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8 ※
精神耐性チェック。
チェック終了、初級モードで制限なし
「あれ、杉浦?相川?」
木村は一人で宇宙空間にいた。辺りを見渡すが、どうやら二人はいなくなっているようだった。
アバターを作ってください。
宇宙空間に機械的な声が反響した。すると、目前に人体が幾つも浮かび上がる。この中から選べということだろうか。
パーツを組み替えて自分で作ることも出来るそうだが、面倒なので選択できるものから適当に選んだ。スキンヘッドの男だが、これなら杉浦達も分かるだろうか。
「それでは、バトルスタートです」
音が消え、景色はまた暗転する。
目が開くと、目の前にが随分古臭いPCのモニターが置いてある。自分の手はキーボードに乗っていて、モニター内では何やら専門的な小難しい英字が並んでいるが、最後に日本語で「頑張ってください」と打たれていた。
部屋はカタカタとキーボードを叩く音が溢れ、電話のコール音もひっきりなしになる。意味まで聞き取れないが、笑い声や、真剣な声、切羽詰まった声、誰かを呼ぶ声など、様々な人の声がそこかしこから聞こえる。乱雑で整理のついていない空間。木村は不思議な気持ちになる。その不思議さとは何か。胸に去来している感情は何だろうか。
目につく人々、頬が歪んだ老け顔の男もいるし、禿げている人もいる。女性の顔にも平気でほうれい線がくっきりとある。むしろ、現実の人々みたいに小顔で、皺ひとつなく、パーツが整っている人はいない。重たそうな携帯のモニターを顔まで近づけて、目を細めている人もいれば、疲れたのかPCのモニターの前で頭を抱えて動かぬ人もいる。入り口の前で楽しそうにケラケラ談笑している人もいる。そこまできて、木村は自分の胸を圧縮している感情の正体に何となく気が付いた。この風景は、木村が幼い時に見たことのあるものだ。幼い時にごく自然だった空間、自分の両親の生活を垣間見るような、懐かしさだった。
過去をイメージして作られたステージなのだろうか。そういえば杉浦と相川はどこにいるだろう。彼らもアバターを作ってこの世界に入ったはずだ。隣に座っている人間がそうなのか、それとも全く別の所に飛ばされているのか。この部屋にいるのはプレイヤーか?それともゲームに設定されているAIか?
対戦相手が近くにいるかもしれない。木村は目立たないように、気を付けながら慎重に辺りを探り始めた。
部屋に並べられた机には固定電話とPCが置かれ、天井に二列蛍光電灯が並ぶ。部屋の入り口は二つあり、どちらも木村の席からは大分離れている。
この部屋に放り込まれた別のプレイヤーがいれば、自分と同じようにまず周りの様子を探るはずだ。木村は自らは気づかれぬように、それとなくそういう素振りをしている人間も探った。
ふと、コーヒーメーカーを見つけて、席を立ちそれに向かった。歩きながら視界の端の方で人やPCを観察する。モニターの中身まで見られると手っ取り早い。通り過ぎた中には、木村と同じような表示がされているモニターはなかった。
紙コップを置いてボタンを押す。なんとも懐かしい。昔はこういう機械が色々な所に置かれていた。カラオケやら、ファミレスやら、ボウリング場やら、木村が歳をとる間にいつの間にかそれらの施設はひっそりと姿を消してしまったが。
机に肩ひじをついて寄りかかり、珈琲が入るまでの時間を持て余しているふりをしながら部屋全体を堂々と見渡す。
大きく開けた窓の外、雲一つない青空の遥か遠くに高いビルの先っぽが見える。ここはかなり高層の部屋なのだろう。今と違って空は開けていて開放感がある。部屋にいる人間は32人。男性22の女性は10人。内、互いに会話をしている人間は8人。電話をしている人間は4人。
コーヒーを取って席に戻る。
木村が怪しいと思った人間は4人。内、女一人だ。その中でも、一人はかなり確信めいたものがある。具体的な根拠はない。何かしらの特徴を脳が無意識的に察知して、その蓄積によって印象として感じているのだろう。しかし、その一つ一つの要素を分解して説明することはできない。つまる所木村の経験に基づいた勘としか言いようがない。しかし彼にとってはそういうものほど自信が持てた。現にそういう時に自分が外したことがほとんどないからだ。
木村はそれとなく疑いの人物を監視する。その男は自分の斜め前にいる。キーボードを叩きながらモニターを眺めているが、ふと動作が固まったかと思うと右腕を上げる。指鉄砲の形を作って人差し指を正面に伸ばす。親指を折り曲げてカチリと空想の撃鉄を引いた。
何をしているのだろう。頭のおかしい奴か?
木村がそう感じた矢先に、男はパンと口を開けてその指先を跳ねさせた。
突然、背後のガラスが割れて、少し遅れて悲鳴が上がった。何が起こったのか、思考はは置き去りとなり呆然と振り返った。割れたガラス、その奥で、遠く向こうにそびえる高層ビルの先が折れて、ゆっくりと傾き、今まさに落下していく。
木村は長年の経験から、それでも意識を取られている間は短かった。他の人間がまだ呆然と崩れていくビルを眺めている最中、振り返り例の男を探った。
蒼白な恐怖を浮かべた人の顔の群れの中で、その男だけが微笑んでいた。そして、またその指でっぽうの親指をカチリとやって次の弾丸を装填する。
「やめろ」と木村は叫んだが、その声はかき消され、木村の左頬を鋭い風が通り過ぎ、そこに座っていた人間は弾き飛ばされた。
木村はその現象の結果を見ることはしなかった。それよりも、反射的に男へと走り出して次の行動を止めようとした。男は木村の存在に気づき、人差し指をスライドさせて木村に向けた。
流石に無謀な行動だった。直線ならまだしも人や机に遮られて到底間に合わない。こいつは死んだな、と悟ったその時に、何かの強い衝撃が木村の脇腹を弾き発砲しようとしている男に赤い球が降りかかった。木村は窓枠まで吹き飛ばされて肩を強く壁にうった。しかし、それで勢いは止まらず窓枠ごと吹き飛んで体は地面からは程遠い空中に放り出された。
赤く燃え上がる部屋をしり目に木村は落ちていく。そんな瞬間、自分の危機的状況よりも、あの部屋で最後に何が起こったのかと考えている。
ふと何かが腰に巻き付いていることに気付く。視線を下げると、その巻き付いている物は顔で、必至に口をパクパクさせ何かを伝えようとしている。
通り過ぎる暴風の音の中で、何とかそれを聞き取ろうと意識を集めていくと、そいつはこんなことを言っている
「下から風がくる。下から風がくる」
「集中してください。下から風がくる」
何が何だか分からなかったが、とりあえず無我夢中でそいつの言う通り意識を集中した。
下から風がくる。下から風がくる。背中は空気を切り裂いていたが、少しづつそこにかかる圧みが変わってくる。少しづつ膨張し、そしてそれは。男が「3、2、1、来ます」と叫ぶと同時に爆発して、二人の体を一瞬押し上げた。上下の圧力はつりあいかけて、二人は横に押し出されていく。体が持ち上がり、宙に立つようになり、風の上を走るように二人の足は自然と駆けた。しかし、やはり重力に引き寄せられみるみる地面が近づいてくる。
「地面は軟らかい」と男が叫ぶ。木村はとりあえず、それを信じた。目前に迫る地面。軟らかい地面。つま先がつくと、それはゴムのように深く沈み、木村は全身を打ち付けると強い弾力で宙にはじき返された。何度かバウンドしながらゴロゴロと体は跳ね転がった。やがて、回転が止まり、仰向けに寝転んだ。
真っ青な空。それ以外ない。不思議なことに意識も命もまだあった。
ヨロヨロと立ち上がると、もう一人の男もなんとか立ち上がった所だった。
「大丈夫ですか、木村さん」
「お、おう」喉が開かず上手く声が出なかった。やけに掠れた声で答えた。
「杉浦です」
「あ、杉浦か」
木村はそこでハッとしてこれがゲームであることを思い出した。情けのないことにすっかり夢中になって忘れていたのだ。思わず、照れ臭さそうに頭を掻く。
杉浦はYシャツを着たサラリーマンのアバターになっていた。風貌の雰囲気は変わらないが顔形は大分変っている。木村が怪しいと思った4人の内の一人だ。
「とりあえず木村さん、逃げましょう」と杉浦。「は」と木村はぽかんとするが「もう、我々はプレイヤーだとバレてます。狙われますよ」と付け加えられて「そうか」と納得した。
二人はとりあえず駆け出した。周りに人影は見当たらず遮蔽物もほとんどない。ひび割れたコンクリートとその間から雑草が伸びている。何もない開けた土地だ。遠くにはビル群が連なっていて二人はそちらに向かった。
「それで、相川は?」と木村。
「分かりません」
「アレを炎で攻撃したのは相川かな」
「そうかもしれませんね」
走りながら話していても息が切れない。杉浦は「しかし、他のゲームだとノンランクマッチは初心者が集まるものですから大したことは起こらないと思っていたのですが、どうやらそれでも私達とはレベルの違う連中がいますね」
「そうだな」
「とりあえず、誰かを倒すというのは無理そうなので、時間いっぱい逃げ切ることを目標にしましょう」
「そうだな」木村は大いに頷ずいた。
「にしても、木村さん、何してるんですか?」
「何が」
「叫んで止めようとする暇があったら、逃げるか、攻撃をしてくださいよ」
「あぁ」木村はこっぱずかしくなる。すっかり現実と認識がごっちゃになっていて、とっさに刑事として動いてしまったのだ。
「ゲームなんですから」
「分かってるよ。しかし、VRはいくら走っても疲れなくていいな」とすぐに話題を逸らした。
「しかし、それは相手も同じですからね」
「誰か追ってきてるか?」振り返りながら聞く。
「分かりません」
二人はひと際巨大なビルの陰に入ると壁に背をつけて立ち止まった。
「ここどこだ」木村が、杉浦も知らない所だと分かりつつもこう聞いてしまうのは、それにしても辺りの様子が不気味になっていたからだった。
朽ち果てた廃ビルが辺りを取り囲み、ガラスは破れ、壁は塗装が剥がれ、茶色の錆がむき出しになっている。地面もヒビだらけで、人間が生活しているような気配が全くない。
「大分人気のないところまで来てしまったみたいですね」
「そうだな。スクラップ街みたいだ」
木村は膝に手をついて息をきらした。
「なんか止まると息切れがするわ」
「習慣でしょうね。思い込みでそうなってしまうのです」
杉浦のほうはVR慣れしているのか息を切らすことはなかった。彼は休憩する間も注意深く辺りを観察していた。
木村の息が落ち着くころに、「木村さん」と杉村の声が低く小さく囁いた。何かの気配を察して木村も姿勢を変えず、小さく低い声で「どうした」と返す。
「奥の交差路に誰かいますね。影が動きました」
「敵か」
「NPCかもしれませんが。こちらの様子を探っているように感じます」
「どうする。とりあえず身を隠すか」
「そうですね。こちらは複数なので簡単には仕掛けてこないとは思いますが」
「そうだな」
「尾行されると厄介です。ビル内を通って巻きましょう」
「分かった。まぁビルを吹っ飛ばす奴もいるから、なんとも言えないけどな」
二人は歩き出すとすぐに破れた窓から廃ビルの中に飛び込んだ。ビルの中は暗く視界が悪いが、中はもぬけの空のようだった。別の窓を破って出て、また別の窓から別のビルに入る。それを5回繰り返した。
五つ目のビルから這い出て、一度様子を探るために二人は辺りを見渡した。遠いビル陰に動く者の気配がある。今度は木村もそれを確認した。
「まだついてきてるな」
「えぇ」
二人はまたビルに入り不規則に出口の方向を変えながら時に入り口に戻るなどしたが、やはり外に出た時には遠くのビル影に何者かの姿があり、そしてそれは少しづつ二人との距離を詰めてきている気がした。
「どこかから動きを見られてるのか」
「分かりません」
「どうする」
答えが出ずとも、停止するわけにもいかず、また別のビルに逃げ込む。
「屋上まで上がりますか」
「危険だな。逃げ道が無くなる」
「また、飛んでいけば」
「あれはもう二度と出来る気がしないよ」
「実は私もです」
「しかし、この一帯は何なんだ。この中身のない廃ビルたちは」
「ゲームですから。特に意味も無いのでは」
「そうか。なるほど」
特に意味はないと言っておきながら、なんとなく気になったのか、杉浦が炎を作って辺りを照らした。
オレンジの光の円の中に、人の目が無数に埋まっていて二人を見ていた。それを抑え込むように何かの記号文字が壁に張り巡らされている。二人は言葉もなくすぐに不気味なそのビルから出た。
日が急に落ちたのか、辺りは暗くなり、空気が湿っぽくなる。影は深く、一層勢力を増していた。影に潜む者に追い詰められていると二人はひしひしと感じはじめた。すぐにビルの谷間の影は完全につながり闇と化した。破れた窓から何かの気配がうごめいた。
どちらからというでもなく、二人は逃げ出した。影は二人の背後に付きまとい、その背をいつまでも追ってくる。




