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翌日、杉浦は念のため、木村の許可を得て精神分析をし、残っていたゲーム開始前と終了直後の精神状況もシステムに分析させた。木村も杉浦と同じような兆候が出ていたが異常な範囲ではなかった。
「あのゲームは危険じゃないのか」とデータを見ながら木村は尋ねた。
「調査をしていますが、現状は問題なさそうですね」
「俺にはそうは思えないよ」
「何故です」杉浦は注意深く聞く。
「何故だろうな。何となくだよ」木村は俯いていた。
「そうですか」
杉浦は相川も調べたが、相川のほうでは不安の兆候も出ていなかった。
相川が「私のは参考にならないですよ」と言った。何故かと聞くと実は相川はゲームにプレイヤーとして参加せず、観戦モードでこちらの動きを確認していただけらしい。
では、廃ビルで出会った人間は相川ではなかったのかと聞くと、相川は「あればNPCでしょうね」と答えた。「どうも巣造像はステージ生成で、バトルに適さない場所が出来た際はNPCがそこにプレイヤーを近づかせない動きをするようです」
「そうか。あれが言っていたストーリーとは何だろう」
「さぁ、特に深い意味もないような気がしますが」
「やはり世界観の構築で思わせぶりなことを言わせてるだけか」
他の事件を進めながらも、どうしても巣造像に関しては気がかりだった。キゴウの第二検査があるまで調査を続けたが、ゲームの危険性を示すようなことは出てこなかった。巣造像は現状の基準を全てクリアしていた。杉浦自身も、その後何回か巣造像に潜ったが、最初の時のようなしこりを持つこともない。バトル中に、ステージの外れを目指してただ進んでも何か目新しいことを見つけることは出来なかった。
あの違和感は、ゲームヴィジュアルに慣れていないプレイの反動だったのだろうか。よくゲームのリアリティが上がると拒否反応を示す人間が一定数出るが、今回それが自分だっただけなのかもしれない。それは慣れれば解決するが、いよいよ、自分も時代に追いつけなくなってきたか。杉浦はいつしかそう考えるようになった。
第二検査当日。杉浦はキゴウからVR上の部屋に招待されるのを待ったが時間になっても一向に連絡はなかった。杉浦のほうからメッセージを送り返事を待ったが結局その日キゴウは現れず検査は流れた。
学校の担任に連絡を取ってキゴウの様子を尋ねた。聞くところによるとキゴウは現在もVR登校を続けていて実体で学校には来ていない。今日の昼は珍しくVRでも休んだらしい。最近、特に変わったところがないかと聞くと、会うのもVRなのでそこまで気づかないという。
次の日の朝、キゴウからメッセージが来ていた。検査があることをすっかり忘れていたとのことだった。翌日、改めて日程を取って検査を行うことにした。
キゴウの空間に入ると、その日は前回と風景も変わっていて見渡す限りの黒い草原だった。夜だが、暗闇ではなく、遠く地平に沈んでいく白い月のようなものが辺りを照らしていた。静かな風に吹かれた黒い葉の先が、波紋のようにチラチラと光を反射し流していった。
「一昨日はどうしたの?」杉浦が聞くと、「すみません、忘れていました」とキゴウは頭を下げた。
「通知、気づかなかった?」
「はい」
「学校もいかなかった?」
「はい」
「どこか体調悪かった?」
「いえ、大丈夫です」
「どうして気づかなかったのかな」
「単純に忘れてたんです」
「そうか。どこか悪い所あったら教えてください。キゴウ君の体調面も、私は確認しておかないといけないから」
「分かりました」
そこから前回と同じように、質問を重ねていった。仕草や表情などの外面は特におかしい所はなかったが、前回と違うのは人間でもすぐに気づくような下手な嘘が散見されたことだった。
何故母親の姿をしたコピーを破壊したのか。コピーという認識はいつからあったのか。事件の動機や、家族にまつわる質問に対しては、やはりまともな答えは返ってこなかった。
検査を終えた。委員会が求めている類の情報を引き出せていない。いずれ、もう少し踏み込んだ調査に変更するように指示が来るだろう。それ以外は、特に感想もなかった。
それから2日後に出たシステムの診断結果は大きな問題を示していた。キゴウの強迫観念に似た症状は和らいでいたが、代わりに境界倒錯症の傾向が強く出ているという。
問題を委員会に報告し指示を仰いだ。委員会からは治療を勧めるべきだが、あくまで本人の意思を尊重するようにという命令が下りた。
杉浦はすぐにキゴウと面談した。
キゴウの空間に入ると、その日は異様で、黒い宇宙のような空間に赤い液体の渦が形を変えながら蠢いている。空間にいつもの静けさはなく、呻るような低い音が辺りを支配していた。その景色はキゴウの不安定な精神状況を感じさせたが、対する杉浦は極力自然に振舞った。
「悪いね、突然呼び出してしまって」
「いえ」
「実は、先日の診断で、あまりよくない結果が出てね」
「はい」
「君は軽度のVR境界倒錯症だとシステムから診断された」
「はい」キゴウはいつも通りの微笑みのまま変わらなかった。
「境界倒錯症は分かるかな?」
「はい」
「今、ゲームは一日何時間くらいやってる?」
キゴウは「さぁ」と首をかしげた。
「大体でいいよ」
「その日によっても違うので」
「昨日は?」
「あまり覚えていません」
「ソフトは何をやっている?まだ、巣造像かな」
「はい」
「対戦モード?」
「そうです」
「今プレイヤーポイントは幾つになった」
「分かりません」
「確認してみて」
「はい」
キゴウはスクリーンを出して、それを眺める。
「3000」
「3000か」杉浦は驚きを持って聞いた。3000と言うのは世界で上位の5%に入る数値だ。想定していたより相当高い数字になっていた。
「この間、聞いたときは1500だったよね。1週間ちょっとで倍になってるね」
「はい」
「この1週間、かなりやりこんだんだじゃない?」
「そうかもしれません」
「自覚はある?」
「何の自覚ですか?」
「多くの時間を費やした」
「はい」
「このまま症状が悪化すると現実世界の生活に影響が出る。少しゲームをやる時間を抑えていかないと」
「分かりました」
「うん。だけど境界倒錯症は一人で治療するのは難しい。自制しているつもりでも無意識的にVRに入ってしまっていることもある。治療はちゃんとした施設で行なったほうが良いよ。少しの間だけど、入院しないと」
「入院はしません」
「入院しない?」
「はい」
「嫌かい?」
「いえ、別に」
「じゃあ、どうして」
「分かりません」
「それなら入院しなさい。今そんなに問題ではないと思うかもしれないけど、実は危険な状態なんだよ。このまま症状が進行すると取り返しのつかないことになるかもしれない」
「大丈夫です」とほほ笑むキゴウ。
「大丈夫じゃないよ」
「取り返しがつかなくても大丈夫です」
いつも通りの張り付いた笑顔と仕草は変わらないが、いつにも増してキゴウの受け答えから会話をする意志が感じられなかった。
「入院すると言っても、ゲームを一切やらないということではなくて、VRの内容や時間を制限したり、現実との境界を認識できるような治療プログラムをこなすだけだよ。そんなに面倒なこともない」
「はい」
「入院するかい?」
「いいえ」
「そこまで嫌だというなら管理AIをつけて自宅治療にするかい?それとも、毎日決められた時間に通院して治療をうけるか。ただ、この場合は君が本当に自制心を持ってVRを制限しないといけない。他の例を見ると入院しない治療は効果が薄くて結局治療期間が長引く傾向がある」
「はい」
「どうする?」
「どれも大丈夫です」
「どれも嫌かい?」
「はい」
「何がそんなに嫌なんだい?」
「別に」
「嫌ではないなら何故、頑なに拒否するんだい?」
キゴウは微笑むが、返事をしない。もっと危険性を伝えないと彼は聞く意志を持たないのだと杉浦は感じた。
「このまま、症状が進行して君が重度の境界倒錯症ということになれば、私達は君を強制的に治療しないといけなくなる。君の主戦場は対戦ゲームだから現実で人を攻撃するかもしれない。だから、反社会性パーソナリティの一種として、君の思考は矯正されてしまうよ」
「大丈夫です」
「大丈夫っていうのは、何が?」一瞬、杉浦の言葉にも苛立ちが籠った。彼は取り繕うようにその後微笑を浮かべてごまかした。
「精神治療が必要ならしてください」とキゴウは平然と言った。杉浦は少し驚いた。これまでの傾向からいって精神治療に対しても拒絶を示すのが当然だと思いこんでいた。
軽い脅しのつもりでかけた言葉で話がまずい方向に向かっている。杉浦はすぐに軌道修正を図らなくてはいけなくなった。
「今はまだそれが必要な段階にない。重度の疾患でない限りはしなくていいんだ。ただ、そうならないようにしたいんだよ。キゴウ君、そんなに投げやりにならないで。私は君を貶めたいわけじゃないんだよ」
「はい」
「精神治療というのはどういうものか分かる?」
「はい」
「そんなに簡単にしていいものじゃない。薬品やVRインセプションで、君の考え方や感情を矯正してしまうことだからね。言ってみれば、心の在り方や可能性を縛るということだ。それに、ひどい時は頭を開いて脳にアンテナを入れるんだよ。そして、君が何か強い反社会的な衝動にかられた際は電気信号を送って行動を制限してしまう。分かるかな。そういう可能性もあるんだ。精神治療はあくまで社会に適応できない深刻な精神問題を抱えている人に対してだけ行われないと。その人が、そうでもしないとその後社会の中で生きていけないような」
「はい」
「君は、まだ若いし、これまでも社会に十分適応できている。精神治療なんてするべきじゃない。単純に境界倒錯症の治療をすればいいんだよ」
「いいえ、精神治療してもらって大丈夫です」
「何故、簡単な境界倒錯症の治療は嫌で、もっと大変な精神治療なら良いんだい?精神治療だって入院は必要だよ。治療期間はVRゲームだって、もちろん厳しく制限される」
「精神治療をしてしまえば、それも苦じゃなくなると思います。まず、治療のストレスを感じないようにするでしょうから」
少年の言っていることは正しかった。精神治療ではまず、患者の自死や暴動を防ぐためストレス値を上げないようにコントロールする。治療中、患者は、ほとんど催眠か睡眠状態になる。この治療法は、洗脳性が強いため精神治療以外で用いることは現状できない。
「キゴウ君、ストレスを感じないというのは、無防備になるということだよ。もちろん、治療は君に何か危害を加えるものではないから生命としては安全だけど。ストレスを感じるというのは君が君らしくあるために、心が戦っているからなんだ。それを失くしてしまって治療を受けるということは、君が君の思っている、君が守ってきた君の人格を失うことになるかもしれないよ。社会にとっては優等生のいい子になるかもしれないけど。君が今守っている君じゃなくなるかもしれない、それでいいの?」
「はい」
キゴウは即答したが、その返事を聞く前に、杉浦の前には、彼にしか見えない警告文が展開されていた。システムからの警告が大きく表示されている。
「個人の価値観に至る話になっています。本人の意思を無視して治療の方針へ誘導しようとしていると取られる可能性があります」
杉浦はそれを読んだことをキゴウに気付かれぬように態度には出さなかった。彼がシステムから警告を受けたことは、これまでもほとんどない。このままキゴウに精神治療が施されれば社会に従順になり事件についても語る様になる可能性はある。しかし、事件当時の記憶状況は不確かになり証言の信憑性も薄くなる。彼の心がバランスを保つために後から創造した動機になりかねないからだ。個人の記憶内にしかない情報というものは繊細で、一度変化してしまうと取り戻すのは難しい。もしそうなれば、委員会が要求している情報を上げることは出来なくなる。
杉浦としては、情報の取得前にキゴウの精神治療をすることは避けたい。話が多少強引になるのもそのためだ。しかしもしかすると、キゴウはそのことが分かっていて、こちらに揺さぶりをかけているのだろうか。
「どの道、重度の疾患にならない限りは、精神治療は出来ないよ」と杉浦は突き放すように言った。
キゴウはただ頷いた。
杉浦はふと思い至った事を口にした。「まさか、そのために境界倒錯症の治療を受けないのかい?」
相変わらず少年の表情は変わらなかった。杉浦には全く感情が読めなかった。
今の子供がこういう態度をとることは珍しいことでもないが、ここまで徹底できる子はこれまでいなかった。普通はもう少しボロを出し、甘さや幼稚さが見えてくるものだ。
杉浦の思考は絡まりはじめ二人の間に沈黙が流れた。
キゴウの空間はいつの間にか、蠢く赤がますます強くなり、黒から赤い世界に変わっていた。杉浦はハッと息をのんだ。景色自体に驚いたわけではなく、これほどの視界の変化に、自らがこれまで気づかなかったことに驚いた。
スクリーンで自分の精神状況を確認する。心拍数も高く脳が熱を帯びている。VR空間でなければ汗が滲んでいたかもしれない。自分はいつの間にかこの空間とキゴウから緊張を強いられていた。
確かにキゴウの微笑を見ていると話を引き出すどころか自分が追い詰められているような気がしていた。最初に学校で会った時のように彼は会話を誘導し調査が出来なくなるような罠を仕掛けているのかもしれない。いつの間にか立場が逆転していることを杉浦は自覚した。
それはそうだ、システムから警告をもらうなんて何年ぶりだろう。その時点で自分の精神が安定していないことに気づくべきだった。その意識を持つとさらにモニターの精神状況が悪化しはじめる。呼吸を意識した時に途端に息苦しくなるのと同じように、精神を保という焦りが逆に緊張を生み状態を悪化させる。負のスパイラルに入れば、それをすぐに修正するのは難しい。
このまま続ければ致命的なミスを犯しかねない。危険だと判断し切り上げることにした。
「とにかく、どうするにしてももちろん君の意志を一番に尊重するけど、その前によく考えてみて。入院や管理AIについても」
「分かりました」
「それと何かをする際は、必ずこちらに一度相談してください。君は検査中だからそうしないといけない義務があるよ」
「分かりました」
「それじゃあ、今日はもう大丈夫。お疲れ様。急に時間を取ってもらって悪かったね」
「いいえ、さよなら」
蠢く赤い空間は溶けていき、消えていった。
グラスを外すと、味気ない青い灯がVR酔いの視覚に沁みこむ。
「お疲れ様です」と様子を確認していた相川が言う。
「警告受けたな」
「珍しいですね、杉浦さんが」
「何年振りだろうな。忘れたけど」
「そうですか」
杉浦はしばらく考え込むと、ふと聞いた。
「相川、俺は何かスリコミを受けていたかい?自覚がないうちにストレス値が上がっていた。空間の変化にも気づけなかった」
まさかとは思いながらも、確認せずにはいられなかった。
「いえ、洗脳性はシステムの方でも感知されていません。あくまで杉浦さんのほうが主体性を持って会話を展開していました。ただ、空間自体は確かに抑圧的に変化していきましたのでストレス性はありました。偶発的なものだと思いますが」
「あの空間は彼の創作か?」
「巣造像のステージテンプレートの一つですね。といっても、彼の精神状況に影響を受けて生成されるので、ほとんど彼の創作といっていいのかもしれません」
杉浦はため息をつく。「あの子は、分からない」
「相性が悪いのかもしれないですね」
「あぁ」
「ただ、杉浦さん自身にも何か原因があるかもしれません」
杉浦はカプセルに腰かけ何かを考えるように黙り込んだ。彼が人前でそのように振舞うのも珍しかった。杉浦は出来れば一人になりたかった。相川はそれを察したのか「では、私は戻ります」と部屋から去った。
杉浦はしばらく、魂の無いレンズのような目で、自分の精神状況を示す波形を眺めた。
やがて彼はカプセルから黒いホログラムのパーテーションを展開する。「カウンセリングモード」と告げると、ぼんやり灰色光に灯る人型のシルエットが少し離れた所に現れた。
記憶している最近の出来事を、その光に向け思いつくままに話す。順序も筋道も気にせず、支離滅裂に浮かんだ言葉をそのままに。
しばらくすると光が反応して、それに対して質問をしてくる。
一時間あまり、その繰り返しが続く。




