じると景色が蘇ってくる。それはあの巣造像の光景だ。それが激しく移り変わっていく。思えば、何かの異物感がゲームをしてからずっと頭にこびりついているようだ。その重みに今になって始めて気づいた。この表現しがたいマイナスの感覚。所以は分からない。
杉浦は横になりながらスクリーンを展開する。巣造像の公開許可がされている対戦動画やストーリー映像をぼんやり眺めた。その片隅で、あの廃ビル群の中で見た光景のことを思い出していた。
ネットであのステージのことを調べるが出てこない。どうも、このゲームのステージはゲームの開始時に生成され、ゲーム終了と共に無くなる。それゆえに、同じステージを経験した人間はほとんどいない。
ゲームのストーリーに関しても調べてみたが、出てくるのはストーリーモード用に作られた固定世界の情報だけで、自動生成されたバトルステージに付随するストーリーに関してはほとんど情報がない。バトルステージではストーリー性を思わせるフラグをバラまいて、それらしい何かの雰囲気を醸し出しているだけなのかもしれない。
おそらく、あのステージの外れで展開したストーリーは、プレイヤーがバトル地点から離れすぎないようにするためのもので、大した中身もないのだろう。そういえば、あの場所を相川は危険だと認識していたが、彼はその辺りのことにも何か通じているのかもしれない。明日尋ねてみようと思った。
しかし、それよりも気になるのは、妙に纏わりつくこの感覚だ。何かが脳神経にこびりついて離れない。以前、何回か洗脳性のあるVRを体験したことがあるが、その時に受けた感覚と似ている。ただ、それらはもう少し直接的で刺激的だった。その経験と比べれば、あそこで見た光景はさして大したものではない。今回の感覚は、その時よりも不確かで、正体が分からず、鈍く、重い。
スリコミ(洗脳)の可能性があると感じた。杉浦はカプセルに入って、精神状況をスキャンしてみた。
システムが示す兆候は、不安、特に死に関する不安、恐れ。しかし、その度合いは異常というレベルではない。現代ではゲームによってある程度死の不安や恐怖を感じることは重要であると言われている。文明の成熟により、実体世界で人間が死に晒されることはほとんどなくなったが、それは、生体生活の活力も減退させた。積極的に交際する人間は減り少子化になる一方で、無気力、虚無感による自死は年々増加している。
感情は刺激を与えないと停滞し、知能の低下と鬱の傾向が強くなる。ゲーム上で危機や競争を日ごろ経験することがメンタルバランスを保つためには必要だと言われ始め、その流れで昨今VRの自由度を下げていた様々な規制は撤廃されてきている。
つくづく自分の仕事は時代の流れに逆行していると杉浦は感じるが、ともかく杉浦の精神の方に大した問題はないようだった。
杉浦は調べ物を止めて、目を瞑った。もうそろそろ眠らないと、と思ったが、眠気は一向に来なかった。
夜中に物事を考えすぎたせいで、思考が他方にあてどなく伸び切ってそれが絡まりほどけなくなっているのを感じた。
頭が働いていると、意味のないことを考えすぎてしまう。すると何故か、どうしようもない閉塞感に襲われ、全てが出口のない箱に閉じ込められているような気がしてくる。気を抜けばいつまでも、その出口無き箱の出口を探ってしまう。自分で作った形すら分からぬ箱に、そもそも出口などないと分かってはいるが、それでもそれに思考が絡めとられ囚われている。
考えなくていいことを考えすぎてしまう。それは一種の持病だった。
そういう時の杉浦は異常な集中力を持って、眠りも、体温も、ひどい時には自分のことも忘れてしまう。小さい頃は2日間、椅子に座って、食事もとらず、トイレにも行かず、ただ固まって考え込んでしまうこともあった。もちろん、その反動は大きく、幾度も体調と精神を崩した。今となっては何をそんなに考えていたのかも忘れてしまったが。
杉浦は一度起きて睡眠導入剤を入れた。歳を取って集中に入る前にそれを逸らす術は学んだ。
なんとなく銀河鉄道の夜を起動してその中にはいる。少しだけ進めていたストーリーの続きをする。
誰もいない静かな道を歩く。時折振り返り、遠く向こうで点になった街の方から、星まつりの音楽と人々のさざめきが聞こえる、しかし、それは、ささやかな風の音の中に消えていく。
ただ、黙々と進む足。草原の奥ではシルエットになった木々、それが揺らす影。そこで頭の中で一瞬混じる、あの廃ビルに浮かんだ目。水面に映る少年。プリズムの結晶。あれは一体何だったのか。心のざわめきが風の中に少し混じる。
杉浦は黙々と歩く。いくらか歩くうちに、意味のない田園の道に思考は薄まっていく。不安も冷たい風の中に少しづつ流されていった。想像は意味を失くし、ただのイメージになり、いつの間にか穏やかな景色は夢へと変わった。




