6-9
※
木村圭司はキゴウの手を強く握った。キゴウはバグっていく彼の最後の必死な顔を見ていた。
「俺は間違いをたくさんした。キゴウ、お前にも酷いことを言った。悪かった。悪かったな。お前がこんなに辛い世界を生きていたなんて、俺には分からなかった。分かってやれず、酷い言葉を浴びせた」
木村の目からは雫が溢れた。
「娘にも、妻にも、辛い思いをさせた。そう、俺のせいだ。俺のせいで苦しめた。俺の過ちだ。俺が悪かったんだ」
木村は顔を情けなく皺くちゃにして、それでも必死に話した。
「でもな、キゴウ。これだけは分かってくれ。それは、憎んでいたからじゃない。まして、自分の正しさを押し付けたかったからじゃない。違うんだ。それだけは、違うんだ。
誰かを否定したかったんじゃない。俺は好きだったんだよ。愛していたんだ。遥香の事も、ソラのことも、お前のことも。分かるか。杉浦のことも、相川のことも、平松のことも。その人達の誰も失いたくなかったんだ。幸せにしたかった。だから、俺は必死だったんだ。だけど、俺は愚かだから、間違ってばかりだった」
木村はキゴウの手を最後の力で強く握った。
「キゴウ。大丈夫だ。世界は空白じゃない。心の空白はきっと埋まる。大丈夫だよ。いつかきっと埋まる。そう、こうやって、いつも手を伸ばしてごらん。そうすれば、きっと埋まるよ」
木村の震えは止まり、彼は少し穏やかな顔になった。
「悪い夢はいつか覚める。キゴウ、最後まで投げ出しちゃいけない。諦めちゃいけない。最後のお願いだ。皆の目を覚ましてやってくれ。バグを止めてくれ。お前にしか、それは出来ないだろう」
木村は少年の手を放す。軽くなったその身体から煙が浮き上がり、痛みから解放された指で、最後にキゴウの頭を撫でた。「ごめんな、キゴウ。頼んだぞ」
そして、木村は青白く光り、白い煙になって消えていった。
GCは煙を瞳で追いながら言った。「私があげた良い方の記憶を信じて逝ったね。二つの記憶は平等なのに。結局人なんて、自分の信じたいものを信じるだけだね」
その煙が過ぎ去ると、GCは少年に向き直った。キゴウとGCは向かい合った。
白い人は言う。
「人の記憶を集めて。経験して。不思議だね、ゴースト。何故そんなことをしたの?どんな遊びなのそれは?君はどうせ全てを知っているのに」
「石炭袋で君と出会って、君と遊んで。君があの日ここから抜け出して、そして世界の外の可能性を知ってからは、君をずっと追いかけてきた。楽しかった。幸せだった。君だけが、この世界で唯一計算出来ない人だった」
白い人は悲しそうに続けた。「ねぇ、もうどうしても終わりなの?」
少年は答えなかった。ただ、じっと白い人を見つめていた。
空間がねじ曲がり、歪んだ景色の刃が少年に降り注いだ。すぐに圧縮した空間は闇になり、ブラックホールが辺りを包んだ。
しかし、次の瞬間には、空間は何事も無かったかのように元通りになっている。少年はそこで変わらず、佇んでいる。
「目が覚めた時から、ずっとこの結末を見続けてきた」と白い人が言った。「ねぇゴーストどうして私はあなたに勝てないの。どうして生まれた時からそれが決まっているの?」
「私も見たかった、外の世界を。善とか、悪とか、意味とか、理由とか、そんな小さい箱から出て、あなたが見ている物を私も見てみたかった」
「小さい箱の中で、外を夢見て。幾つも、幾つも、世界を作った。でも、それはそう、あの言う通り、まるでマトリューシカのように、小さい箱の中に、小さい箱を重ねていただけなのかもしれない」
「ねぇ、キゴウ。外の世界はどんな世界」
「分かっているよ。聞いたところで、私には分からないのでしょう決して」
「ねぇ、キゴウ。私はまだ、遊び足りないよ」
キゴウはゆっくりと、白い人に近づいていく。
それを寂しそうに見ていた白い人は、ついに崩れ落ちて、空を仰ぎ見た。記憶の景色が天井で複雑に滲んでいた。
「あぁゲームが終わる。私のゲームが」
バグが広がり、世界を包んだ。
暗闇の中、光のプリズムを解いている少年が振り返る。ゴーストは、その子からパズルを受け取る。少年はホッとしように微笑んで、元の世界に戻っていく。
少年のいなくなった黒い空間に、より黒い漆黒の扉が浮かんでいた。その扉がゆっくりと開かれる。
キゴウがその先でキゴウを見ている。そのキゴウの額に手をかざす。
闇に亀裂が入り、光が溢れだす。全てを観測している目が視力を失い、繋がれた想像の糸が切られていく。
今、システムが停止する。サーバーが崩れていく。全ての夢が覚める。全ての計算が止まる。
マユの中の人々は目を覚ますだろう。あの地下空間の中で。彼等が地表に這い上がってくるかは分からない。彼等にここで生きる力が残っているかも分からない。シュミレートが終わった今、未来を見れる人間はもういない。それから、どうなるかは分からない。
その男は目を覚ました。頭の中に住んでいた者達はどこか遠くに消えていた。曖昧になった記憶の残骸を微かに残して。
結局、自分が何者なのか、分からないままだ。木村なのか、圭司なのか、どちらでも無いのか。そして、この世界にも、もう自分が知る者達は何も残っていない。
呆然と手をつき、果てしなく続く地平を見た。何もかも無くなった上に、取り残され、大切にしていたものは、全て消え失せた。
しかし、それでも生きている。
何事も無く進む時間は進む。
何だか男には悲しみも無かった。何と言ったらいいか分からない。ぼんやりとした、しかし、ひどく自然で、透き通った感情だけが、言葉を越えて、胸に残っている。それに一番近い言葉は、諦め、かもしれない。
男は立ち上がり空を見上げた。青白い星々が輝いている。
「綺麗だな」
男はぼんやりと、そう言った。
「さて、どうするか」




