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結局、杉浦はキゴウの意思を崩すことが出来なかった。治療を勧めたが本人の同意を得ることは出来なかったと委員会には報告した。また、委員会から何らかの指示が下りてくるまでは待ちになった。
平松はしきりに仕方がない、別に管理責任を問われることはない、と杉浦を励ましたが、杉浦としては面倒なだけで別に落ち込んでいる訳でもなかった。
部長はタバコを一箱杉浦のコートのポケットに押し込んで「吸えよ、落ち着くぞ」と服の上から叩いた。
杉浦は何となく屋上に出てタバコをふかした。ちょうど夕日が沈んで夜に変わる頃だった。
空は他のビルの影に閉ざされてひどく狭い。子供の時はもっと広かったが、今ではどこまでも広がる空を見る機会は中々ない。それが見たい時は部屋の壁をそう見えるようにするか、VRの世界に入る。
人間は自分たちが作った狭い箱に囚われている。そして、年々その箱は小さくなる。杉浦は時々そんな気分になる。
「吸うのか」と男の声がして振り返ると、木村が突っ立っていた。
「いえ、初めて吸いました」
「上手いか」
「別に」
「平松のをもらったか」
「えぇ」
「あんな奴の真似したってロクなことないぜ」
「そうですね」と杉浦は苦笑する。
「一本くれないか」と言って、木村は杉浦からタバコをもらう。
「吸うんですね」
「30年前くらいに吸ってたよ。健康品になってから吸わなくなったけど」と煙をふかした。
「木村さん、天邪鬼ですよね」
「いや、素直なんだよ」
「やっぱり、もうまずいな」と言うと、木村はすぐにタバコを捨てて、かかとで潰した。
「あいつ、キゴウ。境界何とか症なんだろう」
「ええ。境界倒錯症です」
「あんなゲーム続けていたら、おかしくもなるさ」
「そうですね」
杉浦も手すりに背をかける
「あのゲームは危険だよ」木村が言った。「お前も、そう思ってるだろう」
「そうかもしれないですね。ただ、現状ゲームの危険性は検出出来てません」
「危険性がないっていったって、現に一人病気になってるやつがいるだろうが」
「境界倒錯症はVRを使う人間であればソフトに関係なくなり得ます。極端に事件数が多くならない限り、ソフトの問題とはならないですね」
「じゃあ、VR自体が問題なのさ」木村は吐き捨てた。「無理にでもどっかひっぱって入院させたほうがいい。同意は後からとればいいさ。今は正常な判断が出来ないんだろう、アイツは」
「本人が拒絶しているのに病院が受け入れてはくれません」
「そこは、病院の先生にちゃんと説明すれば分かってくれるだろう」
「病院は特にシステムには従順です。いくら説明しても難しいでしょうね」
「じゃあ、どうするんだよ。学校の先生から頼んでもらってもダメなのか」
「えぇ、ダメです」
「何でそんなに厳しいんだ」
「14歳以上の成人は、ほとんど自己意志が最優先されます」
「14歳なんて何も分かってないガキだろう」木村は悪態をつき、「じゃあ、どうするんだ」と再三同じことを重ねてくる
「今、委員会に報告して指示を仰いでいます」
「何かまともな指示が下りてくるのかよ」
杉浦は首をひねり、それは分からないというポーズをとる。
「困ったもんだな。委員会からはいつ返事が来るんだ」
「大体いつもは一週間以内には来ますけどね」
「一週間も待てないだろう」
「まぁ、待つことしか出来ないです」
「一週間も待ってたら、アイツますますおかしくならねぇか。だってアイツは一週間で大分病気が進んだんだろう」
「そうですね」
「お前も、先生も、毎日アイツの家に行ってゲームをしないように監視するしかないんじゃないか」
「学校の先生はそこまでしてくれないですよ」
「何故?それが仕事だろう」
「いや、それは業務外ですね。自宅訪問は年に一回すればいいので」
「そんな規定は関係ないだろう」
「ありますよ。話はしてみますが業務外のことでまず協力はしてくれないです」
「何だそれ」
「それに私もそこまでするのは業務外です。今、私の仕事は事件の動機を明らかにすることであって彼の病気の面倒を見ることではありません」
「人を守るのが警察の仕事だろうが」
「病気の治療は医者の仕事です。それに過干渉は逆にキゴウさんのストレスになって、事態を悪化させる可能性があります。私はそうなっても責任が取れません」
「違うね、責任を取る気がないんだよ。最初からお前は」木村は老化で歪んだ目元でジロリと杉浦を睨んだ。その口調は静かだが鋭かった。
「ええ、私の責任はそこにはありません」杉浦の口調にも少し強みがこもる。「より干渉すべきなのか、見守るべきなのか。何が正しいか判断できません。人の心は私にはコントロールできない。当たり前ですが誰かにとっては良いことでも、誰かにとっては致命的な毒になり得ます。であれば、他人が個人の方法論で行動すべきじゃない。あくまで患者個人の意思や、完全な第三者であり統計から最も効率の良いとされる判断を下すシステムの判断を尊重すべきなのです」
「そう言って避けているだけじゃないのか。分からないから、個人の意志だから、そういって触れ合わず見放しているだけじゃないのか。アイツには親もいない。本当の学校の様子を見てみたか?アイツは友達だっていない。それに今では学校に通ってすらいない。担任も、お前も、アイツを見放せば、誰がアイツに手を伸ばすんだ?」
「木村さんは、私にあの子の親になれとでも言うのですか」
「そこまでは言ってないだろ」木村は声は怒鳴り声のようになる。
「木村さんは外野から勝手なことを言っています。自分の時間を犠牲にして、どうして他人にそこまで尽くせますか。私には彼だけではない、何人も担当する人間がいる。その全てに自己を殺して尽くせと?それが偽りなく出来るのはよっぽどの善人か、暇人か、AIだけです」
投げやりな言葉が胸から、ため息のように漏れ出た。普段は抑えている本音が少し油断している間に出てしまったらしい。こんなこと木村に話して何になるのだろうか。この古いシステムのことすらまともに理解していない老人に。
木村は激昂するだろうと思ったが、意外と静かで落ち着いた様子だった。
「俺は俺の正しいと思うことを言うよ。それが違うなら違うでお前は否定すればいいんじゃないか。それでいいじゃないか。ただ、何も言わないというのは違う。あれこれ理由をつけて、何を言っていいかなんて考えだしたら、言えることなんて何もないんだよ。人間なんて皆勝手だろう。その勝手をぶつけ合えばいいんだ。そうしないと理解なんて出来ないさ。ぶつける前から、意味ないと諦めるなよ」
「その勝手をぶつけることで取り返しがつかなくなることもあるんです」
「ぶつけないで取り返しのつかなくなることもあるさ」
「ぶつけることには責任が伴いますが、ぶつけないことは尊重でもあります」
「それは、ただの言葉遊びだよ。関わった時点で責任は負ってるのさ。何もかもに」
「考え方の違いです。きっとこれ以上話しても無駄ですよ」
「そうだな。でも、無駄ではないんだ。考え方の違いが分かるのだから」
「それこそ、ただの言葉遊びですよ」
杉浦は苦笑してタバコを捨てた。ロボット掃除機が地面を這ってきて、杉浦と木村の吸殻を回収していった。何となくそれが通り過ぎるまで二人は黙っていた。
「悪かった。少し、感情的になったよ」と木村。
「別に大丈夫ですよ。木村さん、もしかして平松さんに言われたこと気にしてるんですか?」
「俺だって、それなりに気にはしているんだよ、こうみえてもな」
「そうですか」と杉浦はますます苦笑した。
「最終的には、お前の仕事だ。お前のやり方を尊重するよ。それがお前の経験からで出来たものなんだろう」
「えぇ、木村さんも私と同じものを通ってきていたら、おそらく同じようになりますよ」
ビルの谷間はすっかり夜になり、月明りが幾つもの窓に反射して二人を取り囲んでいた。
木村は「それじゃな」と言って背を向けた。そして、少し歩いた所で思い出しように振り返った。
「そういえば杉浦知っているか。コピーを作る人間のほとんどが、その生成のすぐ後に自分で死ぬらしい。アイツも母親もおそらくは生きていないだろう」
「えぇ、そうでしょうね」と杉浦は言った。
「驚かないな」
「大体予想がつくじゃないですか。そんなもの作ったら、後は死ぬだけですよ」
「そうか、俺には全然分からないんだよ」
木村はまた背を向けて去って行った。
杉浦はその後もしばらく風にあたっていた。




